スポルティーバ・新旧サッカースター列伝 第14回ドリブルはサッカーのプレーの一つだが、そのドリブルのすばらしさでファンを熱狂させ、喜ばせてきたスターがいる。「ドリブル王選手権」の4回目は、数々のオリジナルフェイントにまつわる逸話と、選手たち…

スポルティーバ・新旧サッカースター列伝 第14回

ドリブルはサッカーのプレーの一つだが、そのドリブルのすばらしさでファンを熱狂させ、喜ばせてきたスターがいる。「ドリブル王選手権」の4回目は、数々のオリジナルフェイントにまつわる逸話と、選手たちの紹介だ。

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<オリジナルドリブル王選手権>

 フェイントに自分の名前がついている、またはその選手のトレードマークみたいになっている。オリジナル部門については、やはりそれぞれの発明者の優勝になるだろう。



エラシコの使い手としてはナンバーワンだったロナウジーニョ

 キックフェイントから立ち足の後ろを通す切り返しは「クライフターン」と呼ばれている。もちろん発明者はヨハン・クライフだ。本当のところクライフがこれを最初にやった選手かどうかはわからないが、もう名前がついてしまっているのだから優勝である。実際、このフェイントモーションは後代の多くの選手が使っているが、そのキレと効果という点で元祖を超える者は現れていない。

 ジネディーヌ・ジダンの「マルセイユターン」も有名だ。「ルーレット」とも呼ばれている。右足のインサイドか足裏でボールを引き、さらに左足の裏で引きながら、くるりと1回転するアレだ。実はこのフェイントはジダン以前からあったが、とくに名前はついていなかった。

 有名になったのはやはりジダンが使ったからで、動作の滑らかさとスピード感は格別だった。ジダンがこれをやると観客は沸き、チームメートは勇気を与えられ、本人も調子の良さを確認するという感じがあった。ジダンの優勝。

 アウトサイド→インサイドの連続切り返しである「エラシコ」はロベルト・リベリーノ(ブラジル/1970年、74年、78年W杯で活躍)が元祖として有名だが、もとはユース時代の友人だったセルジオ越後がオリジナルだそうだ。どちらもエラシコの名手だったわけだが、これに関してはオリジナルが優勝ではない。

 ブラジルの後輩たちがかなりうまいのだ。まず"フェノメノ"ロナウド(94年アメリカW杯メンバー、98年、02年、06年W杯で活躍)がすばらしかった。速かったし、リベリーノよりかなり大柄ということもあって、ボールの動く幅が違う。豪快なエラシコだった。さらに上を行く感じだったのがロナウジーニョ(02年、06年W杯で活躍)だ。ナイキのコマーシャルで有名になったが、アウトのワンタッチ目が浮いていた。ムチがしなるようなエラシコで、優勝はロナウジーニョとしたい。

<ネイマールに引き継がれたヒールリフト>

 相手の頭越しに浮かせて抜く「シャペウ」。こちらも名手はブラジル人が多い。代表的なのは1958年W杯決勝のペレだ。当時17歳、浮き球をコントロールしてDFをひとり外し、次に突っ込んできた相手をシャペウで抜いてボレーシュート。サッカー史に残る名場面のひとつである。

 この58年大会のMVPだったジジは、特殊なシャペウを得意としていた。カカトでボールを跳ね上げて背中越しに浮かせるプレー。このヒールリフトは、たぶんサッカーを始めたころに誰もが挑戦したであろう技だが、「ジジのフェイント」とも呼ばれていたそうだ。ジジは「フォーリャ・セッカ」(=枯れ葉)と呼ばれた壁を越して落とすFKの名手としても知られていた。

 ただ、ジジによるジジのフェイントは古い映像を探したが確認できなかった。曲芸的な技なので使う人はさすがに少ないが、現在でもネイマールは頻繁にこれをやっている。

 コーナーフラッグ付近で相手に背を向けた状態から、振り向きざまにアウトサイドですくって頭上を抜く技もある。何と呼ぶのかは不明なのだが、アルフレッド・ディ・ステファノが使っていた映像は確認できた。日本では木村和司とラモス瑠偉が使っていたのを見たことがある。

