神宮球場のマウンドに立つ

 時は2019年、東京六大学秋季リーグ戦(秋季リーグ戦)の慶大3回戦。強打を誇る慶大打線を3イニング無失点に抑え、相手の流れを断ち切った投手がいる。野口陸良(スポ=埼玉・早大本庄)だ。「きょうまで投げられたことが、うれしい」。試合後、目を輝かせて、そう語った。4年時の春季リーグ戦まで、ベンチ入りの経験なし。夏も2軍戦登板が多く、これが最終登板になるかもしれないと毎試合覚悟していた。そんな野口の目標は、リーグ戦で『神宮球場のマウンドに立つ』こと。夢の舞台へ駆け上がった野口が、歩んできた道のりを振り返ろう。

 『神宮球場のマウンドに立つ』という目標が設定されたのは、まだ中学2年生の時だ。JOCジュニア五輪にて、平泳ぎ1位の経験がある競泳をきっぱりやめ、野球に一本化することを決意した時でもある。「好きなものを続けたい」と、野球を選んだ。それでも競泳で戦っていた高いレベルを、野球でも求めたい。だが、水泳に熱中していた小学生時代は月1回程度しか地元の少年野球団に参加していなかった野口と、周囲のライバルとの力の差は歴然だった。目前の高校野球で活躍することは現実的ではない。そこで、高校3年間は力をつけることに専念し、大学、その中でも、東京六大学野球に照準を合わせたのだった。

 早大本庄を卒業し、自身の目標をかなえるため、早大野球部に入部する。高校3年の夏大会後に肘の手術を受けたため、まだ投げられない状態でのスタートだった。早大野球部の高いレベルを目の前に、自信を失いかけた。と、同時に野口の中で、闘志が燃え上がる。人一倍練習しなければ、彼らに追いつけない。競泳を継続した方が良かったとは、後悔したくない。そう決意を固めた野口は、ひたむきに努力する。ほかの投手がピッチング練習をする時間も、ランニングやトレーニングに熱心に取り組んだ。全力投球ができるようになった10月、投げられることが本当に楽しかった。積み重ねてきたトレーニングも実り、1年目の終盤では、限られたメンバーしか行くことができない、沖縄キャンプに呼ばれるまでに成長した。2年目でも、順調に目標への階段を上る。春、秋共に、期待の新人が多く出場する、東京六大学フレッシュリーグで登板機会を得ることができていた。

 

 だが、あと一歩が届かない。3年目もリーグ戦のベンチに入ることができなかったのだ。変化が必要だ。でも、どうすればいいのか。答えを求め、試行錯誤が続いた。周囲の人にアドバイスを求めたり、YouTubeで調べたりもしたが、当てはまらない。むしろ状態は悪化。投球フォームは崩れ、球速、球質が落ちてしまった。そして野口をどん底に落としたのは、まさかの沖縄キャンプ選外。1、2年目では行けた沖縄に、最終学年にして呼ばれなかった。

 こんな苦しい時期でも、野口は諦めない。1年目の経験から重要だと感じた、練習に対するモチベーションは下がらなかった。「練習をやらないと現状から抜け出せない」と、トレーニングをしなかった日は、不安に感じ寝られないこともあった。苦しむ野口を、周囲も支える。普段からブルペンで組んでいた同期の村上智優(スポ=富山・高岡南)は、大きな存在だった。キャッチボールに誘うと、いつでも「いいよ」と快く引き受けてくれた。時には1時間以上、悩みながら投げる野口のボールを、嫌な顔一つせず、村上は捕り続け、一緒に向き合ったのだった。

 「あんたは野球が好きだからやっているんだよ。」悩みを打ち明けた両親に掛けられたこの言葉が、野口の転機となる。「こだわりを全て捨てて、単純に自分の投球を楽しもう」。「いつも応援してくれる両親に、成長を見せつけよう」。ベンチ入りのために何が必要かと、あれこれ悩み込んでいた野口の気持ちが、すっと軽くなった。ここから状態も自然と上向いていく。夏のオープン戦、大阪学院大戦で9回途中まで無失点と好投をするなど、徐々に結果も付いてきた。そしてついに4年目の秋、リーグ戦のベンチに入ることができた。早稲田のユニフォームを着て、神宮球場で投げられるのだ。さぁ最初で最後のリーグ戦だ。


4年秋の慶大3回戦で会心の投球を見せ、ガッツポーズする野口

 いよいよ中学2年生の時からの目標である、リーグ戦の舞台で『神宮球場のマウンドに立つ』日がやってきた。2019年10月5日、東大1回戦。7回表、背番号15を付けた野口が、マウンドに向かう。「マウンドに上がるうれしさとすごい緊張が混ざり合って、今まで感じたことのない変な感覚」の中、三者凡退に抑える。ナイスピッチング。ナイスピッチ。ベンチに戻ると、次々と仲間から声をかけられた。その時になって、自分はリーグ戦で投げたのだと、ほっと息をつくことができた。神宮球場の緊張感を初めて肌身で感じた1日だった。

 そして野口は神宮球場で、さらなる輝きを放つ。秋季リーグ戦最終戦、慶大3回戦。2回表に逆転を許し、裏の攻撃ではチャンスメイクするものの後続が三者凡退と、完全に慶大ペース。そんな1失点も許されない場面で、野口がマウンドに。「悔いが残らないように、そして自分がやってきたことを信じて」。スタンドからの大歓声が聞こえないほど、極限まで集中力が高まった野口。一球一球、全力でミットめがけて、腕を振るう。結果は、3イニング無失点と最高のピッチング。野口が積み重ねてきた努力の結晶だった。その後早大は、劇的なサヨナラ勝利を飾る。試合後「(この日の投球に)100点をあげたい」と口にした野口の表情は、きらきらと輝いていた。

 もがき苦しむ時期を経験した野口は、どんな辛いときも、諦めずに練習をやり続けることは重要だと語る。早大野球部では、諦めない心で、『神宮球場のマウンドに立つ』という目標を達成した。卒業後は社会人となる。野球で培った諦めない心を胸に、次のステージでも力強く歩んでいく。

(記事 樋本岳、写真 宇根加菜葉氏)