NHK杯優勝、冬季アジア大会優勝など、輝かしい経歴を持つフィギュアスケート元日本代表の中野友加里さん。2000年代の女子フィギュアスケート界を牽引し、2010年3月に惜しまれつつも現役を引退。2010年4月からはフジテレビに就職。「アンフ…

 NHK杯優勝、冬季アジア大会優勝など、輝かしい経歴を持つフィギュアスケート元日本代表の中野友加里さん。2000年代の女子フィギュアスケート界を牽引し、2010年3月に惜しまれつつも現役を引退。2010年4月からはフジテレビに就職。「アンフェア the answer」「踊る大捜査線THE FINAL」などではアシスタントプロデューサーを務め、その後念願のスポーツ局に配置されると、「すぽると!」のディレクターとしても活躍した。

プライベートでは2015年に結婚し、翌年長男を、2018年には長女を出産した。そんな、公私共に順風満帆な人生を送っているように見える中野さんが、大きな決断をした。2019年3月にフジテレビを退社したのだ。今後については、「フジテレビでの貴重な経験を活かし、妻として母として家族を支えながら、審判員・解説・講演といった活動等にも励んで参りたいと思っております」と語る中野さんに、これまでのこと、これからのことを聞いた。

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恩師・佐藤信夫コーチ「5個500円のリンゴではなく、1個500円のリンゴを見せてくれ」

 

−−スケート界にもう一度戻ろうと思ったきっかけは?
中野:2010年に引退をしたのですが、その時は「二度とスケート靴を履くものか!」と思うくらい、スッパリと辞めることができたんです(笑)。でもやっぱり、スケートを21年間続けてきたので、そう簡単に切り離せるものでもなかったです。しばらくしてから、私が続けてきたフィギアスケートに対してどうやって携わっていこうかなと考えはじめたんです。最初はジャッジが向いているかなと思って、審判員の資格を取るというところから初めました。ちょうど結婚をして、子供もできて産休育児休暇を取っている間に、フィギュアスケートとの付き合い方をより考える時間もできました。退社したことで、幅広くフィギュアスケート界に携わることができればと思っています。

−−フィギュアスケートを辞める時、後悔とかはなかったのですね。
もともと大学院を卒業後の2010年の4月からフジテレビに入社することが決まっていたので、続けられたとしても2010年のバンクーバーオリンピックまでだと思っていました。とにかくオリンピックを目標として目指していましたけれど、オリンピックに行っても行けなくても、辞めると決めていたので、すっぱりとスケート靴を脱ぐ決心ができました。自分で決めていたので、踏ん切りがついたんだと思います。

−−オリンピックへのこだわりはなかったのですか?
2006年のトリノ、2010年のバンクーバーと、オリンピックに行けなかったというモヤモヤはありました。ここまでしかやらないと自分で決めていたのと、一番は気持ちが切れてしまっていたのかな、とも思います。4年先というのはすごく長い。当時は24歳だったのですが、フィギュアスケートは一年一年の老いをすごく感じやすいスポーツなので、その先の4年間なんてとても考えられなかったです。ここが限界、これ以上自分を向上させていくことはできないと感じました。

−−現役を引退され、フィギュアスケートとは関係のない世界を選んだ理由は?
テレビが大好きなんです。朝5時に起きて6時から練習していたんですけど、毎朝「めざましテレビ」を見てから練習に行っていたんです。だから「めざましテレビ」にすごく憧れを持っていて、フジテレビを志望しました。

−−入社してみたら理想と違いましたか?
社会人として自分でお金を稼いで、自分で生活設計を立ててやっていくということを目標に会社に入りました。みなさん同じだと思うのですが、社会人一年目はすごく大変で…。それまでは表に立って演技していたのに、いきなり裏方に回ってしまったので、慣れるまでが大変でした。その時は、「大変」という感情を通り越して過ごしていましたね。周りの先輩が話している言葉もわからなくて、いつになったら慣れるんだろうって不安に思うくらい大変な日々が続きました。

−−「踊る大捜査線」では中野さんが出演される企画もありましたよね?
ありましたね!あれこそ、自分で自分をプロデュースする、ではないですけど、「踊る大捜査線」の舞台セットを私が婦警になって紹介するという内容でした。台本もなく、構成を自分で考えて、喋りながら歩いて説明するというものだったので、いい勉強になりました。

