第79回東京箱根間往復大学駅伝(箱根)から4年連続でシード権を逃していた早大。苦戦を強いられていたが、第83回大会で総合6位と5年ぶりにシード圏内に返り咲いた。そのチームを率いていたのが藤森憲秀氏(平19スポ卒)だ。藤森氏は、どのようにしてチームを復活へと導いたのか。たくさんのお話を伺うことができた。

※この取材は9月28日に電話で行われたものです。

駅伝主将就任には、「自分がやるしかない」

――進学先を早大に選んだ理由を教えていただけますか

 陸上を始めた中学の頃にテレビで箱根を見ていて、渡辺さん(康幸前駅伝監督、平8人卒)が走っているのをテレビで見て憧れがあったというか。早稲田のユニホーム、エンジのユニホームがすごく印象に残っていて、大学ではどこでやりたいかと至った時に、早稲田でやりたいと思いました。

――早大での3年生までの実績を振り返るといかがでしたか

 正直大学生活全般に言えることなんですけど、あまりぱっとしなかったというか、思うように成績を挙げられていなかったというのはあります。目標としては、もっと高いところ、もっと記録を出したいという思いもあったんですけど、なかなか思うようにいかなくて。あまり3年生まで思うように活躍、チームに貢献していたという印象は全くないですね。

――駅伝主将に就任した経緯はどういったものだったのでしょうか

 私の学年ですともう自分がやるしかないかなというような感じで、自然とそういう流れになったというような感じでしたね。

――それは戦力という面か、藤森氏の性格という面から、ということだったのでしょうか

 そもそも人数がいなかったので。いわゆるスポーツ推薦で入ってきたのが私と河野(隼人氏、平19スポ卒)しかいなくて、あとは一般受験で入ってきた宮城(普邦氏、平19一文卒)などは3年生までに箱根を経験していましたが、その中で自然の流れというか。話し合いなどもなかった気がしますね(笑)。

「当たり前のことを当たり前にやっていこう」

――チームとして箱根での何か具体的な目標はありましたか

 具体的に何番というのは覚えていないのですけど、優勝ではなくて3番とかそのあたり、でもシードはまず取らないとという思いはありました。目標としては3番くらいにしていたのかなというくらいの印象ですね。

――目標を達成するために、どのようなことに取り組みましたか

 正直あまり改革をしようと思ってやったという印象はなくて。当時は竹澤(健介氏、平21スポ卒)が一番力があり、日本のトップレベルの選手だったので、そういう選手が自分の目標に集中できるようにすることが大事だと思っていました。チームとしては箱根でしたが、そういう選手は目標が当然違います。特に早稲田はそうなので、そういう中で上の選手がストレスを感じないように。意識が低かったり、あまりやる気がなかったりというのは気になると思うので、上の選手が集中できるような環境にしていければと思っていました。なので、やはり上の学年が当然やるべきことをちゃんとやるというのを心がけてやっていたというような感じですね。やることを変えたとか、今までやっていなかったことを取り入れたのではなくて、ただ当たり前にやることを当たり前にやっていこうという感じでやっていたのを記憶しています。

――それは結果など、どのようなかたちで現れたのでしょうか

 実際やっていた練習はそんなにシードに届かないような練習ではないと思っていて。今振り返ってみてもチームの力としては質の高い練習ができていたと思っています。ただ、シードを落とし続けていたということで。ある程度結果が出ている時はうまくいくのですが、うまくいってない時に負のオーラから抜け出すのは結構大変で、同じ練習をしていても、うまくいって成果が上がっている時は練習でやったことが成果として表れやすいのですが、駄目な時はそれが現れないことが割とあるんですね。それが大学3年、4年の時はあったような気がします。要はチームに自信がないというか、やっていたことがちゃんと結果に反映されないというような感じがあって、目標に対しても本当にこれで大丈夫なのかというのはずっとありました。だから駅伝で成果が出るまでは、やれるというような確信はなかったですね。前の年も予選会の結果は良かったんですけど、本戦になると全くの別物だったので、予選会では良くても、結局本戦では全く違うと思っていましたね。なので正直(箱根で)最後6番で何年かぶりにシードを取れたのは、ただただホットしたような気持ちでした。やってきたことが出たとそれなりには感じたんですけど、もっといけたんじゃないかという気持ちもあったし、駄目になった可能性もあったので。

