パラ陸上の100メートル走と走り幅跳びで、東京2020パラリンピックを目指している小須田潤太さん。21歳の時に交通事故に遭い、右脚の大腿部を切断したことがきっかけで、24歳の時にパラ陸上を開始。現在は、不動産会社のオープンハウス・ディベロ…

パラ陸上の100メートル走と走り幅跳びで、東京2020パラリンピックを目指している小須田潤太さん。21歳の時に交通事故に遭い、右脚の大腿部を切断したことがきっかけで、24歳の時にパラ陸上を開始。現在は、不動産会社のオープンハウス・ディベロップメント法人事業部大阪法人部に勤めながら、大阪体育大学陸上競技部の練習に参加し、トレーニングを行う日々を過ごす。陸上との出会い、今後の目標などについて話を聞きました。

取材・文/斎藤寿子

現在、来年の東京パラリンピック出場を目指している小須田潤太さん。練習に専念できる環境を求め、2016年9月にオープンハウスに転職。そのきっかけと経緯はどういうものだったのだろうか。

以前の会社では事務職員として勤めていた小須田さん。勤務形態はほかの社員とまったく同じ。そのため本格的に競技を始めようとした時に、練習時間の確保と費用を工面する方法が大きな問題として浮上した。

そこで、できるだけ良い条件の職場を探すため、転職活動を始め、不動産会社のオープンハウスへの内定が決定。同社としては、初めてのアスリート採用だった。入社当初は、東京で週5日の通常勤務をする傍ら、競技をするための費用をスポンサードしてもらい、大会に参加する際には出勤扱いの特別手当が充てられた。

しかし、2019年4月には大阪支社法人営業部に異動。それは小須田さんの希望で、きっかけは練習を共にしていた山本篤さんからの誘いだったという。

「実は『一緒に大阪で練習をしないか?』と声をかけていただいたんです。入社したばかりなのに異動を希望するのはどうなのかなと思ったのですが、会社に相談をしたところ、自分の思いを理解していただくことができました」

それは、オープンハウスの理念が大きく関係している。マーケティング本部企画部の矢澤曜さんはこう説明する。

「弊社はその社員が活躍できる場を提供したいというのが一番にあります。小須田さんにとって、大阪が一番輝ける場所であるなら、ぜひそこに行って活躍してもらいたいと考えました」 さらに、より競技に専念できるようにと勤務形態も替えてもらった。これまで9~18時だった勤務時間は9~14時に短縮され、夕方からは山本さんと同じく大阪体育大学陸上競技の練習に参加している。

「尊敬する方と練習できるというのが、一番の魅力で大阪に移ったのですが、大学の陸上部の選手たちと一緒にやれるというのも自分にはすごく合っているなと思っています。一緒に頑張る仲間に刺激をもらいながら、日々トレーニングに励んでいます」

現在では、競技に専念することのできる“アスリート契約”を求める選手が多い。それでも仕事と競技との両立を選択したのはどんな理由だろうか。

「すべての時間を競技に使えるというのは、確かに良いと思います。でも、今の私は選手としてはまだ完全には方向性が固まっていない段階。いろいろと模索することも多い。なので、今は働きながら競技を続けられる環境というのがベストだと思っています。それに自由って一見いいように思えて、実はコントロールするのが難しい。その点、毎日決まった時間にやるべきことがあるというのは、自然と規則正しい生活を送ることができ、メリハリもあって自分には合っているなと思っています」

オープンハウスでは毎朝社内朝礼があり、毎週木曜日にはテレビ中継を活用して全社での朝礼が行われる。そこでは、全国約2700人の社員が社長の訓示を受ける。その社長からの言葉は、仕事はもちろん競技にも通ずるものがあり、毎週のように小須田さんの心に響いているという。なかでも最も影響を受けた言葉は、<目標を明確に持て。曖昧さに逃げるな。>で、ビジネスマンとしてもアスリートとしても常に心掛けている。 現在、小須田さんの世界ランキングは、100メートルで11位、走り幅跳びで6位(2019年12月31日時点)。いずれも山本さんに次ぐ日本人2番目の成績。2020年3月のドバイでの国際大会に出場する予定で、そこで自己ベスト更新を狙い、さらにランキングを上げて東京パラリンピック出場を目指す。

オフシーズンで最も重点的に強化を図っていたのが、義足側の筋力アップだ。

「山本さんと比べても、背筋など自分の方が強い部分も結構あります。でも、義足側の筋力と体幹の強さは、比較にならないほどの差があります。特に臀部から切断面にかけての義足側の筋力。そこはやっぱり山本さんが10年以上もかけて鍛え上げてきた部分で、自分とはまったく違いますね」

フィジカルも技術もまだ発展途上。だからこその伸びしろも感じてもいる。加えて2017年からはパラスノーボードも行っており、強化指定選手の小須田さんは2022年北京パラリンピックも目指している。

「まだ追いつくことさえもできていませんが、ゆくゆくは陸上で山本さんを、そしてスノーボードでは小栗大地さんを抜いて日本のトップに立ちたいと思っています。そして、夏冬両方のパラリンピックでメダルを獲得することが最大の目標です」

挑戦することに怖さを感じることなく、新しい世界に足を踏み入れていく小須田さん。仕事と競技との充実した生活で、目標を達成していく。

(プロフィール)
小須田潤太(こすだ・じゅんた)さん
1990年10月生まれ、埼玉県出身。21歳の時に交通事故に遭い、右脚の大腿部を切断したことがきっかけで、24歳の時にパラ陸上を開始。天皇陛下御即位記念2019ジャパンパラ陸上競技大会100メートル2位(13.65 秒/自己ベスト)・走り幅跳び 2位(5.64メートル/自己ベスト)。現在オープンハウスの社員として働きながら、2020年東京パラリンピックを目指す。更に、パラスノーボード強化指定選手にも選ばれ、2022年北京冬季パラリンピック出場も目標としている。

※データは2020年1月22日時点