■TBSの上村彩子(かみむら・さえこ)アナウンサーが現場で取材した大会でのエピソードや舞台裏、インタビューしたアスリートの魅力や意外な一面などを伝えるこの連載。今回のテーマは、パラバドミントン。2020年の東京パラリンピックで金メダル…



 

■TBSの上村彩子(かみむら・さえこ)アナウンサーが現場で取材した大会でのエピソードや舞台裏、インタビューしたアスリートの魅力や意外な一面などを伝えるこの連載。今回のテーマは、パラバドミントン。2020年の東京パラリンピックで金メダルを狙う里見紗李奈選手。パラ競技ならではの難しさを体験した現場で感じた魅力とは。



パラバドミントンを体験した上村彩子アナウンサーphoto by Yamamoto Raita

 BS-TBSの『アスリート夢共演』の収録で、パラバドミントンの里見紗李奈選手(NTT都市開発)の取材に行ってきました! 里見選手とロンドン五輪のバドミントン女子ダブルスで銀メダルを獲得した藤井瑞希さんとの対談で、お話をお聞きするのはもちろん、車いすバドミントンを体験することもできました。

 今まで競技用の車椅子に乗ったことはあったのですが、バドミントンのラケットを持って乗るのは初めての経験。右手でラケットを持って車いすに乗り、左右両方の車輪をコントロールするその難しさを実感しました。

 左の車輪は指5本で持つことができても、ラケットを持つ右手は指2、3本でコントロールしなくてはいけない。左右を均等に動かすことがとても難しいのです。しかも、シャトルを見ていると、そこに気を取られて車いすをすぐに動かせない。その場から素早く動く動作がスムーズにできず、頭と身体がうまく連動してくれません。

 実際に車いすに座ってみないとわからないことがたくさんありました。「シャトルが来る!」とわかっても、反応できずに追いつけなくて拾えない。ネットも通常のバドミントンと同じ高さなのですが、車いすに座っているとやはり余計高く見えます。あの高さから鋭角に打つ練習もかなりしないとできません。

 また、体を後ろに反って打つことは予想以上に怖く、バドミントンの五輪メダリストである藤井さんでさえも「怖かった」と言うほど。車いすは競技用で、倒れないようにできているのですが、自分の体を伸ばそうとしても腰から下と足が固定されているのでうまく使えないですし、ショットを打つだけでもいかに大変かがよくわかりました。

 それを前提にして、予測して準備を常にしないといけないですし、非常に頭を使うスポーツであると同時に、体幹の強さもかなり求められます。まさに超がつく難しさです。

 里見選手が考えるパラバドミントンの魅力は、前後の車いすの激しい動きの中にも繊細な横の動きもあり、細かな駆け引きがあること。とにかくやることが多いうえに、それをすべて手でコントロールしなければいけません。

 里見選手は今、21歳。競技を始めて、約2年半で2019年8月の世界選手権で初出場ながらシングルスで優勝。世界女王になりました。子供の頃は空手を4年間続けて、小学校の時に1年間バスケットボールを経験。そして、中学1年生から3年生の3年間、バドミントン部でプレーをしました。何か部活に入ろう!と思った時にバドミントンをプレーする女の子が可愛いと思ったことが入部の決め手になったそうです。その後、高校に進学してからはとくにスポーツはしていなかったのですが、高校3年生の5月に交通事故に遭い、車いすでの生活を余儀なくされてしまいました。
 

パラリンピックで金メダルを狙う里見紗李奈

 photo by Araki Miharu

 最初は座るところからリハビリをして、車いすに乗る練習を始め、9カ月間の入院生活を送りました。担当医から「足は動きません」と告げられてからは、しばらく毎晩のように泣いていたといいます。それでも里見選手は、「そんなこと言ったって、リハビリや治療を頑張れば動けるようになる」と思い続けて懸命にリハビリに励んできました。

