スポルティーバ・新旧サッカースター列伝 最終回新旧のサッカースターをテーマに分けて綴ってきた連載も、今回が最終回。最後は…
スポルティーバ・新旧サッカースター列伝 最終回
新旧のサッカースターをテーマに分けて綴ってきた連載も、今回が最終回。最後は、複数のポジションを務められるユーティリティープレーヤーとして、活躍したスターを紹介する。
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<コクーとカイトのマルチロール>
ラモス瑠偉が読売クラブ(現東京ヴェルディ)に加入する際、「センターフォワード(CF)とスイーパーができる」という情報があった。それを聞いた読売クラブの人は「ストッパーとスイーパーの間違いじゃないか?」と思ったそうだ。
※ストッパー...対人プレーなどで主に相手FWをストップする役割のセンターバック
※スイーパー...ストッパーの後方で主にカバーリングを担うセンターバック

オランダを代表するユーティリティープレーヤーだった、フィリップ・コクー(写真左)とディルク・カイト(同右)
たしかにCFとスイーパーではポジションが離れすぎている。しかし、実際に来てみると情報のとおりだった。ただ、2つのポジションができる選手はそれほど珍しくない。
それぞれのポジションにはそれぞれの資質が求められている以上、どちらの能力も持っていなければならないのが前提だが、たとえばスピードに恵まれていれば、サイドバック、ウイングのどちらもこなせる可能性はある。求められていることが極端に違っていなければ、兼任はできるのだ。
イングランドの伝説的なウイングに、トム・フィニー(※1950年代を中心にプレストンで活躍)がいる。彼は右ウイングだったが、イングランド代表チームの右には当時、スタンレー・マシューズがいた。そこで、フィニーは左足だけスパイクを履いて練習し、左ウイングとしてもプレーできるようになった。イングランド代表ではマシューズの右、フィニーの左が実現した。ウイングというポジションは同じでも、利き足を変えなければならなかったわけだ。
アンドレア・ピルロ(イタリア)は、トップ下からアンカーにポジションを下げて新境地を拓いた。フランツ・ベッケンバウアー(西ドイツ/当時)も、MFからリベロへ転向して大成功を収めている。こちらのケースはマイナーチェンジだ。彼らの資質に合ったポジションを発見した、あるいは能力に合わせて新しいポジションの役割をつくっているので、本人にそれほど苦労はなかっただろうと思われる。
※リベロ...守備時はセンターバックを務めながら、攻撃時には中盤や前線にあがってプレーする役割のポジション
ウイングとSBは必要とされるスピードという能力に共通点があり、ボランチとセンターバックも近い。フィールドプレーヤーとGKを兼ねる選手はさすがにいないが、少年時代はGKだったというFWは意外といるし、ペレ(ブラジル)は練習でよくGKをやっていたそうだ。ただ、極端に違うポジションへのコンバートはあまりない。
ところが、ほとんどのポジションを難なくこなすオールラウンダーも中にはいる。
オランダのフィリップ・コクーは、左ウイングとしてAZでデビューした。その後、PSVでは攻撃的MFに移ってゴールゲッターとして名を馳せ、スペインのバルセロナでは守備的MFやセンターバックとしてプレーした。さらにPSVに戻ると今度はまたMFとして活躍。本人は左のインサイドハーフが好みのようだが、どこが本職なのかわからなかった。
コクーと同じオランダの10歳下、ディルク・カイトもよく似ていた。
コクーがAZでデビューした1988年からちょうど10年後の1998年、カイトはクイック・ボーイズのトップチームに昇格し、6試合プレーしただけでユトレヒトと契約している。ウイングとしてのスタートもコクーと同じ。その後、セカンドストライカーとして得点を量産したのも同じだった。
オランダの名門フェイエノールトへ移籍すると、サロモン・カルーと2トップを組んで101試合で71ゴール。イングランドのリバプールへ移籍した。リバプールではフェルナンド・トーレスの加入とともに右ウイングへポジションを移し、オランダ代表ではサイドバック、ウイングバック、MFと幅広くプレーしている。