――箱根予選会トップ通過などで、チームの箱根への士気は上がっていましたか

 竹澤と宮城の2人がチームにとってすごく重要な存在でしたね。竹澤は1年生の時は箱根でうまく走れなかったというのはありましたが、2年のヨーロッパ遠征で13分22秒を出して、もう日本の中でもトップを争うようなレベルまで行って。チーム全体もそういった選手に引っ張られましたね。一人すごい選手がいるのは、チームにとってすごく大きいことでした。ライバル心とかではなくて、あれだけ日本のトップで活躍しているのがチームにいるのが大きい存在だったので、そこで引っ張られていたのが一つですね。あと宮城は一般で入ってきて高校の時も自己ベストが15分台だったと思うんですけど、そういった選手がコツコツとやってきて、確実にステップアップしてきて、大学4年の秋の記録会で(1万メートル)28分台を出して。そういう選手が出てくる時は早稲田の歴史上うまくいくシグナルだと思うんですけど、そういった日本のトップで戦う選手と、箱根で走りたいという思いで入ってきた選手がコツコツがんばってきて、そういう選手に引っ張られて、みんなが高いモチベーションを持って競技をできていました。夏の合宿もまとまっていい練習ができたなあというような感じがあって、秋になって宮城が結果を出したことで、チーム全体としても、やれるんじゃないかというか、それなりにいいものができているというのはあったと思います。

――藤森氏も駅伝主将という視点から、同じように感じていましたか

 私はずっとけがしていて。全日本(全日本大学駅伝対校選手権)の予選会くらいまで試合に出ていなくて、全日本の予選会はチームとしても駄目な結果でしたね。あまり主将として競技でチームを引っ張ったというのは全然なくて、ただやれることをやっていました。そこから夏に入るにつれて練習がしっかりできるようになって、秋に入って1万メートルで自己ベストが出るようになって、なんとかかたちになってきたなあという感じでやっていましたね。秋のシーズンで大丈夫だなというふうになりました。

持てる力を出した最後の箱根は区間3位に

――4年時の箱根は3区3位という結果でしたが、振り返るといかがでしたか

 とにかくシードを取りたいなと思っていましたが、シンプルにやってきたことを出せればと思っていました。はっきり言って、何か主将としてやってやろうというか、そういう気持ちはなく、ただ1年間チームでやってきたことが出せるようにしたかった。チーム全体としてもそこそこいい練習ができているし、それなりのメンバーがそろっている感覚があったので。やってきたことをチームとしても自分としても出せればいいと思っていて、とにかくそこだけをと思っていましたね。ずっと力の割に駄目とか、やっている練習の割に成果が出ないというのが続いていたので、そこに対しての不安がずっとあって、いくら質の高い練習ができていても、実際に駅伝になってうまくいくかどうかというのが確信を持てなかったのですが、そうは言っても準備の段階ではベストを尽くして積み重ねて行って、それを試合で出すしかないと思っていたので、シンプルにそこだけを意識するように考えていましたね。

――それがご自身の区間3位につながったのですね

 そうですね。そこまでの力もなかったので、区間賞を取ってどうこうとか、チームの流れを変えてやろうというのは全く考えてなくて、自分の持てる力をその区間で最大限出せれば良いと考えていました。ただ、竹澤が2区に入っていたことで結構上位で来ると思っていたので、その中で上位で来たものを上位で固めて次の区間に渡せるといいなと考えていたと思います。