 そんな里見選手がパラバドミントンと出会ったのは、事故からちょうど一年後のこと。退院してからも、しばらくふさぎこんでいた里見選手を見かねたお父様が、パラバドミントンの練習に連れていき、それがきっかけでこの競技に取り組むようになったのです。

 車いすで外に出るのが最初は「すごく嫌だった」という里見選手。やはり「弱い自分」というマイナスの感情を持ってしまったそうです。それが、パラバドミントンで勝つことで成績が出始めると、自信がついてきて、車いすに乗る自分のことを気にしなくなったといいます。

 里見選手は、ネイルなどファッションにもこだわりが感じられる可愛らしい印象の今どきの21歳の女性。そして負けず嫌い。そのことは、里見選手本人も認めています。収録では、藤井さんに車いすに乗ってもらい、里見選手と対決することになったのですが、その時も、「勝ちたい」という気迫が里見選手の全身にみなぎっていました。

 最初は趣味程度で考えていたパラバドミントンですが、競技を始めてから3カ月後、里見選手は国内大会に出場してぼろぼろに負けました。そして「そこで負けず嫌いに火がついちゃった」と、本格的に取り組むようになっていったのです。

 初めてパラバドミントンの体験をしてから、2回目の練習でうまく返せないことに苛立って泣いていた里見選手は、一度体育館の外に出ていってしまったそうです。それでも、「もう1回お願いします!」と練習に戻ってきました。初回から指導を担当されていた男子パラバドミントン日本代表でもある村山浩選手がその時のことを覚えていて、当時から「彼女はしっかり練習したらパラリンピックに出るような選手になれる」と感じていたといいます。

 中学生の頃にバドミントンを経験していた基礎がある里見選手は、そこから急激な成長を見せます。車いすバドミントンと真剣に向きあうことで、次第にアスリートとしての自覚も芽生えていきました。

 今回の取材で、とくに印象に残った里見選手の言葉があります。それは、「どういう練習をするのか」という質問への答えでした。「走っています」──。つまり、車いすで走る。持久力を上げるために走る。私は、車いすは「漕ぐ」と思いこんでいましたが、里見選手にとっては「走る」。そうした選手の皆さんの言葉づかいも含めて、しっかり勉強して、パラリンピック競技の取材をしなくてはいけないと痛感しました。

 里見選手の目標は、東京パラリンピックの金メダル。シングルスだけではなく、「ダブルスでも金メダルを取りたい」と意欲的です。とくにシングルスは各選手の力が拮抗していて、誰が勝つのか予想が難しい状況。里見選手が優勝した世界選手権にも出場していた、元世界ランク1位のタイのスジラット・ポッカム選手を筆頭に、中国勢も強敵ぞろいです。

 世界選手権で優勝したことについて里見選手は、「勝っちゃった」と表現していたように、勝つ実力が自分にはまだないと思っていたにもかかわらず、予想外に優勝をしてしまった。もちろんうれしかったものの、「まだ力が足りてないのにいいのかな」と率直に思ったといいます。

 大会後、「優勝した里見」と注目されることがプレッシャーだったそうですが、その後、公式戦で負けて「ホッとした」と里見選手。ただ、王者としてのプレッシャーのなかでプレーする経験ができたことは、必ず糧になっているはずです。競技歴2年半ですから、まだまだ伸びしろも十分。東京パラリンピックに向けて、さらに注目したいと思います!

 12月14日(土)11:00~のBS-TBS『アスリート夢共演』でぜひ、里見選手と藤井さんの対談や対決をぜひチェックしてください。



photo by Yamamoto Raita

■プロフィール 上村彩子(かみむら・さえこ)1992年10月4日 千葉県生まれ 【担当番組】TV-『S☆1』土/24:30〜 日/24:00〜 『SUPER SOCCER』日/25:20〜 『フラッシュニュース』金21:00頃~(変動あり)※隔週 『Oh!ベイスターズ2019』 金/26:55〜 RADIO-『千葉ドリーム!もぎたてラジオ』…日 /12:30〜