今季最初の四大大会である全豪オープンで、グランドスラムでは初めて組むダブルスペアが3回戦まで勝ち進んだ。 青山修子と柴…
今季最初の四大大会である全豪オープンで、グランドスラムでは初めて組むダブルスペアが3回戦まで勝ち進んだ。
青山修子と柴原瑛菜(えな)——。年齢差は11歳。
経歴も大きく異なるふたりではあるが、今、その足跡はピタリと重なり合っている。

息のあったプレーで好結果を残している柴原瑛菜(左)と青山修子(右)
世界を舞台に活躍する日本人選手の多くがジュニア時代から国際試合等を経験していることを思えば、青山のキャリアはやや異色と言えるかもしれない。
頭角を現したのは、早稲田大学時代。全日本学生室内選手権で単複を制し、4年生時にはキャプテンとして母校を日本一にも導いた。
大学卒業後にプロに転向するも、当時は「グランドスラムなんて、自分とは別世界」と感じていたという。
それでも、ダブルスを中心にツアーでも着実に結果を残し、卒業の2年後にはウインブルドンでダブルス・ベスト4進出。以降、ダブルスでのランキングは常にトップ100を維持し、年間最終ランキングでは70位を割ったことがない。
身長154cmの小柄な青山の持ち味は、前衛での俊敏かつ大胆な動きにある。
コートの端から端までネット際を駆けて叩き込むボレーは、多くの局面で勝利への道を切り開いてきた。本人曰く、コツは「ネットに隠れるようにしながら走り、飛びつく」こと。
研究熱心な青山が世界で戦うために、研鑽に研鑽を重ねた彼女オリジナルの武器だ。
かくして、世界でもすでに一定の地位と評価を勝ち取ってきた青山だが、ここ数年は年間を通じて組む固定のパートナーは存在しなかった。
もちろん、どの国のどの選手と組んでも結果を残せるのが、ダブルス・スペシャリストとしての矜持でもある。同時に、ダブルスの精髄(せいずい)を極めるにはペアを固める必要性も感じつつ、彼女はあらゆる状況を想定しながら日々練習で技を磨いてきた。
両親は日本人ながら米国カリフォルニア州に生まれ育った柴原は、エリート街道を歩んだ選手と言って差し支えないだろう。8歳から全米テニス協会(USTA)の支援を受け、幼少期から往年のトッププレーヤーであるキンバリー・ポーらの指導を受けてきた。
ジュニアとしても常に国内トップクラスで、2016年にはUSオープンのジュニアダブルス部門を制している。得意なプレーは「サーブとボレー」。とくに、女子選手には珍しい高く弾むキックサーブは、彼女が最も自信を持つ武器だ。
高校卒業を控えた頃は、プロか大学進学かで悩んだ。だが、最終的には「大学で心身を鍛えたい」との狙いもあり、名門UCLAに奨学生として進学する。そして、2年生を終えた時点で機は熟したとばかりに、プロに転向した。
「東京オリンピックに日本人として出場したい。東京に住む祖父母にプレーする自分の姿を見せたい」
その思いから、現在は国名登録も日本にしている。
そのように、異なる道を歩んだ青山と柴原の行路が重なったのは昨年4月。フロリダ開催のツアー大会会場に、青山は本戦選手、柴原は当落線上の「補欠」として足を運んだ時である。
結果的に柴原の大会出場はならなかったが、この時、会場とホテル間のシャトルバスでいつも一緒になったのが青山だった。まずは挨拶をし、言葉を交わしていくうちに、柴原は青山を「すごく優しくて話しやすい」先輩として慕っていく。そしてある時、思い切って「機会があったら組んでください!」と申し出た。
その時は青山には当面のパートナーがいたため、すぐに実現の話には至らない。それでも、「一緒に出られそうな大会はありませんか?」と柴原は尋ね続けた。
願いがようやく叶ったのは、昨年7月のサンノゼ大会。その初めて組んだ大会で、ふたりはいきなり準優勝の結果を残す。後衛からも攻められる柴原のストローク力と、圧巻の機動力を誇る青山のネットプレーは、最初からカチリと噛み合った。
その後もふたりは複数のツアー大会でペアを組み、10月の天津オープンでは決勝で日比野菜緒/加藤未唯組との日本人決戦を制して初優勝。その翌週にはモスクワ開催のクレムリン・カップで、またも頂点へと駆け上がった。
この2大会連続優勝で、青山のランキングはキャリアハイの26位に到達。柴原は年頭の576位から31位へと驚異のジャンプアップを果たした。この頃には明確に言葉にしなくとも、翌年もふたりで組もう、オリンピックを目指そうとの意思は共有できていたという。
多くのパートナーと組んできた青山は、キャリア最高とも言える結果を柴原と残せている理由を、「一番大きいのは、ふたりでちゃんとコミュニケーションを取り、ふたりでダブルスをできていること」だと分析する。
「大事なポイントで何をしたいかをしっかり話しあえるので、プレーに迷いがなくなる。ミスしても理由を共有できるので、気持ちも切り替えられるし、そうすることで次のポイントを取れる可能性も高くなる」
それは小さな推進力ではあるが、積み重ねると最終的に大きな差になると、青山は言う。これまで細部を磨くことに妥協せず、着実に歩みを進めてきた青山らしい、ダブルスの到達点にして哲学だ。
テニスのオリンピック出場資格は基本的に世界ランキングで決まるため、ふたりが出られるかどうかは今後のツアーでの結果にかかってくる。
ただ青山は、出場ラインに拘泥(こうでい)することなく、「今はグランドスラムでしっかり勝って、ランキングを上げていくのが目標」だと明言。柴原も「私もオリンピックがゴールですが、毎週毎週、その大会に集中し、ベストを出せるようにしています」と、先輩の言葉に続いた。
「青山さんとなら、メダルも取れると感じている」と、希望に目を輝かせる柴原に、「常に優勝を目指しているが、それにプレーが完全に伴っていない状況。どうやったらもっと強くなれるかを、ふたりで話して取り組んでいきたい」と、地に足つける青山。
プレースタイルも歩んできた道も異なるふたりが今、足並みを揃え、同じ目的地へと邁進する。