向正面から世界が見える~大相撲・外国人力士物語第6回:蒼国来(3) 2003年秋場所(9月場所)、中国の内モンゴル自治区出身として初めて、土俵を踏んだ蒼国来。日本式の相撲は未経験だったものの、抜群の運動神経と筋肉質の体を武器にして番付を…

向正面から世界が見える~
大相撲・外国人力士物語
第6回:蒼国来(3)

 2003年秋場所(9月場所)、中国の内モンゴル自治区出身として初めて、土俵を踏んだ蒼国来。日本式の相撲は未経験だったものの、抜群の運動神経と筋肉質の体を武器にして番付を上げ、2010年秋場所、新入幕を果たした。

 ところが翌年4月、八百長疑惑によって、引退勧告を受けることに……。それを不服とした蒼国来は、2年以上にわたり、潔白を訴え続けた。

 そうして、裁判を経て、その訴えはついに認められ、2013年名古屋場所(7月場所)で土俵復帰。以降、現役力士として奮闘し、2017年初場所(1月場所)では、技能賞を受賞した。36歳になった今も、玄人受けする相撲で土俵を沸かせている蒼国来の、波乱万丈の相撲人生に迫る――。

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 2011年の大相撲八百長問題によって、私は人生のどん底へと突き落とされました。八百長に関与したとして、相撲協会から引退勧告処分を受けたのです。

 それは、まさに寝耳に水でした。私は、八百長などはしていないので、処分に応じるつもりはありませんでした。ですから、引退届も出しませんでした。

 ほかに引退勧告を受けた力士たちは、次々と引退届を出して、相撲界から去っていったので、私のこうした態度は、協会としては目に余るものだったのでしょう。処分はさらに重くなり、解雇処分を言い渡されてしまいました。

 私は、力士としての地位保全と給与の支払いを求める仮処分申請をし、2011年6月に一旦相撲協会と和解しました。それで、幕内力士の月給にあたる金額が私に支払われることになったのですが、土俵に上がることは認められず、私は力士として宙に浮いたような存在になってしまったのです。

 身分的には幕内力士でありながら、土俵で相撲を取れない。「本当に相撲が楽しい」と感じていた時期に巻き込まれてしまったこの事件――。私は、もう言葉も出ないような状態になっていました。

 今だから話せることなのですが、処分を受けてしばらくは、荒汐部屋での生活を続けていました。親方が「ここ(部屋)にいてもいいから……」と言ってくださったので、甘えていたのです。

 でも、相撲協会と裁判になったということで、「なんで裁判をしている力士を部屋に置いているんだ?」という感じで、親方が協会の幹部の人たちから呼び出しを受けたりもしていたんですね。

 それでも庇ってくれる親方に対して、私はこれ以上迷惑をかけられないと思いました。だから、親方にこう言ったんです。

「裁判の結果が出るまで、部屋を出ます」

 こうして、私は荒汐部屋を後にしました。

 東京から離れた、誰もいないところに居を構えて、そこから毎週のように、裁判の相談で弁護士さんのところに通いました。2カ月に1回は裁判があったので、いろいろなことを自分で勉強しなければ……とも思っていましたしね。

 数カ月が経ち、心がだいぶ落ち着いてきた私は、日野自動車のラグビー部でトレーニングをさせていただくことになりました。もちろん、裁判が無事に終わって、土俵に復帰する時のために、です。

 だけど、いつ終わるのかわからない裁判に加えて、復帰が決まっているわけでもない状況のなかでのトレーニングは、心が折れそうでした。

 一方で、こうした私のために、両国国技館の周辺で、「蒼国来土俵復帰」のための署名活動が行なわれていることも知っていました。また、私を応援してくれる有志の方々が、私の気持ちが折れないようにと、月に1回、30~40人が集まって「蒼国来を囲む会」をやってくれていたんです。ありがたかったですね。

