PLAYBACK! オリンピック名勝負---蘇る記憶 第16回

2020年7月の東京オリンピック開幕まであと8カ月。スポーツファンの興奮と感動を生み出す祭典が待ち遠しい。この連載では、テレビにかじりついて応援した、あのときの名シーン、名勝負を振り返ります。

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 2004年アテネ五輪、競技6日目の8月19日。アテネ郊外のアノ・リオシアホールで行なわれていた柔道女子78kg級。2回戦が初戦となった阿武教子(あんの・のりこ)は、開始2分27秒に一本背負いで”有効”を奪うと、そのまま崩れ袈裟固めでケイビ・ピント(ベネズエラ)を抑え込んだ。



自身3度目となったアテネ五輪で、ついに金メダルを手にした阿武教子

 記者席のモニターで映像を見ていると、一本勝ちが宣言される少し前に、阿武はかすかな笑みを浮かべた。

 その喜びは痛いほどよくわかった。彼女にとってこれは3度目の挑戦となった五輪だが、じつはこれが初勝利だったのだ。

 小学5年で、男子とも戦う全国少年柔道大会5年生の部で2位に入り注目された阿武は、高校2年の93年に体重無差別の全日本女子柔道選手権で初優勝。初出場の世界選手権では72kg超級で2位になった。さらに翌94年はアジア大会無差別級で優勝し、身長162cmと小柄ながら、瞬く間に日本女子重量級のエースとなった。

 95年世界選手権では72kg超級、無差別級とも5位にとどまったが、96年は全日本女子選手権の4連覇を達成した。

 当然のようにアトランタ五輪代表に選出された。だが、優勝を期待された本番では、プールAの最初の試合に登場したものの、ブラジルのエリナンシ・ダ・シルバに開始35秒で内股を決められ、あっさり敗れてしまった。

 その後は72kg級に階級を変えて、97年世界選手権で初優勝。99年には全日本女子選手権で3年ぶり5回目の優勝を果たすと、世界選手権ではカテゴリー変更となった78kg級で優勝し、00年シドニー五輪は金メダルとして臨んだ。

 だが、アトランタの1回戦負けは彼女の心に大きな傷跡を残していた。この当時、彼女が口にしていた目標は「初戦突破」だった。「今度こそ」という思いが過度の緊張となって襲いかかり、通常は76kgの体重が本番前には72kgを切るまで落ちてしまっていた。

 そんな状況では力を出せるはずもなかった。阿武はまたしても、初戦の2回戦でイタリアのエマヌエラ・ピエラントッツィを相手に攻められず、指導1を受ける優勢負けを喫してしまったのだ。

 それでもその後は、01年と03年の世界選手権を制覇して4連覇を達成。3度目の挑戦になったアテネ五輪では、大会前から「金メダルを獲りたい」という目標を口にして臨んだ。自分を追い詰めすぎないように、春から夏までの5回の合宿とアテネ五輪の本番には、国内試合でいつも付き人を務めてくれる兄・貴宏さんに帯同してもらった。今回は、体重もしっかり76kg台をキープできていた。

「今回は体重調整もうまくいったし、いつもどおりの状態で臨めたので、初戦で勝てば勢いに乗っていけると思っていました。でも、五輪では勝ったことがなかったので、最初の試合は本当に緊張しました」

 そう話していたとおり、初戦では硬さも見られた。だが、28歳で挑んだ3度目の五輪は、過去2回とは違っていた。最初から積極的に足を飛ばして攻め、序盤には右送り足払いでピントをグラつかせると、投げ技も仕掛けて、開始1分2秒で相手に指導。そして、投げ技を連続させる連絡技も出して戦いを支配すると、一本背負いから崩れ袈裟固め。2分53秒で一本勝ちを決めて、初戦突破を果たした。

 次の3回戦は、身長180cmのルチア・モリコ(イタリア)が相手だった。これも競ったのは互いに指導をもらった開始1分7秒まで。阿武は2分24秒に小内巻き込みで効果を奪うと、その後は足も飛ばす多彩な攻めで圧倒し、3分44秒には相手に3つ目の指導を出させて、最終的に優勢勝ちを収めた。

 この日、準決勝が始まる午後の柔道会場は、日本にとって雰囲気が良くない状態だった。世界選手権3連覇を果たし、この大会で五輪連覇を期待されていた男子100kg級の井上康生が、準々決勝で敗れて連覇を逃し、敗者復活2回戦でも敗れてメダルも逃していたのだ。

 阿武の準決勝の相手は、01年世界選手権無差別級優勝のセリーネ・ルブラン(フランス)。互いに手の内を知っている選手で、阿武の動きは少し硬く見えた。ガッチリ組み合っても互いに技を出せず、1分22秒には両者に指導が出た。その後も効果的な技を出せないまま、5分間の試合時間が終了。5分間のゴールデンスコア(延長戦)に入っても、阿武はなかなか効果的な技を出せない状態が続いた。だが、ルブランが下あごの止血治療で少し時間を取ったことがきっかけになった。

「ゴールデンスコアは初めてだったのですが、途中で向こうが疲れているのがわかったので、『大丈夫だな』と思いました。このまま判定になってほしくないと思って、一発勝負をかけました」

 阿武は残り30秒を切ってから背負い投げを仕掛け、そこから大内刈りに替えて押し込んで有効を奪い、勝利を決めた。9分41秒の戦いだった。

「試合中は吉村和郎先生が怒っているのがわかるくらい、冷静に戦えていました」と、阿武は笑顔を見せながら話した。劉霞(中国)との対戦になった決勝は、「冷静すぎるほど冷静だった」という状況。開始2分22秒で両者に指導が出たが、安心して見ていることができた。4分38秒には左袖釣り込み腰で一本勝ち。「ずっと練習をしてきているけど、試合では出せない」と笑いながら嘆いていた技を、この大一番で初めて決めた。

 吉村和郎・女子強化ヘッドコーチは「初戦からかなり硬く、準決勝のルブラン戦がひとつのヤマだと思っていたが、気持ちで負けていないことが大きかったですね。最後まで、技を出しきってくれました。阿武は五輪でなかなかメダルを獲れませんでした。世界選手権では獲ったけれども、そこから先のあと一歩がなかなかうまくいきませんでした。技が切れない分、阿武は本当にコツコツとやり続けてくれました」と評価する。

「シドニーの悔しさもわかってくれている吉村先生からは、『頑張ってきた甲斐があったな』と言われました。いろんな浮き沈みがあったけど、『こんな経験をしている選手はほかにいない』と、ずっと自分に言い聞かせてきました」

 長い時間を費やして追い求め続け、やっと届いた五輪の金メダル。それを手にした阿武は、五輪後に強化指定選手の辞退を申し入れると、現役引退を表明。最後に栄光を手にして、長い戦いを終えた。