東京オリンピックで輝け!
最注目のヒーロー&ヒロイン
男子柔道 大野将平 編

 吉野彰名誉フェローのノーベル化学賞受賞に続き、陸上部は元旦のニューイヤー駅伝を4連覇するなど、平成と令和という時代をまたいで話題の企業が旭化成である。

 そしてもうひとり、五輪イヤーの2020年、同社には注目の人物がいる。この夏、東京五輪で2連覇に挑むことが濃厚な柔道男子73キロ級の大野将平だ。



昨年8月に開催された世界選手権で優勝を飾った男子73キロ級の大野将平

 2016年のリオ五輪では、柔道母国・日本の復権に向けた立役者となった。2012年のロンドン五輪で金メダルがゼロに終わった男子柔道にあって、2008年北京五輪の100キロ超級・石井慧(現・格闘家)以来となる金メダリストとなったのが大野であった。

 初戦から決勝までの5試合を横四方固め、内股、払い腰、巴投げ、そして小内刈りと、すべて異なる技で勝負を決めた。そしてなにより印象に残るのは、決勝の畳におけるその立ち居振る舞いだ。主審が「一本」を宣告しても、ガッツポーズはなく、にこりともせず粛々と畳の中央に立ち、立礼して畳を降りた。

「柔道は対人競技。相手を敬おうと思っていました。オリンピックは日本の心を見せられる場でもあるので、よく気持ちを抑えられたと思います」

 そして、こう続けた。

「積み重ねてきたものを、五輪で出すだけでした」

 1992年に山口県で生まれた大野は、中学1年生で上京し、古賀稔彦や吉田秀彦ら数多の世界王者を生んだ私塾「講道学舎」に身を置き、研鑽を積んだ。

 これまで講道学舎を出た選手の多くは明治大や日体大など、東京の名門柔道部に進学するケースが多かったが、大野は天理大を選択する。いわば講道館のお膝元である東京のエッセンスと、五輪3連覇の野村忠宏や篠原信一らを輩出した関西の柔道の薫陶を受け、大野は世界のトップへと上り詰めていく。

 だが、苦難の時代もあった。初めて世界選手権を制した2013年、天理大4年で主将を務めていた大野は、同柔道部で起きた上級生による下級生への暴力事件の発覚によって、強化指定選手を取り消され、停学処分となり、天理から離れた時期があった。リオ五輪におけるあの立ち居振る舞いや、大野の言動には、この事件で抱いた自責の念も強く影響していることは確かだろう。

 講道学舎は大野が天理大に入学して以降、活動の幅を狭め、いよいよ2015年には閉塾に。リオ五輪で金メダルに輝いた大野は最後の講道学舎出身の柔道家であり、講道学舎で指導にあたった持田治也氏曰く、「最高傑作」となった。

 国際柔道連盟(IJF)の年間最優秀選手にも選出されたリオ五輪のあと、大野はケガに見舞われ畳から遠ざかる時期もあったが、昨年に入って代表に返り咲くと、東京で開催された世界選手権で世界王者に返り咲く。

 多くの報道では、大野は大外刈りや内股が得意技として挙げられている。だが個人的には、投げてよし、寝てよしのオールラウンダーである大野は、すべての技で「一本」を奪うことが可能なために、これという得意技がすぐには思い浮かばない。

 口はばったい言い方をするならば、アスリート化してきたJUDO競技にあって、礼節を重んじ、修行僧の如き人相で畳に上がって、一本を狙い続けるさまは、まさに柔道の申し子である。

 東京五輪の男子73キロ級で2連覇に成功すれば、大野は日本柔道の「最高傑作」となる。