 日野自動車ラグビー部の人たちにも、本当によくしてもらいました。ニュージーランド出身の選手に、タックルのための胸を出したり、みんなとグラウンドを走ったり、筋トレをやったり……。力士とラグビー選手とでは使う筋肉が違うので、当然全部のトレーニングにはついていけないんですが、できることはすべてやっていました。

 グラウンドからは、富士山が見えるんですよ。ここには内モンゴルを思わせる、雄大な自然がある。グラウンドに腰を下ろして、富士山を見ながらストレッチをしていると、癒されていく感じがしました。

 ラグビー部でのトレーニングは半年くらい続けました。ところが、トレーニングのやり過ぎで足が腫れてしまい、治るまで1カ月近くを要することになってしまって……。一旦、トレーニングを中断せざるを得なくなったのです。その際、親方には「やり過ぎだ!」と叱られましたよ(笑)。

 私の解雇が「無効」という判断が出たのは、2013年3月のことです。そこから、相撲協会との話し合いを経て、7月の名古屋場所(7月場所)から土俵に復帰できることが決まりました。

 荒汐部屋に戻って、2年ぶりにまわしをつけました。この2年の間、私は相撲の稽古は一切していません。トレーニングをしていたとはいえ、さすがに両足をはじめとして、全身の筋肉が落ちている感覚がありました。

 周囲からの評価も厳しくて、「2年も稽古していないんだから、蒼国来は三段目くらいの力しか残っていないんじゃないか?」といった声も聞かれました……。

 自分の中では、「何とかもう一度、関取でがんばれるんじゃないか?」と思っていましたが、やっぱり現実は厳しかったです。復帰場所から3場所連続で負け越して、2014年初場所(1月場所)では十両の下のほうまで番付を下げてしまいます。

 でも、そこから私は這い上がりました。夏場所(5月場所)で再入幕し、自分の力で幕内の座をつかんだのです。

 休んでいた2年は、自分の人生の中で、ものすごく勉強になった時間でした。相撲が強くなるだけじゃなく、人間として大切なことを教えてもらって、心を激しく打たれるほど、いろいろな人に応援してもらったことは、私の財産です。

 今度は、私が相撲で恩返しをする番だと思いました。

 相撲勘も少しずつ蘇ってきた私は、2017年初場所、幕内の土俵で12勝を挙げる大勝ち。この場所は15日間、本当に気持ちよく相撲が取れました。そして、初めての技能賞受賞というオマケまでついてきました。

「オレだって、技能賞なんてもらったことないんだぞ。三賞の中でも、獲りたくでも獲れない賞だからな」




苦悩の2年間を乗り越えて、再び相撲界で奮闘している蒼国来

 親方には本当に喜んでもらいました。この場所は、高安や御嶽海にも勝ったんですよ。

 2018年に入ると、足を骨折したこともあって、幕下に陥落。けれども、九州場所(11月場所)で幕下優勝を果たして、また十両=関取の座に戻りました。

 荒汐部屋は今、十両・若隆景ら「大波三兄弟」の活躍で、とても活気づいています。また、多くの外国人観光客が稽古見学に来ることでも有名になっています。

 テレビや雑誌でご覧になった方もいるかもしれませんが、一緒に暮らしているネコ「モル」もいます。「モル」というのはモンゴル語で「ネコ」という意味で、実は私が名付け親なんですよ。

 この1月で、私も36歳。現役力士としての時間は少なくなってきていますが、将来は、私を見出してくれて、あきらめずにずっと見守ってくれた荒汐親方のような指導者になれたらいいな……と思っています。

(おわり)

蒼国来栄吉(そうこくらい・えいきち)
本名:エンクー・トプシン。1984年1月9日生まれ。中国・内モンゴル自治区出身。荒汐部屋所属。玄人好みの取り口と実直な人柄で根強い人気を得ている。少年時代は、放牧生活を営む実家で、馬や牛、羊、山羊、犬に囲まれて育つ。昨年9月に日本国籍を取得。2020年初場所(1月場所)時点での番付は、十両10枚目。