文:鈴木友也 出典:SPOZIUM 2015年4月10日 (記事は執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります) 国民から高い注目を集めるスポーツイベントは、協賛活動において企業のマーケティング手法を大きく進歩させる牽引車…

文:鈴木友也

出典:SPOZIUM 2015年4月10日

(記事は執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります)

国民から高い注目を集めるスポーツイベントは、協賛活動において企業のマーケティング手法を大きく進歩させる牽引車のような役割を果たします。高額のフィーを支払って協賛する企業側に、新たな技術や発想を思い切って採用しようという機運が生まれるためです。スポーツ組織側にも、企業が協賛機会を自社の経営課題解決のために最大活用(アクティベーション)する支援を行う責任が発生します。

米国では、25年連続で視聴率40%超えを達成しているプロフットボールリーグ(NFL)の「スーパーボウル」を筆頭に、メジャーリーグ(MLB)の「ワールドシリーズ」やバスケットボール協会(NBA)の「NBAファイナル」、プロホッケーリーグ(NHL)の「スタンレーカップ」、大学フットボールの各ボウルゲームなど、国民から高い注目を浴びるスポーツイベントは枚挙に暇がありません。

一方、残念ながら日本には大きな注目を集めるスポーツイベントが米国ほど多くないのが現状です。協賛企業からスポーツ産業に流れる金額も、日米では恐らく桁が1つ2つ違うのではないかと推測します。それだけに、日本のスポーツ協賛(スポンサーシップ)の分野では、これまで大きな変化が起こりにくい状況にありました。

しかし、その状況も近い将来大きく変わる可能性があります。その契機となるのが、2020年に開催が決まった東京オリンピックです。56年ぶりの母国開催ですから、国民から大きな注目を集めるのは間違いありません。高度経済成長の真っただ中にあった前回に比べ、日本企業も段違いの経済力を有しています。今まで日本のスポーツ界が経験したこともないような巨額のマネーが企業から流れ込んでくるのはほぼ間違いありません。

実際、東京が開催都市に決定して以来、私のもとにも東京五輪の公式スポンサーに決定した企業や、スポンサー入りを虎視眈々と狙っている企業からの相談が多く舞い込んで来ています。その多くは、今までスポーツをマーケティングツールとして活用した経験のほとんどない企業です。今まで他方面に向けられていた企業マネーが日本のスポーツ界に堰を切って一気に流れ込んでくる、その前兆になるような気配をひしひしと感じています。

“貧乏神”を“福の神”に変えたロス五輪

今となっては想像もつかない話かもしれませんが、一昔前までオリンピックは開催国に大きな金銭的負担を強いる、いわば“貧乏神”でした。例えば、1976年のモントリオール・オリンピックでは、カナダは10億ドル(約1200億円)を超える赤字を背負いました。

その穴埋めに、カナダ国民は大会終了後10年にわたって、高い税金を払い続けたのです。80年のレークプラシッド冬季オリンピックでは、運営費が回収できず、オリンピック組織委員会が破産するという前代未聞の事態に陥りました。

オリンピックが国を滅ぼす。それが定説になりつつあった84年、ロサンゼルス・オリンピックがすべてを覆しました。奇跡を起こしたのは、ピーター・ユベロス氏。実業家だった彼は、自ら起業した旅行会社を業界2位に育てた手腕を評価され、ロス五輪の大会組織委員長に抜擢されました。

ユベロス氏の成功の秘訣は「独占」の概念にありました。同氏は、産業分野ごとにスポンサーシップを1社に独占的に与える代わりにその協賛料を引き上げる「公式スポンサーシップ制度」を取り入れました。テレビ放映権も同様に1社だけに与えられました。

結局、この大会は、米国、カリフォルニア州、ロサンゼルス市が、それぞれの税金を1セントも使うことなく2億2500万ドル(約270億円)の黒字を達成し、大会を成功裏に終えたのです。余談ですが、ユベロス氏はロス五輪終了後、MLB(米大リーグ)のコミッショナーに就任し、様々な経営改革を実施することになります。

米国のスポンサーシップは「第3ステージ」に突入

ロサンゼルス五輪の成功以降、米国ではスポーツが企業のマーケティングツールとして注目されるようになりました。以来、今日に至るまでスポーツスポンサーシップは、「スポーツ組織の意識の変化」から3つのステージに分類することが可能です。

「公式スポンサーシップ制度」が確立され、ビジネスツールとしての近代スポーツ協賛の仕組みが確立されたロス五輪以来、スポーツ組織は「権利の提供者」としての立場を過ごすことになります。基本的には「権利を売れば終わり」という意識です(第1ステージ)。

