PLAYBACK! オリンピック名勝負―――蘇る記憶 第19回いよいよ今年7月に開幕する東京オリンピック。スポーツファン…
PLAYBACK! オリンピック名勝負―――蘇る記憶 第19回
いよいよ今年7月に開幕する東京オリンピック。スポーツファンの興奮と感動を生み出す祭典が待ち遠しい。この連載では、テレビにかじりついて応援した、あの時の名シーン、名勝負を振り返ります。
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オリンピックの男子体操で、日本で最初に金メダルを獲得した選手は、1956年メルボルン五輪、鉄棒の小野僑だ。この時は、団体、小野の個人総合、種目別のあん馬などで銀メダル5個、銅メダル5個も獲得した。

2004年アテネ五輪体操男子団体で、6大会ぶりの金メダルを獲得した日本選手たち
60年ローマ五輪では、団体を含めて金4個、銀2個、銅3個を獲得し、76年モントリオール五輪までは団体5連覇を達成。84年ロサンゼルス五輪でも個人総合と種目別で金3個を獲得して、"体操ニッポン"の力を世界に見せつけた。
ところが、88年ソウル五輪(銅2個)と92年バルセロナ五輪(銀1個、銅2個)と少なくなっていき、96年アトランタ五輪以降はメダルに届かない状況に陥ってしまった。
それでも、03年の世界選手権では団体と個人総合で銅メダルを獲得し、種目別では2個の金メダルを獲得。04年アテネ五輪に向けては、強さを取り戻しつつあった。当時のチームを牽引したのは、その世界選手権個人総合で銅メダルを獲得した冨田洋之と、種目別のあん馬と鉄棒で金メダルを獲得した鹿島丈博。アテネ五輪で狙っていたのはもちろん、"体操ニッポン"復活の証である6大会ぶりの「団体戦金メダル」だった。
滑り出しは順調だった。8月14日の予選は6人中5人が演技を行ない、得点の高い4人の点数が採用される形式だ。冨田と、もうひとりのオールラウンダー、米田功が全6種目に挑戦した。最初の跳馬を38.412点でスタートすると、次の平行棒と鉄棒では38.924点と39.049点と、全体1位の得点を出した。ゆかは3位で、あん馬とつり輪は2位。安定感を見せた日本は、合計232.134点の1位通過で決勝進出を決めた。
2位には前年の世界選手権2位のアメリカが1.175点差で続き、3位は2.115点差のルーマニア。前年の世界選手権王者で、今回の五輪最大のライバルと目されていた中国は、2.672点差の229.507点で4位という予想外の結果だった。
2日後の決勝は、やや不安を感じさせる滑り出しになった。決勝は予選と違い、各種目で3人が演技をし、そのすべてが得点に反映される。つまり、ミスは許されない。日本はアメリカ、ルーマニア、中国と共にゆかから競技を開始し、他の4カ国は鉄棒から演技を開始した。
ゆかは、予選で共に全体4番目の9.725点を出していた米田と塚原直也、中野大輔の3人が演技をした。塚原と中野がミスをして、9.312点と9.412点。米田も9.587点で合計は28.311点。一方、アメリカは3人とも9.7点台を出してトップに立ち、日本は0.826点差を付けられた。鉄棒から始めた4カ国と合わせると、日本は7位という順位からのスタートになった。
だが、日本は次のあん馬ですぐに巻き返した。共に予選の得点よりは低かったものの、塚原が9.650点を出すと、冨田も9.675点。そして鹿島は9.750点を記録して合計29.075点。アメリカとルーマニアに次いで3位に浮上した。ライバルの中国は、最初のゆかでミスを連発。日本とは1.000点の差が開き、あん馬では29.299点を出したものの、追い上げきれない状況になった。
日本はさらに、つり輪でも冨田の予選を上回る9.787点を筆頭に、塚原も予選以上の9.712点を出し、水鳥寿思も9.625点と高得点を連発。アメリカはひとりがミスをして得点を伸ばせず、ついに日本はルーマニアに0.425点差の2位に上げた。
このつり輪だけに出場した水鳥は、
「つり輪がいちばん苦手だったけれども、日本チーム全体が少し苦手にしていた種目なので、自分が貢献できるとしたらこれしかないと思って練習してきました。以前に比べればだいぶ腕も太くなったし、今まででいちばんいい演技ができたと思います」
と、納得の笑みを見せた。
次の跳馬では、スペシャリストのマリアン・ドラグレスクを擁するルーマニアに0.188点突き放されたが、鹿島と冨田、米田がしっかりと9.6点台と9.5点台を出して食らいついた。そして平行棒では、予選では少しミスのあった鹿島が9.737点を出すと冨田は9.700点、塚原も9.575点、と全員がミスのない演技でまとめた。
