連載第11回(第10回はこちら>>)【荒木大輔のハートの強さは天下一品だった】――連載7回目では松岡弘さん、安田猛さ…

連載第11回(第10回はこちら>>)
【荒木大輔のハートの強さは天下一品だった】
――連載7回目では松岡弘さん、安田猛さん、鈴木康二朗さんなど、八重樫さんとバッテリーを組んだ歴代ヤクルト投手陣について伺いました。今回は、その続きとなる1980年代投手について伺いたいと思います。1980年代のチーム低迷期は、早稲田実業高校から荒木大輔さん、東海大学から高野光さんが入団するなど、ドラフト1位の好投手が話題となりましたね。まずは1982(昭和57)年ドラフト1位、荒木大輔さんの印象はいかがですか?
八重樫 当時、「大ちゃんフィーバー」と騒がれていたけど、僕の場合は高校日本代表に選ばれたときに、同学年だった太田幸司(元近鉄など)の大フィーバーを見ていたから、そんなに驚かなかったかな。それでも大輔が入団したときの神宮球場の熱気はすごかったよ。
プロ初先発で初勝利を挙げた荒木大輔
photo by Sankei Visual
――投手としての荒木さんは、どんなタイプのピッチャーでしたか?
八重樫 大輔は練習よりも、試合で本領を発揮するタイプのピッチャーだったね。実際、ブルペンでひとつひとつのボールを見たら、プロとしては大したレベルじゃない。だけど、マウンドに上がると気持ちが勝つんです。そして、バッターはその気迫に気圧(けお)される。
――確かに、そういうイメージでした。球種はストレートとカーブでしたよね。
八重樫 あとはシュートを投げていたかな。ただ、シュートはよくすっぽ抜けていたけどね。そのあと、故障してからはシンカー気味のボールも投げていたけど、荒木の場合はシュート回転するストレートが最大の武器。カーブはドロップのような曲がりの大きいものだったけど、なかなかストライクは取れなかった。とにかくストレート頼みのピッチャーだったね。
――とはいえ、そのストレートも140キロに届くかどうかというスピードでしたよね。
八重樫 そうでしたね。ただ、荒木はコントロールがいいんで、ストライクからボール気味のボールが投げられているときは、そのスピードでも十分に抑えられました。少しでも甘くなるとガツンとやられたけど。
――キャッチャーとしては球種の少ない投手をリードするのは大変ではないですか?
八重樫 いや、逆にラクなんです。大輔の場合は「決め球は真っ直ぐ」と最初に決められるので、そんなに悩む必要がない。あとは、どうやってカウントを作っていくかということをバッターごとに考えていくだけですからね。それに、マウンド度胸は天下一品なので、「バッターに当てるつもりでインコースを突け」と指示すると、ズバズバ内角に投げてくる。ちょうどいいところに決まるんです。大輔の場合、その度胸で持っていたと言ってもいいぐらいだよ。
――打者に対して一歩も引かない姿勢は典型的なピッチャータイプでしたね。
八重樫 大舞台にも動じることはないし、先輩を先輩とも思っていなかったし(笑)、マウンドではまったくひるむことはなかったし、ピッチャーらしいピッチャーだったと思います。
【悲運の投手・高野光の思い出】
――では1983年ドラフト1位・高野光投手の印象は?
八重樫 当時、「これはすごいピッチャーだ」と思ったのは高野でしたね。彼は、すごい能力を持っているのに考え方が甘い。それがもったいなかったな。彼のストレートは全盛時の江川卓(元巨人)のようにホップするんですよ。

身振り手振りを交えて当時を語る八重樫氏
photo by Hasegawa Shoichi
――高野さんはルーキーイヤーの1984年、いきなり開幕投手を任されたことでも話題になりました。どのように「甘い」のですか?
八重樫 当時、彼の在籍していた東海大学がとても強かったせいなのか、大学時代から7~8割の力で投げるクセがついていたんだよね。だから、ここぞっていう場面で力を入れることができなかった。ボールツーから簡単にストライクを取りにきて、一発を打たれる。そこから本気で投げ始めるんだけど、結局は1点差、2点差の僅差で敗れてしまう。そんなことが多かったな。
――190cm近い長身から投げ下ろす角度のあるストレート、大きく落ちるフォークボールなど、本格派投手としての一面を持ちながら、「気が優しすぎる」という評価もありました。八重樫さんはどう見ていましたか?