しかし、1990年代に入ると、アンブッシュ・マーケティング(公式スポンサーになりすましたマーケティング活動)の活発化や衛星放送やインターネットといった技術革新により、スポンサーシップ権として企業に提供できる種類が急速に増加する契機となりました。同時に、企業側にも協賛活動での経験曲線の上昇から、そのノウハウが蓄積されて始め、「スポンサーシップの多目的利用」というベクトルが生じます。スポーツ組織には、協賛企業がスポンサーシップに求める目的を見極め、それを達成するパートナーとしての意識が強まりました(第2ステージ)。

更に、いわゆる“リーマンショック”に端を発した世界同時不況を境に、企業内ではマーケティング投資に対する結果責任が強く問われるようになりました。スポンサー企業は合理的に説明のつかない投資活動を控えるようになってきており、スポーツ側にも投資対効果を明示できなければ企業からの投資を引き出すことができなくなるという強い危機感が生まれてきたのです(第3ステージ)。

求められる「イシュー・ドリブン」への転換

一方、日本のスポーツビジネスでは、協賛活動は「第1ステージ」からようやく「第2ステージ」に差し掛かった辺りという印象を私は持っています。多くの米国企業はスポーツ協賛を専門に扱う部署を持ち、そこにスポーツマーケティングのプロを配置していますが、日本の企業でそうしたケースは稀であり、あったとしても持ち回り人事により専門家が育成されず、ノウハウも蓄積されづらい環境です。

また、米国の場合、協賛企業が抱える経営課題(イシュー)が何なのかを把握し、それに対して企業とスポーツ組織が二人三脚で協賛権を活用した解決策を検討する流れが今では当たり前です。いわば、「イシュー・ドリブン」(Issue Driven)と言えるかもしれません。イシューは、伝統的な「AIDMA」モデルを利用すれば、「注目」(Attention)から「行動」(Action)まで多岐に渡るため、多種多様な権利活用形態(アクティベーション計画)が生まれます。

一方、日本でのスポーツ協賛はスポーツ組織から広告代理店に委託され、代理店が抱える広告媒体ありきで話が進むケースが多いため、メディア露出が中心の契約内容になりがちです。言い換えれば、「メディア・ドリブン」(Media Driven)ということになるでしょうか。

「スポーツ協賛契約」と言うと、米国ではコンサルティング契約に近い形態がイメージされるのですが、日本ではまだ広告媒体を買うメディア・バイイング(Media Buying)の意識が強いようです。しかし、消費者の購買プロセスを考えれば、広告媒体を押さえるだけでは協賛効果は限定的です。

スポーツ協賛の真の付加価値創出へ

毎年、米スポーツビジネス・ジャーナル誌(スポーツ組織のマネジメント層を主な読者に持つ)が年末に読者アンケートを実施しています。2012年に実施されたアンケートには「最も価値ある協賛権の内容は何か?」という設問があったのですが、その回答が今の米国におけるスポンサーシップへの見方を端的に物語っていました。

「協賛価値がある」とされるのは、いずれもアクティベーション計画に柔軟に活用できる「動的」(Dynamic)な権利ばかりです。逆に言えば、協賛活動の幅を限定してしまう看板広告などの「静的」(Static)な権利は、今ではあまり価値のないスポンサーシップ資産だと考えられています。

今、スポーツ組織に求められるのは、露出度の違いから松・竹・梅のパッケージを用意するのではなく、協賛権を活用して企業の抱える経営課題を解決することができる機会・仕組みを自ら創造する力です。

多額の企業マネーのスポーツ界への流入が確実視される東京オリンピックですが、協賛活動が従来の「メディア・ドリブン」の範疇に留まってしまえば、結果的に企業が得られる実効的なリターンは限定的です。自己満足のためだけの「大きな打ち上げ花火」を上げて後に何も残らない協賛活動では、スポーツ協賛活動の持つ本当の課題解決能力が企業に正当に評価されることは難しいでしょう。

米国企業が84年のロス五輪でスポーツの持つビジネスツールとしての潜在力に気づき、その後の試行錯誤を経てその活動ステージを有効に発展させて行ったように、2020年の東京五輪も、多くの日本企業がスポーツ協賛の真の価値に気づく機会になることを願っています。

 

鈴木友也

トランスインサイト株式会社 代表
1973年生まれ。一橋大学法学部卒業後、アンダーセン・コンサルティング(現アクセンチュア)を経て、マサチューセッツ州立大学アムハースト校に留学(スポーツ経営学修士)。2006年より現職。日本のスポーツ組織、民間企業、メディアなどに対してコンサルティング活動を展開。高校まで野球部、大学時代はアメフト部所属。