「僕は、体が小さいですから、根性と気迫では誰にも負けないような選手になりたいと思っています」 今から約30年前の12…
「僕は、体が小さいですから、根性と気迫では誰にも負けないような選手になりたいと思っています」
今から約30年前の12月16日、PL学園からドラフト1位で中日に指名された立浪和義は、入団会見の席でこう決意を口にした。その言葉を横で聞いていた当時40歳の闘将・星野仙一が、力を込めてこう言い放った。
「男の大小っていうのはね、体が大きいとか小さいじゃなくて、肝っ玉で決まると僕は思っています」
立浪の身長は公称173センチだが、実際に会うともう少し低い印象を受けた。いずれにしても、その小さい体で猛者たちが集うプロの世界で22年間プレーし、歴代11位の2480安打、日本記録となる487本の二塁打を放った。また、遊撃手、二塁手、三塁手で計5度のゴールデン・グラブ賞も獲得するなど、攻守でチームを引っ張り、今年、晴れて野球殿堂入りとなった。

22年の現役生活で歴代11位の2480安打を放った立浪和義
現役引退直後、立浪に打撃理論について聞いたことがある。立浪のバッティングと言えば、軸足にしっかりと体重を残し、体を駒のように鋭く回転させるスイングが真っ先に浮かぶ。
打撃のルーツについて聞くと、「とにかく遠くに飛ばしたくて、子どもの頃は王(貞治)さんのようなホームランバッターになりたかったんです」と言った。立浪の口から王貞治の名前が出ることは少し意外だったが、”世界のホームラン王”への憧れがスタートだったから、バッティングは小さくならず、あのスイング、あの打球が実現したのだろう。
「中学、高校時代は完全に引っ張り専門でした。プロに入って、変化球に対応するために逆方向の打球も出てきましたけど、昔は引っかけた当たりのセカンドゴロばかり。でも、とらえた時の打球はホントよく飛びました」
フォームで強く意識していたことを聞くと、「余分な動きをしないこと。そのためには、トップの位置から、ボールに対してバットを一直線に出すことを考えていました」と言った。
バットがアウトサイドから入ってくると、ボールとの接点が1カ所となり、ミートの確率が下がる。また、バットのヘッドも下がってしまうと、力のあるボールに負けてしまい、打球が飛ばない。
この基本はいつから大切にしてきたのかを尋ねると、「はっきり覚えていないんですけど……」と前置きして、こう答えた。
「少年野球の頃に『バットを上から振り下ろせ』って言われて、よく練習していたのは覚えています。『腰の回転は横だから、バットを上から落としていけばちょうどレベルスイングになる』と。このことは常に頭に置いてやっていました」
この教えはPL学園の中村順司元監督もよく口にしており、過去の取材のなかで何度も耳にしていた。ただ、立浪には中村監督の前に、同じ教えを説く指導者と出会っていた。
中学時代、立浪を指導した茨木ナニワボーイズの多田章監督だ。2013年にこの世を去ったが、中学野球界では知られた人物だった。以前、多田監督に話をうかがったことがあったが、立浪のバッティングの原点はここにあったのだと深く感じたものだ。
「立浪は中学3年になると、120メートルを超えるホームランを打ったり、本当によく飛ばしていたんです」
そう振り返った多田監督は、打撃理論について興味深い話を次々と語ってくれた。
「私の高校時代(大分商業)の監督が理論立てて教えてくれる人で、常に『野球は科学だ』って言っていたんです。小鶴誠さんがバットの先に電球をくくりつけてスイングしている分解写真を見ながら、『バットは上から出して、先(ヘッド)が寝たらダメだぞ』『バットというのは、こうして内から出すんだ』って。昭和20年代後半の話ですけど、その時代にそういう指導をしていただいたのは私の財産。それから私も『野球は科学だ』と、体は小さくても打球は飛ばせると思えるようになって、立浪たちに教えていきました」
ちなみに、小鶴とは身長176センチの体から腰の回転を存分に使った美しいフォームで、1950年に松竹ロビンスで51本塁打を放った伝説のスラッガーだ。
多田監督の教えには、立浪の打撃スタイルにつながると思えるものがいくつもあった。たとえば、構える時、右手と左手の間に指1本分の隙間を空けてグリップを握っていたのだが、本人に聞くと特別な意識はないと言っていたが、多田監督は次のように語ってくれた。
「中学の頃の立浪は『大きいのを打ちたい』という思いが強く、右脇が開くクセがあったんです。脇が開くと、(肘があがり)当然バットは下から出るので、修正点のひとつとして、右手と左手のグリップを離して握らせ、素振りやティーバッティングをさせていたんです。そうすることで、ヘッドを強く使えたというのはあったと思います」
プロでも(上下を)逆の手で握ってティーバッティングを行なっている選手がおり、それも脇が開くのを抑える練習法のひとつだが、多田監督は「実際の握りと違う逆手より、手を少し離して握るほうが感覚も近い」と、このやり方を立浪に伝えたという。
さらに、多田監督の打撃理論の話は広がった。
「いつも選手には『ボールを捕まえた瞬間、(左打者なら)左手が右手を追い越さなあかん』と言っているんです。グリップとヘッドが等速度でスイングしていたら、打球は飛んでいかない。ミートの瞬間に左手が右手を追い越せば、ヘッドが加速して強い打球が飛んでいく。ボールをとらえる瞬間に右手を一瞬引く感じで左手を追い越させてやるんです。剣道で面を打つ時も、下の手を引くでしょ。あのイメージです」
実際のスイングで右手を引く動きを入れることは難しいだろうが、イメージとしてはバットをリードしている右手を一瞬止め、以降はそこが支点となる。”テコの原理”の応用と言ってもいいだろう。
多田監督が例に挙げた剣道でも、相手に面を打ち込む時、竹刀を握る下の手を素早く手前に引き、同時に軽く握っていた上の手に力を込めて、勢いをつけて先端を走らせる。「この時、竹刀を握る両手の間は開いているんです」と多田監督は言った。
竹刀を打ち込む剣士のように、打席のなかの立浪も添えるように握っていた左手をインパクトの瞬間に力を込め、ヘッドを加速させたのだろう。
今回、立浪の殿堂入りパーティーを見て、10年前に行なった取材の記憶が鮮明に蘇り、あらためて思ったことがある。それは立浪が体の使い方や技術を教えてくれる指導者に出会ったことだ。多田監督から中村監督へとつながった6年間は、小さな体で大きく強い打球を打つための形、感覚を体に叩き込んだかけがえのない時間だったはずだ。
根性と気迫と理にかなった打撃理論——これらが揃って22年のプロ生活、そして殿堂入りの栄誉があったのだろう。