9月のMGC(マラソン・グランド・チャンピオンシップ)で、東京五輪のマラソン代表の2枠は、前田穂南(天満屋)と鈴木亜由子(日本郵政グループ)が勝ち取っている。残り1枠を争うMGCファイナルチャレンジとして、女子は昨年12月のさいたま国際マラソン、1月の大阪国際女子マラソン、3月の名古屋ウィメンズマラソンの3レースが設定された。



MGC4位の悔しさを晴らす快走で、東京五輪に一歩近づいた松田瑞生

 そして1月26日に開催された2レース目の大阪国際で、松田瑞生(ダイハツ)が期待どおりの走りを見せ、3枠目の第一候補に躍り出た。

 松田は、MGCでは本命のひとりとして臨んだが、最初のペースが想定以上に速く、うまく対応できないまま4位に終わっていた。その松田にとって、大阪国際は地元開催であるとともに、初マラソンだった2018年に2時間22分44秒で優勝している相性のいい大会だ。

 今回は代表内定となるファイナルチャレンジ設定記録が2時間22分22秒以内ということで、レースはペースメーカーが1km3分20~21秒で引っ張る予定だった。レースは出だしから、ペースメーカー5人のうち12kmまで走る予定だった新谷仁美(積水化学)が設定より1~2秒速いペースで引っ張り、最初の5kmは16分36秒、次の5kmは16分31秒と、ハイペースになった。

 この設定記録は松田自身、18年9月のベルリンマラソンで出した2時間22分23秒よりも1秒だけ速いタイム。松田はこう考えて走っていた。

「自分を超えることが最大の目標だったので、ほかの選手は眼中になかったというか……。ほかの選手を気にしていたら自分の走りができなくなるので、自分のレースに集中していたというのが大きい」

 ペースメーカーの斜め後ろにピタリとつき、ときにはペースメーカーを煽るような雰囲気も見せる走りには、少し気負いもあるように感じた。しかし、レース後に聞いてみると、松田は真逆の感覚を抱いていた。

「私のチームにもペースメーカーがいて練習では一緒に走るけど、斜め後ろについて走るのが一番好きなので、(今日も)その位置にベタづきしていたんです。でもペースに関しては『新谷さん、速い、ちょっと速い』と思っていました。『もうちょっと(ペースを)落として』と言ったけど、新谷さんは『いいよ、いいよ、余裕だよ』と言って、そのままだったので、『落ちひんやん、速い』と思って走っていました」

 笑いながらこう話した松田だが、ハイペースでも不安は芽生えなかったと言う。それは、2時間19分12秒の日本記録を目指す走りをしなければ、設定記録を突破することはできないと考えていたからだ。

「たしかに序盤は余裕があったけど、ずっと速いペースだと脚がきつくなったりするし、ハーフを超えてからきつくなるのは自分でもわかっていました。だから『このまま行けるかな?』という不安はあったんですけど、レース前に、私が月間1300km走ったと高橋尚子さんに言った時、『それだけ走ったということは、後半に絶対に生きてくる』と言ってくれたのが頭に浮かんできて。『このままのペースでいったら逆にいいタイムが出る』と思って、プラスに考えるようにしたんです」

 ダイハツの山中美和子監督は試合を笑顔でこう振り返る。

「正直、大会前の練習も原点に戻って少し流れを変えたところもあったので、不安半分。調子がよくなっていたので期待半分でした。でもスタート直後の動きを見て調子が上がっているなと感じたので、少し安心してレースを見ることができました。練習でペースメーカーと一緒に走っている時も少し前に出ることがあるので、いつもどおりかなと思って見ていました」

 MGCの前は、標高約1600mのアルバカーキよりも、さらに標高が500mほど高いフラッグスタッフで2カ月間ほど負荷の大きい練習をしていた。結果、疲労が溜まっていたのか、帰国してからもむくみが取れず、脚がすっきりしなかった。そのため、今回は強度の高い練習は前倒しして行ない、疲労を抜く期間を少し長めに取るなど、微調整をしてきた。それがピタリとハマった。

「今回は(5km)16分半でいっても余裕があったところがよかったですね。『こんなに余裕があるんや』と思いました。それに早めにフォームとリズムがハマったので、『このリズムならいけるかも』と。ハーフを通過した時は自己ベストだったので『速すぎない?』と思ったけれど、『このままだったら22分22秒には相当余裕があるな』と思ったし、30kmまでは相当速いペースだったので、『これならいける』と思いました。

 ただ、30kmを超えてからは本当にきつかったです。1kmがものすごく長くて……。35kmから40kmが17分25秒に落ちているのを見て、『ヤバッ』と声を出していました」

 それでも30kmからは独走状態。2位に53秒差をつける、日本歴代6位の2時間21分47秒でゴールした。3月8日の名古屋ウィメンズマラソンに出場する選手にとって、この松田の記録は上回るのが難しい高いハードルと言える。

 日本陸連の瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダーは「今回は、日本記録を出すくらいの力がなければ勝ち切れなかったと思う。(名古屋ウィメンズマラソンでは)2時間20分台の力を持っている選手でないと、この記録は抜けないと思う」と評価する。

 まだ確定はしていないが、東京五輪へ向けて松田はこう語る。

「暑さには強いので不安はないですが、今のタイムでは、世界のトップは遠いと思う。日本新記録を出さないと世界のトップレベルとは戦えないかなと思っているので、今のままでは終わりたくない。今回の結果は19分台や日本記録を目指して走ったからこその結果だと思います。だから今より上の舞台を目指して走れば、今回よりもっといい記録が出るのではないかと思うので、目標をさらに上に定めたいと思います」

 MGCは「勝利を狙うレース」だったが、今回は「記録を狙うレース」。今回、松田が日本記録をターゲットにして走った意味は大きい。2008年北京五輪以降の日本女子マラソンの低迷は、そんな選手が出現してこなかったことに原因があるからだ。

 日本の女子マラソンのレベルが、まだ2時間25分台終盤から26分台だった98年、高橋尚子が気温30度前後のアジア大会で、当時の世界歴代2位の2時間21分47秒を出した。この記録を受けてほかの選手たちの意識も変わり、00年シドニー五輪を狙う選手たちはこぞって「2時間20分を突破しなければ代表になれない」という危機感を持った。そして、最初から16分30秒台で突っ込むレースをするようになったことで、2時間22分56秒の弘山晴美でさえ代表になれないハイレベルの戦いが続いた。その結果、競争が激化したことで選手の強化が進み、その後の日本女子マラソンは隆盛を極めたのだ。

 00年のシドニー五輪では、高橋が2時間23分14秒の五輪記録で金メダルを獲得。その4年後のアテネ五輪では、野口みずきが優勝、土佐礼子が5位、坂本直子が7位と3人全員が入賞する快挙も果たした。

 今回の松田の記録は、奇しくも高橋がアジア大会で出したものと同じ。高橋の時と同じように、松田の走りが、あとに続く選手たちに日本記録に挑戦する勇気を芽生えさせる契機になったはずだ。