最後の鉄棒を残したこの時点でルーマニアが144.422点でトップに立ち、日本は144.359点で2位。平行棒で追い上げてきたアメリカが、144.297点の3位。4位の韓国は1点以上の差が開いていたため、メダルは0.125点差で競り合うこの3カ国が確実になった。あとは、どの国がどの色のメダルを獲得するかの争いだ。
鉄棒は、予選で米田が全体トップの9.800点を出し、ほかの4人も9.7点台を出して1位になっている日本の得意種目だ。それに対して、アメリカは予選5位、ルーマニアは7位に終わっていた。日本チームの加納実監督が「ルーマニアは落ちてくるだろうと思っていた」と言うように、最初に演技をしたルーマニアはマリウス・ウルジカが9.775点を出したものの、続くふたりは8.912点と9.275点。6種目合計では172.384点に終わり、優勝争いから脱落した。
次のアメリカは、加納監督も強さを認めている強豪チームだ。この日は爆発的な力を発揮するには至らなかったものの、3人が9.7点台を並べてくる力は十分にあった。案の定、モーガン・ハムは攻めの演技を見せて予選を上回る9.762点を出してきた。だが、前年の世界選手権個人総合優勝のポール・ハムとブレット・マクルアは、共に予選では10.00だった構成の価値点を9.70点に落としてくる安全策を取り、9.4点台の演技で合計を172.933点にした。これで、アメリカの銀メダル以上が確定した。
先に演技を終えたアメリカを日本が上回るためには、3人が平均して9.525点を出さなければいけない状況だった。離れ業もある鉄棒だからこそ、ひとりでも落下などのミスをすれば、金メダルが遠ざかってしまう。
演技に挑んだのは、予選で全選手最高の9.800点を出した米田と、9.737点の鹿島、9.775点の冨田だった。「鉄棒は得意だから少しは安心していたが、最後まで何があるかわからないので大きなプレッシャーがかかっていた」と言う加納監督が、「鉄棒では絶対に失敗しない選手」と信頼して送り出した3人だった。
トップバッターは米田。「最初のゆかの前はすごく緊張してやりたいことを何もできず、気持ちを落ち着かせるので精一杯でした。でも、鉄棒の前は『ここが勝負だ』と演技をする前から思っていたので緊張しなかったし、アメリカのふたりが失敗したので『これなら行ける』と思いました」と言うように、9.787点を記録してあとに続くふたりを勢いづけた。
次の鹿島は「鉄棒に入る前から米田は完璧に決めると思っていたけど、そのとおりにやってくれました。緊張はしたけれども、自分たちにできることをやるしかないので演技に集中し、着地も今までやってきたことが決まりました」と振り返るとおり、最後もピタリと決めて9.825点。優勝を大きく手元に引き寄せた。
最後の冨田は「演技に入る前は『絶対に最後まで(やり)通す』と思っていました。コールマンが不安だったけど、まずは(鉄棒を)持つことを考えました」と言う。
加納監督は、平行棒が終わった時に携帯電話で付き添いのコーチへ連絡を取り、最終演技者の冨田に、価値点が10点の演技内容を9.9点に落として安全に行くよう指示を出していた。だが、8.962点以上を出せば優勝という状況だったにもかかわらず、冨田は価値点を落とさずに挑んだ。
最初のゆかだけに出場した中野は「冨田さんのコールマンが決まった時は鳥肌が立ちました」と言う。その離れ業をダイナミックに決めて完璧な演技で終えた冨田は、着地もピタリと決めて両手を突き上げた。得点は、全選手中最高の9.850点。彼の完璧な演技、そして鉄棒の上位3位までを日本勢が占める攻めの姿勢は、6大会ぶりの男子団体制覇に花を添えるものだった。
2000年シドニー五輪にエースとして出場した塚原は、今回の大会前に鉄棒でミスが出ていたため、その予選に出ることができず、個人総合で戦う権利を失っていた。その塚原は、「団体戦は体操競技の中でもいちばん大きな存在だと思います。ほかの種目は、あくまでもそこに付いている、という感じ。今回は団体の金メダル獲得がチーム最大の目標でした」と話した。
加納監督も「選手たち全員が、団体戦で金メダルを獲りたい、という気持ちになってくれた成果です。プレッシャーにもぜんぜん動じていませんでした。最終演技者の冨田でさえ、最も重圧のかかる場面で着地をピタリと決めましたから。それを見ていた私は、脚が震えましたけど......」と言って笑顔を見せた。
この勝利でひと息ついてしまったのか、2日後の個人総合では冨田は6位、米田は11位に止まった。
だが日本は、1カ国最大2枠で8名のみが出場できる種目別決勝では、ゆか、あん馬、平行棒、鉄棒に2名ずつ、つり輪に1名が出場した。そして冨田が平行棒で銀メダル、あん馬では鹿島が、鉄棒では米田が銅メダルを獲得した。
アテネ五輪は"体操ニッポン"の復活を強く印象づけた大会だった。