 浮いているボールからシャペウへの移行はよくあるが、地面にあるボールをすくい上げるのは難度が高い。シャペウ部門はヒールリフトを現代に蘇らせたネイマールの優勝としたい。

※アルレッド・ディ・ステファノ
レアル・マドリードの欧州チャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)創設(1955-56シーズン)からの5連覇に貢献した名プレーヤー。アルゼンチン、コロンビア、スペイン代表でプレー

<マラドーナも舌を巻いた、「エル・マヒコ」>

 インサイドでボールを押し出したあと、そのままボールをグイーンと左方向へ巻き込んでいく。ボールをインサイドへくっつけたまま半回転するこのドリブルの名手がブラジルのロマーリオ(90年、94年W杯で活躍)だった。「牛の尻尾」という名がついていた。

 ナイジェリアのヌワンコ・カヌ(98年、02年、10年W杯で活躍)もこれがうまく、瞬発系のロマーリオとは違ってボールの動く距離で幻惑する。とにかくリーチがあるので、ボールが大きく動くのが特徴だった。

 左右のインサイドの連続タッチで相手をかわすダブルタッチは、とくに誰のモノというドリブルではないが、ミカエル・ラウドルップ(デンマーク/86年W杯で活躍)が最高傑作だと思う。弟のブライアン・ラウドルップ(98年W杯で活躍)も使っていたが、父親のフィン・ラウドルップもこれの名手だった。親子2代で伝承された技なのだろうか。ちなみにドリブルする姿は3人とも見分けがつかないほど似ていた。アンドレス・イニエスタはバルセロナの先輩であるラウドルップのダブルタッチをマネて、自分のものにしたのだそうだ。

 どのカテゴリーにも入らないが独自性の強いドリブルとしては、あまりにも有名なので名を出すのも気が引けるのだが、ディエゴ・マラドーナをあげたい。

 技のデパートみたいなマラドーナだが、いちばん得意な抜き方は左足の足首の返しで右方向へボールを動かして抜くやり方だった。フェイントモーションはなく、相手の体重のかかり方を見て、インサイドでヒュッとボールを放り出すだけ。簡単そうでいちばん難しい抜き方かもしれない。マラドーナの瞬発力がないとたぶん成立しない。

 そのマラドーナにしてマネるのが「無理」と言わしめたのがエルサルバドルの超人、マヒコ・ゴンサレスのドリブルである。"エル・マヒコ(魔法使い)"と呼ばれた彼は、右足のマラドーナだった。マラドーナとほぼ同時代の選手で、スペインのカディスで活躍した。

 当時、マヒコのフェイントはスペインで話題になっていたようで、バルセロナの選手たちがマネしようとしたが、ことごとく芝生に転がるだけだったという。そのころバルサにいたマラドーナがマヒコ・ゴンサレスを気に入ってフロントにかけ合い、南米ツアーに参加させたそうだ。マヒコの2ゴールとマラドーナの1ゴールでフルミネンセ(ブラジル)を撃破し、マヒコのバルサ入りは濃厚になった。

 ところが、その夜に敗戦の八つ当たりでフルミネンセのサポーターがバルサの宿泊しているホテルの非常ベルを押した。バルサの選手たちが何ごとかとロビーに集まったが、その中にマヒコの姿が見えない。部屋を確認したら、女性を連れ込んでいたことが発覚。バルサへの移籍は立ち消えになった。

 しかし、マヒコは野心がないタイプの選手だった。相変わらずカディスでマイペースにサッカーと夜遊びの生活を続けていたという。困窮しているホームレスに有り金を全部渡してしまったり、カディスに来たときの格好があまりにもダサいのでファンから服をもらったりと、無頓着伝説にはきりがない。

 おそらくバルサの選手が誰もできなかったというフェイントは、変形のマシューズ型だろう。右足インサイドで左足の前へボールを動かしながら、そのままアウトサイドへ切り替える。まあ、これだけならマネできると思うが、インサイド→アウトサイドの逆エラシコで抜くときにボールを浮かせているのだ。

 インからアウトというより、インで左へ動かしながらツマ先にボールを乗せてヒョイと浮かせている。映像があるのでやっていること自体はわかるのだが、物理的に納得しにくい。まるで手品である。