【月刊・白鵬】2020年・特別編(前編)

横綱・白鵬にとって、2020年は大事な年になる。
この年にかける熱き思いを、
まずは昨年の戦いを振り返りつつ、語ってもらった--。

 2020年の初場所(1月場所)がまもなく始まりますが、みなさんは、どんなお正月を迎えられたのでしょうか。

 私は年末年始、恒例となっている家族旅行に出かけて、4人の子どもたちとゆっくりとした時間を過ごすことができました。心からリフレッシュできたことで、年明けは1月3日から稽古に打ち込んでいます。



2020年初場所を前にして精力的に汗を流す白鵬

 さて、まずは2019年について振り返ってみたいと思います。

 昨年は、ケガに泣かされた1年でした。1月の初場所では、4日目の朝に横綱・稀勢の里が引退を発表し、鶴竜も6日目から休場。ひとり横綱となった私が、その責任を果たさなければいけなかったのですが、前半戦で痛めた足の状態が悪化し、14日目から無念の休場となってしまいました。

 続く春場所(3月場所)では、その無念もあり、また「平成最後の本場所を優勝で締めくくりたい」という思いが強く、かなり気合が入っていました。幸い、痛めていたヒザや足首の状態もよく、初日から14連勝と白星を重ねることができました。

 迎えた千秋楽。1敗で追う逸ノ城が迫っていましたが、私が結びの一番で鶴竜を破れば、通算42回目の優勝を決めることができます。

 ゆえに、私の中では「この一番で決める!」--そんな気迫がみなぎっていました。

 私もすでに34歳。体力的にも、優勝決定戦まで持ち込みたくない、という気持ちも少なからずありました。

 とはいえ、鶴竜との大一番は簡単には決着がつきませんでした。互いに譲らず、1分を越える熱戦となりました。そして、最後は私が下手投げで勝利。全勝で、場所前に掲げた目標を達成することができました。

 ただ、この一番で、私は右上腕を痛めてしまったのです。その瞬間、「あっ(筋が)切れたな」と、すぐにわかりました。

 強烈な痛みに襲われるなか、私は支度部屋に戻って、すぐさま患部をアイシング。何とか痛みを抑えようと試みました。しかし、その痛みは容易に収まるものではなく、脂汗が浮き出るなか、表彰式に臨みました。おかげで、天皇賜杯など、ひとりで受け取ることができませんでした。

 何としても勝ちたい、という気持ちが強すぎたんでしょうね。結果、この一番の代償は、かなり大きなものになってしまいました。

 元号が「令和」に変わって、初めての本場所となる夏場所(5月場所)。私は、休場という決断を下しました。

 平成から令和にかけての、ふたつの時代にわたって優勝を成し遂げる--というのは、私の夢のひとつでもありました。

 また、この場所では、私の内弟子にあたる炎鵬が新入幕を果たしたことで、横綱土俵入りが初めて自前でできる状況が整っていたのです(露払いの石浦、太刀持ちの炎鵬)。2人の内弟子たちのがんばりには頭が下がる思いですし、長年の夢だった自前での土俵入りも実現したかったのですが、私は治療に専念することを選択しました。

 それだけ状態がよくなかった、ということもありますが、ここで無理をして、この先にある大きな夢の実現をふいにしたくない思いもありました。

 6月に入ると、治療の効果があって、私の上腕は徐々に回復。力士を相手にした稽古も再開することができるようになりました。

 6月と言うと、私が所属する宮城野部屋では毎年、滋賀県長浜市で合宿を張ります。力士各々が稽古に励みますが、相撲をかじっている私の長男も参加したりして、例年は和気あいあいとしたムードのなかで行なわれます。

 でも昨年は、どうしてもやり遂げたい”ミッション”があって、例年とは違って、ピリッとした雰囲気にあったかもしれません。その”ミッション”とは、炎鵬を鍛えることです。

 2017年春場所、初土俵を踏んだ炎鵬。体重100kgに満たない体で奮闘し、わずか2年で幕内力士になりました。新入幕となった合宿前の夏場所では、6日目を終えて5勝1敗と、”小兵旋風”を巻き起こして、脚光を浴びました。

 けれども、後半戦に入ると、軽量のために息切れ。10日目から6連敗を喫して、まさかの負け越しという結果に終わってしまったのです。本人は、相当悔しかったと思います。

 千秋楽の取組を終えて部屋に戻ってきた炎鵬に対して、私はこう激を飛ばしました。

「幕内の土俵は甘くないだろ? 来場所で勝ち越すために、一緒に死ぬ気でがんばろう。もしおまえが負け越したら、オレは引退するから」

 最後のひと言は、炎鵬に、あえてかけたプレッシャーでした。

 そうして臨んだ長浜合宿。私は合宿初日から、炎鵬にガンガン稽古をつけました。炎鵬は泥だらけになりながらも、力を振り絞って立ち上がり、私に何度も、何度も向かってきます。幕内最軽量の炎鵬ですが、ガッツという点では、幕内トップクラスではないでしょうか。

 そんな厳しい合宿を経て、挑んだ名古屋場所(7月場所)。炎鵬は、14日目に見事勝ち越しを決めました。私も復帰場所で12勝を挙げて、まずまずの成績を収めることができました。

 一方、この名古屋場所では、実は少し寂しい出来事もありました。同場所を最後にして、私の大銀杏を長年結ってくださっていた床山の床蜂さんが、定年を迎えたのです。

 横綱・北の湖関をはじめ、名力士の髷を結い続けてきた床蜂さんとは、何でも話し合える仲でした。数年前くらいから、床蜂さんとは「オレの定年と横綱の引退、どっちが先かなぁ……」なんて話もしていたんですが、正直言って「私の引退のほうが先になるんじゃないか」と、不安になることもありましたね。

 しかし、先にもチラッと触れましたが、私には大きな夢が新たに芽生えました。その実現に向けて、ここまで踏ん張ってきました。その夢とは、2020年の東京オリンピックを現役力士として迎える、ということです。

 2年前に亡くなった私の父(ジグジドゥ・ムンフバト氏。レスリングの五輪メダリストで、モンゴル相撲の横綱)は、1964年の東京オリンピックにレスリングのモンゴル代表として出場しています。それから50年以上の時を経て、息子の私が日本で、しかも横綱として東京オリンピックを迎える--これこそ、まさしく奇跡だな、と思っています。

 私はこれまで、優勝回数、連勝記録、通算勝ち星数など、その時々で目標を掲げ、それに向かって精進してきました。そして、大きな目標のひとつであった、尊敬する大鵬関が持つ最多優勝記録(32回)を更新。さらに、私の父はモンゴル相撲で6年間頂点に立っていて、年間6場所ある大相撲で言えば、優勝36回に相当すると踏んで、その数字を新たな目標に定めてきましたが、それも達成すると、目標を失ってしまったような気持ちに陥ってしまいました。

 それが、東京オリピックを現役横綱として迎えるという、新たな目標を持つことで、私のモチベーションは再び息を吹き返したのです。

(つづく)