独占インタビュー第2回、引退後にもあえて10度目の手術をした真意とは? ヤクルトで16年の現役生活を終え、来季から楽天イ…

独占インタビュー第2回、引退後にもあえて10度目の手術をした真意とは?

 ヤクルトで16年の現役生活を終え、来季から楽天イーグルスの2軍投手コーチとなる館山昌平氏がFull-Countのインタビューに応じた。第2回は現役時代に175針を縫った怪我との闘いについて。館山氏の手術がなぜ、クローズアップされてきたのか。引退後に右肘の手術をしてまで、何を確認したかったのか、その真意に迫ります。

――何度も手術をした選手というのはたくさんいますが、特に館山投手は手術の話を多くの方から聞かれてきたと思います。

「まず、そもそもコンタクトスポーツじゃないのに、これだけ腕を振って、怪我をするということがなかなかないですからね。ただ、それは、全力でやってきたからと言えるかもしれないです」

――以前、投手であれば『自分の腕が壊れてでも、チームのために必ずアウトを取りたい』と思うと話していました。「全力」という部分にかける思いのすごさを感じていました。

「代わりはいくらでもいるという立ち位置で、やっぱり後悔はしたくないし、妥協もしたくないので」

――怪我や、リハビリの過程で不安に思っていたことはありますか? 取材現場でお会いした時、表情や様子を見て、なかなか、聞きたいことを聞けない自分がいました。

「戻ってきたときの姿が、前と変わってしまうというのは選手にとってプレッシャーなんです。自分が前と違うというところが、周りにその通りに映っているんじゃないかとか……。でも、同じような姿で戻っていれば、そこは何とも思わないじゃないですか。だから……」

――だから……?

「だからこそ、また(戻ろうとするために)手術を受けるし、また怪我もするし、肘が飛ぶ。ただ、怪我で(野球を)できなくなったのも事実です。肘が飛ばなくなったのも事実。肘が飛んでもいいくらいの覚悟で腕を振っても、その出力が少しずつ出なくなってきているというのも事実です。でも、どんな手術を受けても、ちゃんとマウンドには戻ってきました。これはこれからの子どもたちに『何も怖いことはないんだよ』と言ってあげたいです」

――現役を終えてからの、10回目の手術はどういう手術を受けたのですか?

「(自分の肘が)どうだったんだろうっていう確認です。何度も、縫ったり、切ったり、貼ったり、打ち込んだり、いろいろやっているので。(これまでの手術では)終わった時には閉じて終わっちゃうから、答え合わせができない。そこをちゃんと、どうだったんだろう、っていう確認と、今後、投げることにはあまり関係なく、トレーニングするにあたっては邪魔な骨を取ったりしました。きれいに筋肉をつけるためにはいらないものだから取りました(笑)」

――筋肉トレーニングのために、骨の除去をするなんて、驚きです。

「実はジムのトレーナーというのも、憧れる職業の一つなんです。でも、トレーナーの資格を取るには、実技テストがあって、3種目のうち2種目が、その骨があることによってきれいに見えないフォームなので、そこに関してはクリアにしておきたいなと」

先輩のヤクルト・五十嵐亮太も興味深々「どうだったか、教えて!」

――他に確認できたものはありましたか?

「関節包と言われる関節の袋がどんどん固くなっていくので、それもとってしまおうと。たぶん、歳が行けば行くほど、ピッチャーは関節の袋が堅くなってくるんです。それを全てとってしまっても、どこまで投げられるか試したいというのもあったんです。それは五十嵐(亮太)さんから『俺も可動域が悪いから、関節包、固くなってるし、やってみて、どうだったか教えて』と言われたので『はい、わかりました』って。(笑)今度経過報告します」

――怪我で苦しんだ現役生活を“失敗の歴史”と表現されていましたが、決してそんなことはないのでは?

