PROFILE 内海知秀(うつみ・ともひで)1958年12月7日生まれ、青森県出身。能代工、日本体育大を経て、日本鉱業で活躍。引退後の1988年に札幌大で指導者としてのキャリアをスタートさせた。2003年、JXでの手腕を評価され女子日本代表…

PROFILE 内海知秀(うつみ・ともひで)
1958年12月7日生まれ、青森県出身。能代工、日本体育大を経て、日本鉱業で活躍。引退後の1988年に札幌大で指導者としてのキャリアをスタートさせた。2003年、JXでの手腕を評価され女子日本代表監督に就任し、アテネ五輪を戦う。JX-ENEOSを経て2012年に日本代表監督に復帰。4年がかりで強化したチームを率いてリオ五輪を戦い、ベスト8進出を果たした。

行き当たりばったりでは強くなれない

──リオ五輪で日本のプレースタイルが見えてきた印象があります。

内海 確かに他国とは異なるバスケットスタイルをしていると言えます。それが日本のバスケットと言えば日本のバスケットなのでしょう。日本が世界で戦う時に、自らの利点をどう出すべきか。身長が小さいのだからスピードで勝負するのは当たり前の話です。その中でリオに向けて強化したのは、一発目のチャンスでシュートを決めきること。その力を付けなきゃダメだと言い続けてきました。ハーフコートで、相手の5人も戻って来ていて、ディフェンスの態勢が崩れてない中で戦うのは厳しい。ファストブレイクでの得点はもちろん、ファストブレイクからセカンダリーブレイクの中で得点を取っていく。さらにはファストブレイクの中に2対2を絡めてアウトナンバーを作り、シュートに持っていく。そうした部分を多く練習してきたつもりです。例えば吉田亜沙美がファストブレイクでボールを運び、渡嘉敷来夢や間宮佑圭がコートの中央を走る。そうするとディフェンスがおのずと寄ってくるから栗原がフリーになって、シュートが打てる。後はそれを決めきれるかどうか。今回はそれを決めきれた。そこまでいって初めて「日本のバスケットスタイル」だと思うんです。単にトランジション(攻守の切り替え)が速いだけじゃなくて、速さの中に組織的なプレーを組み込んで、いかにシュートを決めきれるかが日本のバスケットスタイルなんです。

──ディフェンスからのトランジションは、内海ヘッドコーチが常々おっしゃっていた戦略です。現時点での最終形が見えてきました。

内海 ロンドン五輪のOQTで一番感じたのはコンタクトの強さでした。特にディフェンスでのコンタクトは欠かせない。身長が低い上にコンタクトがなかったら、余計にやられてしまいますからね。そこはすごく強調してきたつもりです。だから私の頭の中では2014年の世界選手権が最後ではなかったんです。最終ゴールと言うべき五輪出場のためにどうするか。つまり、オリンピックのアジア大陸予選でライバル中国に勝つためには、コンタクトの強さが絶対に欠かせない。特に大きい選手にはインサイドでのコンタクトをしっかり経験させなければいけない。それをやり続けてきた自負はあります。そこにトム(・ホーバス)が加わり、コーリー(・ゲインズ)を呼んで新たな形を増やしていった。(ハーブ・)ブラウンが来てディフェンスを見てもらい、(ジェリー・)ダンにもゾーンディフェンスを見てもらいながら、いろんな戦術をチームに植え付けていきました。ゾーンの中でマンツーマンに通用するところがあるかなど、一つのきっかけから様々な発展もさせました。今回のチームは僕だけの力でできたものではなく、梅嵜(英毅)くんを含めた国内外のコーチ陣が、それぞれの知恵を出し合いながらできたチームだと思います。

──このチームはどこかで転換点を迎えて方向性を変えたというより、毎年の積み重ねでチームを作っていったわけですね。

内海 ヘッドコーチは一定期間の中でどうチームを作っていくべきかを考えるものです。特にナショナルチームでは活動期間中に休みを与えたり、所属チームに戻す期間があると、女子の場合ですが実際に活動できる期間は3カ月あるかどうか。ということは、やはり積み重ねをしていかないといけません。行き当たりばったりでは絶対に強くなれないんです。今回のチームについていえば、リオ五輪で中心になっていく選手、柱になるべき選手をしっかり育てていくことによって、最終目標へたどり着くという考えがありました。少なくとも私はそうやってチームを強化してきました。柱になるべき選手はケガを除いて絶対に外さなかったし、選手自身も責任を持ってどんどん伸びてきてくれました。

ブラジルに勝ってからは、次もいけるぞと

──予選ラウンドを3勝2敗で終えました。この結果について、どう思いますか?

内海 良かったですよ。通常、予選ラウンドで3勝2敗であれば2位もしくは3位通過です。それが今回は3チームが並んで、結果的に4位通過になってしまいました。12チームしか出られないオリンピックの予選ラウンドで3つ勝てるというのは、これはすごいことだと言っていい。

──大会前、「2勝3敗の4位」もあり得ると思っていましたか?

内海 それは十分ありました。当初「最低2勝はしたい」と言っていたのは、2勝すればなんとかベスト8に残れると考えていたからです。一方、組み合わせを見た段階で「2勝できないかもしれない」という思いがあったのも事実です。ですから初戦のベラルーシ戦にかける思いは相当なものでした。これに勝てば2勝、うまくいけば3勝もできると。だからベラルーシに勝った時は、ブラジルにもいけるなという思いも出てきました。ブラジルに勝ってからは、次もいけるぞと。今までなら「良い勝負ができればいいかな」と思っていたところが、だんだん「これなら絶対勝てる」という思いに変わってきたんです。

──内海ヘッドコーチの中にも確信のようなものが生まれてきた?

内海 そうです。この選手がこういう力を出したら、ここには勝てるっていう確信のようなものが芽生えてきましたね。