八重樫 気持ちが優しいというか、いろいろなことを気にしすぎてしまうんですよね。彼の能力に(荒木)大輔の気持ちがあれば、ラクに20勝はしていたと思いますよ。能力的にいえば、今の菅野智之(巨人)よりも上だと思うな。試合で打たれると、本当にしょぼーんと落ち込んでいたし、ときには泣いていた。いくら慰めても泣いていた思い出があるよ……。能力があるから、僕らも何とかしてあげたかったんだけど。
――誰にも負けないストレートとフォークを持っていただけに、「もっと気が強ければ……」という無念が残りますね……。
八重樫 高野の能力に大輔のハートが加われば、本当にいいピッチャーになったと思うよ。今、話にあったように、彼は長身から投げ下ろす角度のあるストレート、フォークが武器で、カーブも大きく曲がるんで勝負球にもできた。逆にフォークはほぼ全部がワンバウンドになる見せ球だったな。1試合で20球以上もワンバウンドを投げるから、翌日は体中が青タンだらけ。それでも、一個も後ろに逸らさなかったよ。大変だったけど(笑)。
【「古田は本当に幸せな男だと思うよ」】
――1980年代ヤクルト投手陣と言えば、個人的に梶間健一投手が大好きでした。
八重樫 梶間は独特な投げ方だったよね。彼も気持ちの強いピッチャーだったな。試合になると熱くなるタイプだったね。ゲームを離れると本当に大人しくてほとんどしゃべらないから、「おいカジ、一昨日の試合だけどさ……」って、野球のことで話しかけると、いろいろと熱くしゃべっていたよ。
――梶間さんといえば、オーバースローで投げたり、サイドスローで投げたり、変幻自在の投球フォームでしたが、あれはサインがあったんですか?
八重樫 いやいや、本人の判断。上から投げたときのカーブがいいところに決まっていたんだけど、そればっかり多投するわけにもいかないから、上からストレートを投げたり、横からカーブを投げたり、自分なりに工夫をしていましたね。もっとバッティングのいいチームだったら、勝ち星も増えていた。とにかく曲がりすぎるカーブが特徴的なピッチャーだったな。
――マウンド上では常に無表情でクールに見えるピッチャーでしたよね。
八重樫 本当にポーカーフェイスだったね。でも、普段の彼は冗談も言うんだけど。彼の場合、怒りながら冗談を言うから、怒っているのか、ふざけているのか、よくわからない部分もあったんだよね(笑)。
――竹中直人の「笑いながら怒る人」の逆パターンなんですね(笑)。
八重樫 そうそう(笑)。何も知らない人が見たら、きっとビックリするよ。
――ほかには矢野和哉投手、中本茂樹投手など、いぶし銀のピッチャーもいましたね。
八重樫 矢野は性格も、体も、とにかく硬かった。体がガッチガチだから投球フォームもどこかぎこちなかったよね。あまりコントロールのいいタイプじゃないので、細かいコントロールは求めずに、「真ん中に投げろ」と指示すると、ド真ん中に投げる。そのコントロールだけはよかったよ(笑)。
――巨人戦で好投していたのに、呂明賜とかクロマティに逆転弾を浴びるのを見て、僕も「なんでド真ん中に投げるんだよ」と愚痴を言っていたことを思い出しました。あれは八重樫さんのサインだったんですね(笑)。
八重樫 そう、サインだった。でも、まさかあんなド真ん中に投げるとは思わなかったけど(笑)。中本はピッチャーらしいピッチャーで、「打たれたらキャッチャーのせい」っていうタイプだったね。
――打たれたら、先輩である八重樫さんのせいにしていたんですか?
八重樫 さすがにそれはなかったけど、秦(真司)がマスクをかぶっていたときには、よくベンチで秦を叱っていたよ。だから、中本には「イヤなら首を振ればいいだろ。結局は投げるのはお前なんだから」って言ったこともあったな。
――1980年代の投手陣、懐かしいですね。あの頃はすごく弱かったけど、それでも30年以上も経過すると、すべてが懐かしく感じられますね。
八重樫 1980年代の低迷は僕らキャッチャーのせいでもあるよね。でも、言い訳になるけど、当時は誰もキャッチャー、バッテリーを指導できる指導者がいなかったんだ。僕の場合も、野村(克也)さんが監督になって初めて、配球や打者心理について学んだから。だから、当時はよく古田(敦也)に言いましたよ、「お前は幸せだな、いい時期にプロ入りしたな」って。そういう意味でも、野村さんのヤクルト監督就任は大きかったし、古田もそういう運を持った男だったんだと思いますね。
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