「いつか、10度の手術の経験が何かの役に立つかも知れないと思うんです。肩を縫う手術はしてないですけど、股関節、肩、ひじ、関節唇、形成手術、トミー・ジョン、血行障害、神経脱臼、広背筋の神経圧迫を開いてみたり……いっぱいあってしょうがないけど、間違いなくリハビリは確立されていて、戻ってくることができると大きな声で言いたいですね。自分が身をもって体験したことなので。どんな手術でも、今まで自分が経験した手術に関しては全てクリアになっている。ちゃんとパフォーマンスも出せますし、一球一球取れば、最後の年も150キロ出るし、アウトもちゃんと取れますし」

――プロ野球選手だけではなく、子どもたちにも怪我は怖いことではないというメッセージも伝えることができますね。

「怪我を恐れてしまってもダメだけど、もう絶対にプレーができなくなるとか、怪我って駄目なものなんだ、っていうものでもない。きちんとドクターの話を聞いて、手順を踏めば、必ず戻ることができます。どの好きなスポーツでも、自分のやりたいことでも、怪我であきらめてほしくないですし、とことんやり切って欲しい」

――怪我で野球をやめてしまう人も多いと聞きます。

「よく『野球が上手かったけど、怪我で辞めちゃったんだよね』っていう人っているじゃないですか。僕の考えでは、怪我では辞めないですから。怪我に負けることはないんです。それは自分にとっての言い訳に聞こえてしまうんです。“怪我で諦めた”“怪我で肘がどうだったらから諦めた”……。もちろん、それにはタイミングもありますし、自分の限界をどこで感じたかわからないですが、『突き詰めたけど、力がなかったんだよ』って言ってほしいですし、自分ではそう言いたいです。やっぱり、やり抜いてほしい、好きであるのであれば続けてほしいし、その先にすごく素晴らしい世界が待っているから。怪我でマイナスイメージで終わってしまうと嫌いになってしまう。辛かった思い出も全て素晴らしい経験に変わるときが来るんですよね」

――手術で縫った針は合計、何針になりましたか?

「191(針)です。表に見えているだけで。今回が16針。でも、それ以外に骨にアンカーで5本くらい糸打っているし、中を閉めるときにそこも縫っているし、それを入れたらもう(もっとすごい数)。表面上、何針というのは面白いから言っていますけど。腕の中はもっとすごいことになってます」

――今後、この経験をどのように活かしていきますか?

「今は、自分の失敗の歴史というものや、失敗談をたくさん喋れています。でも、やっぱり怪我をしないことの方が重要で、そこに持っていけたら、つなげることができればと思います。そのためにも自分が、今でも身体ってどうなっていて、どういうトレーニングができればいいのかと考えて、今もまだまだトレーニングしているし、ようやくオフシーズンに入って自分の身体と向き合う時間も少しできてきました」

怪我は「失敗の歴史」、自分が松坂世代だったのも注目された理由のひとつ

――失敗の歴史という表現は館山さんにしかできないと思います。

「自分が思うのは、(人が語る)歴史って、本当は成功の歴史じゃないですか。でも、ここまで怪我して復活してとか、怪我することやリハビリがクローズアップされることもないです。これだけクローズアップされるのはなかなかなくて、それは自分が松坂世代というところで括られてたからだと思います」

――必要以上に注目をされていたのかもしれません。

「小久保(裕紀)さんだって8回、手術を受けていますし、でも、そこまでクローズアップされていないですよね。僕は大きな手術をたくさん受けているというのもありますが、同年代にマツ(松坂大輔)も(藤川)球児も(和田)毅もトミー・ジョン手術をした。(楽天の)久保裕也に関しても、トミー・ジョン手術も、血行障害も股関節の手術を受けている。ただ、僕は人より怪我の回数が多い。その失敗の歴史を、どこかで活かせたらと思います。これだけ失敗の歴史を言えるようになっちゃったっていうのは他には例がないと思うんです」

――現在もつまり、術後の経過を観察している状態ですか?

「リハビリをしないと、これだけ状態が上がってこないんだ、とまた違う側面からリハビリをとらえられて面白いです。勇気を持ってリハビリをしない決断、とでも言うんですかね。それはこんなにも状態が上がってこないんだなとか、毎日の積み重ねってとても大事なんだなとか感じています。リハビリが遅れた時に、どうやってどこから取り組もうかというのも、今すごく面白い自分の身体の変化ですし、もちろんいろんなことやってきたから遅れてみるのもありかなっていうのもあります。そこから発見もあるだろうし。人体実験ですよ」

――人体実験……考え方とか含め、何でも学びにしようという姿勢があるからできることだと思います。

「自分でやってきた経験もあるし。いろんな答えは一つじゃないし、反対側からも見える。実際(周囲は)はめんどくさいと思いますよ(笑)答え1つなのに2つ目探すとか言っているわけですから。でも、それが面白い!自分の中で!誰に言うわけでもないですが……」

 全力でやってきたからこその証。失敗の歴史というが、決して失敗ではない。(新保友映 / Tomoe Shimbo)