――同学年の宮城選手をゴールで迎えた時は

 ただただホットしたというか、とりあえずシードを取れた安堵というか。そういう気持ちが大きかったというのが7割でしたね。

――残りの3割は

 やはりもうちょっとやれることがあったんじゃないかという気持ちですね。たら・ればですけど、もっと上の順位で行けたんじゃないかということがあったり、準備の段階でもっとやれたことがあったんじゃないかという気持ちがあったかなと思います。

――駅伝主将の1年間を点数で振り返るといかがでしょうか

 どうですかね(笑)。60点くらいですかね。やはり求められているというか、期待されているのが高いので。早稲田としては優勝を目指さないといけないとか、シードを落としていたら異常な事態な感じだったので、そこに対する現実とのギャップがやはり当時のチームにはありましたね。

 早稲田の主将のあるべき姿で言えば、学生長距離界のエースと呼ばれるような存在でチームを引っ張って、なおかつ主将としてチームをまとめて引っ張っていくのが理想だろうと思うし、そう期待されている気がしていたんですけど、自分にはそこまでの能力はなかったので、ただできることを。最低限の仕事はしたかなと思いますが、100点ではないですよね。やはり誰しも競技をしていたら優勝したいとかトップになりたいわけなので、やはりトップにならないと駄目なんでしょうね。

シンプルに積み重ねて

――現在の生活や、実業団での競技生活で、競走部での経験が生きたことはありますか

 早稲田のやり方として、解決策を自分たちで見つけるというところがあります。もちろん監督やコーチはいるんですけど、他の大学よりも選手が主導になっていた感じが当時は強く、選手の意見がすごくチームに反映されていたと思うので、自分たちなりの解決策を探すというのが習慣としてありました。それは実業団に入ってからも、自分なりにどうすれば良いかというところが習慣として身についていたというように思います。成果が上がらなかったので、生きましたとは言えないんですけど……(笑)。それは競技生活の上では生きたなあというように思います。

――現チームにアドバイスすることがあればいかがでしょうか

 自分なんかがアドバイスするのもおこがましいので、偉そうには言えませんが……。早稲田はエースと、スポーツ推薦で入ってきていない選手がチームの核になっている時はうまくいっているので、エース候補として入ってきた選手にはやはり日本のトップになってほしいという期待を持っているし、応援していますね。だから今でいうと中谷くん(雄飛、スポ2=長野・佐久長聖)などですね。そういう選手が、竹澤みたいに日本のトップになって。やはり学生の中ではなくて、オリンピックや世界選手権の日本代表に学生で入るのを目指すのが早稲田のエース像だと思うので、そういう選手が出てきてくれるとOBとしてもそれはすごくうれしいです。また、一般受験で入ってきて強豪校出身でもない選手が他の大学の主力と肩を並べて走れてくるようになれば、きっとチームはうまくいくようになると思います。だから強い選手は強い選手なりにがんばってほしいし、あまり力がなく入ってきた選手もがんばって、上級生になった時にチームの戦力になれるように、それぞれがそれぞれの目標に向かってベストを尽くしていければ、きっと良くなると思います。期待もされていて、プレッシャーがあって大変なところはあると思いますが、そこはあまり考えないでシンプルに自分たちの目標に向かって日々積み重ねてほしいなと。毎日ベストを尽くして積み重ねてやっていくしかないと思うのでがんばってほしいです。

――現役選手へのメッセージをお願いします

 OBとしては強い早稲田を見るとすごくうれしいので、活躍を楽しみにしています。

――ありがとうございました!

(取材・編集 岡部稜)

◆藤森憲秀(ふじもり・のりひで)

2007(平19)年スポーツ科学部卒業。長野・佐久長聖高出身。学生時の自己ベスト:5000メートル14分03秒00。1万メートル29分05秒58。ハーフマラソン1時間2分39秒。箱根成績:1年4区18位1時間7分05秒。2年4区5位1時間4分01秒。4年3区3位1時間3分49秒。早大卒業後は中国電力で競技を継続し、全日本実業団対抗駅伝にも多く出場するなど、息の長い活躍を見せた。