コクーがPSVに戻ったように、カイトもフェイエノールトへ帰っているのも共通点だ。ともに最も長くプレーしたのはバルセロナ、リバプールのビッグクラブだったが、心のクラブはまた別にあったようだ。
<オランダ育ち>
フィリップ・コクーは182センチ、ディルク・カイトは183センチ。身長はほぼ同じ、どちらも均整のとれた体型だ。2人ともフィジカル・モンスターではなく、体格も身体能力もプロとしては平均的だった。何でもできるかわりに、何かに特化もしない。いわば潰しがきくタイプで、それが2人のユーティリティー性につながっていたのだろう。
左利きのコクーは冷静沈着でチームに落ち着きをもたらすタイプ、カイトはアグレッシブに走り回るタイプという違いはあるが、共通項としては「オランダ育ち」であることだ。
オランダは「平らな国」だ。あの狭い国土から、次々と才能を生み出してきた要因の一つにフィールドの多さがあるかもしれない。至るところに芝生のフィールドがある。しかし、それ以上に決定的なのはロジックがしっかりしているところだろう。どうプレーすべきかのディテールが確立されている。
そもそもオランダ人は理屈っぽい。固められた論理で育成された選手は画一的といえばそうなのだが、そうでなければ小さな国からあれほどのタレントは輩出できなかったはずだ。国土、人口、国民性に合ったやり方である。
したがって、天然自然に本能でプレーしているオランダ人選手というのはほぼいない。個人差はあっても、どうプレーすべきについてひととおりの知識があり、いわゆる「フットボールIQ」の高いプレーヤーが多いのだ。また、個人の意見をはっきり言うのもオランダの国民性であり、ときとして彼らのフットボール観がとても頑固であるのもよく知られている。
どのポジションで何が求められているのか。またそれとは別に、どのポジションであっても共通するプレーの作法が染み付いている。コクーとカイトにとって、新しいポジションに適応するのは、それほど難しくなかったのではないか。
ちなみにオランダでは、ジオバンニ・ファン・ブロンクホルスト(90年代から2010年までプレー)は、バルセロナでは左サイドバックだったが、もともとは攻撃的MF。オランダ代表ではそのまま左サイドバックに定着していた。
80年代から90年代にプレーした、速さ、強さ、高さを兼ね備えたルート・フリット(ミラン、チェルシーなどで活躍)は、リベロ、ボランチ、ウイング、CFのどこでもトップクラスだったし、フランク・ライカールト(アヤックス、ミランなどで活躍)も万能の怪物だった。
80年代後半から2000年代前半にプレーした、ロナルド・デ・ブール(アヤックス、レンジャーズなどで活躍)はMFから前ならどこでもプレー可能、双子の兄弟であるフランク・デ・ブール(アヤックス、バルセロナなどで活躍)は、逆に守備的なポジションのポリバレントだった。
オランダ人選手はこういうタイプが少なくないのだ。
<ローカル・ヒーロー>
コクーはバルセロナで291試合に出場。これはリオネル・メッシに破られるまで外国籍選手の最多出場記録だった。PSVに戻ると、パク・チソンとの左のコンビも機能し、欧州チャンピオンズリーグ(CL)準決勝まで勝ち進んでいる。ミランに破れてベスト4止まりだったが、PSVにとっては快挙といえる躍進だった。コクーはいぶし銀のプレーで2006-07エール・ディビジ優勝にも貢献した。
カイトはリバプール時代に、2006-07シーズンのCLでファイナルへ進んでいる。ミランに阻まれたのは奇しくもコクーと同じ。トルコのフェネルバフチェを経て、2015年にフェイエノールトへ戻った。2016-17シーズン、最終節でハットトリックを決めてフェイエノールトに1999年以来のリーグタイトルをもたらし、3日後に現役引退を表明した。鮮やかすぎる幕引きである。
コクーとカイトはファンから愛されていた。どんなポジションでも、いかなる状況でも、常に全力を尽くす姿が共感を得ていた。リバプール時代のカイトは、試合後に必ずファンのいる場所へ行って感謝を伝えていたという。絶大な人気のカイトは英国メディアで「カルト・ヒーロー」と報道されたが、ファンの心の琴線に触れるローカル・ヒーローだったのだ。
フェイエノールトで鮮やかに引退したカイトは、じつはその後に3試合だけ出場している。ユース時代を過ごしたクイック・ボーイズのコーチを務めていたのだが、FWが負傷でいなくなってしまったのだ。これもなんだかカイトらしい。