−−映画の後はスポーツ局に異動になりました。「すぽると!」でやりたいことはあったんですか?
実はフィギュアスケートの中継をやりたかったんです。まずはアシスタントディレクターとしてニュース制作の知識を得るために「すぽると!」に配属されたと思うのですが、夜遅い時間の放送だったので、昼夜逆転の生活に慣れるのが大変でした。でも、実際やってみると生放送はスケートと共通点がたくさんありました。スケートの場合、ミスしてしまったら、どこかでリカバーしないといけないので、頭の中はすごく計算しながら滑っているんです。「すぽると!」の生放送でも、例えばAの構成を用意していたのに、突然速報が飛んできてBのパターンになる。臨機応変に対応しなければいけない。スケートの即座に判断するという力が役に立ったかなと思います。スケートは失敗することなんて考えてはいけなくて、パーフェクトにやらないといけないんですけどね。失敗したときのことを考えているとそれが的中してしまいやすいです。けれど、失敗した時にどう取り返すか、というところがフィギュアスケートには求められています。生放送で、決められた構成の中で変化していっても、それに対応できる判断力を身につけることができたと思っています。

 

−−スケート人生が仕事の役に立ったということですね。競技の中で一番影響を受けたことはどんなことですか?
佐藤信夫コーチには競技人生を終えるまでの最後の6年間みてもらっていました。スケートの教えだけでなく、スケートを終えた後のことも考えてアドバイスをしてくださいました。私はすごくせっかちな性格なので、「あなたの場合は『急がば回れ』。急いでいる時こそ、冷静になって考えて、物事をゆっくりやりなさい」とよく言われました。あとは、「目標に向かって頑張るという日々が大事なので、必ず目標を持ち続けなさい」と言われ続けてきましたね。演技前には「あなたは今まですごく練習を積んできたのだからできる」と言って励ましてくれていました。そういう言葉が、スケートをやめた後も励みになっていました。

−−佐藤コーチになってから変わったことはありますか?
それまでは365日毎日練習をしていましたが、佐藤コーチになってからは週に一回は休むようになりました。一日でも休むと取り戻すのに二日かかると思っていたので、休むことが怖かったです。それまで一度も休んだことがないのに、「休め」と言われた時に、「なんで休まないといけないんだ」と先生(佐藤コーチ)に噛み付いたことがありました。先生は「こんな子、はじめてだ」と困惑されていたようです(苦笑)。根気強く、「休むことによって、自分の心も体もリフレッシュできて、次また頑張ろうという気持ちになれるから、休むことは大切」と説得されて、渋々休むようになりました。映画を見たり、ショッピングをしたり、好きなことをやればいいと言われても、結局「この曲は来シーズン使えそう」「この舞台の役者さんの表現力は見習いたいな」とか、「最近はこういう服が流行っているなら、今度の衣装に取り入れようかな」とか、結局スケートのことばかり考えちゃって。休んだかどうかわからないですけど、勉強にはなったと思います。

−−佐藤コーチの印象的な言葉はありますか?
「無駄な練習をしない」と言われました。例えば、「5個で500円のリンゴではなく、1個500円のリンゴを見せてくれ」と言われたり…。「雑なジャンプをたくさん見せてくれなくてもいいから、高級品の美しいジャンプを見せてくれ」ということでした。要は無駄な練習をするなということですね。ダラダラとただ回数をこなしていくだけならやめなさいと。短期間に集中して、しっかりとした密度の濃い練習をしろと言われていました。そういうのって、勉強とかも同じなのかなって思いました。あとは、「人間、ボーッとして成長することもあるから、ボーッとする時間も大事。何もしない時間を作ることも大切」と言われました。佐藤コーチにみてもらうようになって、休むことって重要だなと思うようになりました。ずっと動き続けているとどっかで倒れちゃうし、リフレッシュも必要。スケートをやっている時は休むことに対して不安でしたけど、仕事を始めてから、「休みたいな」と思うことが増えました(苦笑)。特に今は育児をしていて、休むことの重要性を痛感しています。以前、下の子供が入院した時に、家に帰ってきて一息ついたときに急に足が上がらなくなってしまって。階段を上ることもできないくらいに。ずっと気を張って動き続けていたんだなと感じました。主人にも「休憩することも大切」「頑張りすぎても疲れるだけ」と言われています。

−−いつか自身が指導者として教えていきたいという思いはありますか?
それはないですね。私がコーチに向いてないと思った理由が、「種まきをしたなら、翌日にはきれいに花が咲いていてほしい」と思うタイプなのです(苦笑)。しかも、私はコツコツと毎日練習をしてサボらない、真面目気質だったので、他の人だと「なんで練習しないんだろう?」って思っちゃうタイプ。その考えを選手や生徒に押し付けてしまう可能性があるので、コーチという選択肢はないと思っていました。振付師という選択肢もありましたけど、クリエイティブに富んだ、芸術性は私には残念ながらないので(苦笑)。私は不器用で、形にはまった生き方しかできない人間なので、コーチにも向いていないし、振付師にも向いていないんです。でも、また違う形でフィギュアスケートと関わっていって、フイギュアスケートの魅力をたくさん伝えていきたいですね。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。

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