1月4日と5日、史上初の2日連続で行なわれた、新日本プロレス最大の祭典「WRESTLE KINGDOM」。それを締めくくる1月5日のメインイベントで、内藤哲也がオカダ・カズチカに勝利し、「IWGPヘビー級」と「IWGPインターコンチネンタル」の両タイトルを手にした。




1月5日のダブルタイトルマッチに勝利した内藤

“2冠”をかけた2日間の戦いは熾烈を極めた。1月4日のセミファイナル「IWGPインターコンチネンタル選手権」で、内藤は王者ジェイ・ホワイトと対戦。終始、ジェイの左膝への集中攻撃に苦しめられた内藤だが、最後はジェイの必殺技ブレードランナーを切り返し、逆に必殺技デスティーノからの片エビ固めでフィニッシュ。昨年9月にジェイに奪われた王座を奪還した。

 続くメインイベントの「IWGPヘビー級選手権」で、挑戦者・飯伏幸太を下した”絶対王者”オカダと相対した1月5日のダブルタイトルマッチ。前日の激闘でダメージが蓄積しているふたりの戦いは死闘になった。

 序盤、内藤は執拗にオカダの首を攻撃し、対するオカダもジェイに痛めつけられた内藤の左膝を攻める。その後も一進一退の攻防が続き、終盤のエルボーの打ち合いでは観客の声が会場に響き渡るなどボルテージは最高潮に達した。

 そして30分過ぎ、内藤の左膝を持ち上げてリングに落としたオカダは、苦悶の表情を浮かべる内藤に必殺技レインメーカーを4発打ち込む。攻撃の手を緩めずにダメ押しのレインメーカーを狙うが、内藤はデスティーノで切り返し、左膝をかばいながらスターダストプレスへ。これはカウント2で返されるも、最後はデスティーノでたたみかけて3カウントを奪った。

 これまで内藤は東京ドームでオカダに2連敗を喫していたが、3度目の正直で初勝利。試合後のマイクパフォーマンスで、2冠王者となった喜びを語った。

「日本中のお客さま、世界中のお客さま、”逆転の内藤哲也”を堪能していただけましたでしょうか。オレはこの東京ドーム2連戦のことを忘れることはないでしょう。この2本のベルトとともに前へ進みたいと思います」

 その「逆転」の言葉が象徴するように、内藤のプロレス人生は苦難の連続だった。

 若き日の内藤は、棚橋弘至、中邑真輔に続く新日本プロレスのエースとして期待され、自身も「20代でのIWGPヘビー級王座戴冠」を目標にしていた。しかし、それが叶えられぬまま30歳を迎えようとしていた2012年の1月、アメリカでの武者修行を終えて帰国したオカダが、当時のIWGPヘビー級王者だった棚橋に勝利。15歳でプロレスの世界に飛び込んだ当時24歳の天才に、目標としていたベルトをかっさらわれた。

 そんなオカダとの1度目の東京ドーム対決が実現したのは2014年のこと。IWGPヘビー級王者のオカダに、前年度に「G1クライマックス」を初制覇した内藤が挑戦することになった。中学時代からの夢でもある「イッテンヨン」のメインを飾るはずだったが……事態は思わぬ方向に動く。

 同大会の「ダブルメインイベント」として、中邑vs棚橋というインターコンチネンタル選手権も組まれ、試合順をファン投票で決めることになったのだ。結果、インターコンチネンタル選手権の得票数がIWGPヘビー級選手権を上回り、オカダvs内藤はダブルメインイベントの第一試合、実質の”セミファイナル”になってしまった。

 内藤は一連の流れを受けて、「新日本プロレスは、内藤にドームのメインを任せるのが不安なんだな、と思いました」とコメント。一部のオカダのファンからも「お前のせいでセミファイナルになったんだ!」という野次を浴び、心を痛めたという。

 失意のIWGPヘビー級選手権で、内藤はオカダに苦杯。翌月には、当時保持していた「NEVER無差別級」のベルトも石井智宏に奪われ、G1初優勝から半年を待たずして状況は暗転した。

 内藤に対してのブーイングが徐々にエスカレート。都内の会場で行なわれる大会を、毎回のように観戦していた内藤の母も、息子へのブーイングを聞くことに耐えきれなくなって足が遠のいていった。当時、古くからの新日本プロレスのファンであった筆者は、後楽園ホールでの大会で初めて内藤に対面する機会があったが、「後楽園ホールで僕にブーイングしてるでしょ?」と言われ困惑したことを覚えている。

 のちに内藤は、この頃の心境を次のように振り返っている。

「今だから言えますけど、試合をするのが嫌でした。若手時代からずっと『明日も試合がしたい。試合が楽しくてしょうがない』と思っていたのに、この頃は大会前日になると憂鬱になっていました」

 一気にトップにのし上がっていくオカダへの嫉妬に苦しみ、くすぶり続けていた内藤に転機が訪れたのは2015年5月のメキシコ遠征でのことだった。

 日本でもたびたびタッグを組んでいたラ・ソンブラから誘われ、メキシコのプロレス団体「CMLL」で活動するユニット「ロス・インゴベルナブレス」に加入。そのメンバーとして活動するなかで、内藤は「観客の声援を気にせず、好き勝手に自分のやりたいことをやっていいんだ」と気づく。それまでは観客の反応を気にしすぎて、逆に試合がファンの心に響かないという”負のスパイラル”に陥っていたのだ。

 今では決め台詞として浸透している「トランキーロ(スペイン語で「冷静に、落ち着け」という意味)」もそこで生まれ、同年6月に凱旋帰国。試合ではひとりだけ遅れて入場したり、ゴングが鳴っても入場時のスーツを着ていたりと、やりたい放題の行動にブーイングが止むことはなかったが、内藤はそれを心の底から楽しんでいた。

 殻を破り捨てた内藤の姿に観客の反応も変化し、ブーイングは次第に歓声へと変わっていく。同年の11月には「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(「デ・ハポン」はスペイン語で「日本の」という意味)」を結成。2016年初頭には、中邑ら新日本プロレスの主力選手がWWEに移籍する追い風も吹き、内藤はその年のプロレス大賞で「最優秀選手賞」を初受賞するなどスターダムを駆け上がっていった。

 そして、2017年にG1クライマックスで4年ぶり2度目の優勝を果たし、IWGPヘビー級王座への挑戦権利証を手にする。翌年の「イッテンヨン」の相手は、東京ドームで2度目の対戦となるオカダ。2014年の対決時とは異なり、入場時には割れんばかりの”内藤コール”が巻き起こった。

 声援を受けた内藤は熱戦を繰り広げるも敗戦。試合後、オカダは「内藤さん、東京ドームのメインイベントは最高に気持ちいいだろ? 勝つとな、もっと気持ちいいぞ!」と内藤の背中に言い放った。

 その言葉を胸に3たび東京ドームに戻ってきた内藤は、1月4日に飯伏に勝利して翌日の対戦が決まったオカダに対し、「2年前の東京ドームでのマイク、覚えてるか? 史上初の偉業、そして東京ドームで(勝利後の決まり文句「デ・ハポン」の)初めての大合唱。明日オカダを倒した上で実現させてやるぜ!」とリベンジを誓い、見事に勝利を収めた。

 内藤はリングを去るオカダに、「東京ドーム初勝利、すごく気持ちいいな!またいつか勝負しようぜ」とメッセージを送り、公約どおりの「デ・ハポン」の大合唱で、夢に見続けてきた頂の景色を存分に味わう……はずだった。

 しかし大合唱を前に、同日の試合でNEVER無差別級の王座を後藤洋央記に奪われたKENTAが乱入。急襲を受けてリングに横たわる内藤の上に乗り、2本のベルトを持ってあぐらを組むKENTAは、大ブーイングが起こるなかで内藤への挑戦をアピールした。

 結果、2月9日の大阪城ホール大会で2冠をかけたタイトル戦が決定。1月7日に行なわれた会見で、内藤はKENTAの行動を「勝利した人間のみが味わう特別な空間に飛び込んできた。勇気のいること」と認めながら、「ジェイ、飯伏、オカダ、内藤、4人に比べたら1枚、2枚、3枚ぐらい落ちるんじゃないですか。おいしく料理してやりますよ」と返り討ちを宣言した。

 史上初の2冠王者に輝き、歴史に名を刻んだ内藤。しかしベルトを巡る争いは早くも動き始めた。”逆襲”を遂げた内藤のストーリーは、2020年も激動になりそうだ。