2日間で計413球を投げ抜き、日本に金メダルをもたらした11年前の北京五輪を思い起こさせる上野由岐子の”大熱投”を見た…

 2日間で計413球を投げ抜き、日本に金メダルをもたらした11年前の北京五輪を思い起こさせる上野由岐子の”大熱投”を見た。

 11月17日、来年開催される東京五輪のソフトボール会場でもある横浜スタジアムで行なわれた女子ソフトボール日本リーグ決勝トーナメントの最終日。上野は午前中に行なわれた3位決定戦、「中1時間」でプレーボールとなった決勝戦の2試合をひとりで投げ抜いた。

 陽が傾いてきた午後3時12分、上野はこの日投じた計271球目で三振を奪い、ビックカメラ高崎を2年ぶり12度目の優勝へと導いたのだった。



2試合をひとりで投げ抜き、チームを優勝に導いた上野由岐子

 1試合目で143球を費やしながら1失点完投した上野は、決勝では12奪三振で完封勝利を挙げた。まるで1試合目が試運転だったと言わんばかりの、驚きの投球内容である。

 ただ、この舞台裏ではさまざまな”想定外”の出来事が起きていた。しかし、上野はそんなことを微塵も感じさせずマウンドで投げ続け、平然とアウトを積み重ねていった。それこそが上野由岐子の凄みであり、”レジェンド”と呼ばれる所以(ゆえん)である。

 上野は何を乗り越え、最後に勝利という栄冠をつかんだのだろうか——。

 そもそも1日2試合というスケジュールは、上野はもちろんチームにとっても回避したかったはずだ。ビックカメラ高崎はリーグ戦1位でトーナメント初日に臨んだのだが、同2位のHONDAに敗れてしまい、優勝するには翌日の3位決定戦、決勝戦に連勝するしかなくなったのだ。そのHONDA戦は若手投手主体で臨み、上野はブルペンで準備をしたが登板はなかった。

 17日の決戦前夜、上野は自分の体のどこが万全でないのかをわかっていた。

「このところ人工芝のグラウンドでプレーすることが多く、体に負担がかかっていたんです。横浜スタジアムのブルペンも土ではなくマットだったので、いつも以上に体の力を入れなければならなかった」

 上野は大事な試合を控える時、必ずと言っていいほど「先生」に体を預ける。

「先生、ちょっと背中の左側のここが……」

 一流アスリートほど”自分の体”に敏感だ。そして自分の求めていることを、第三者へ的確に伝えることができる。これまで多くのアスリートを取材してきたが、その差は非常に大きい。

「じゃあ、左側を上にして寝転んで」

 上野はその指示に従い、床に置かれたマットの上に横たわった。チーム宿舎の一室で、体のケアが始まった。

 上野が言う「先生」とは、『鴻江スポーツアカデミー』の代表でアスリートコンサルタントの鴻江寿治(こうのえ・ひさお)だ。さまざまな施術やトレーニングのノウハウから”鴻江理論”を確立し、それに基づいた”骨幹理論”を提唱。人間の体は、うで体(猫背型)とあし体(反り腰型)に分かれており、それぞれに合った体の使い方をすることでケガの予防やパフォーマンスの向上につながると声を上げる。上野と鴻江は北京五輪の前年に出会い、もう10年以上の付き合いになる。

 1時間半ほど体のバランスを整え、元の自分の形に戻していく。その途中で投球フォームの話になった。鴻江のアドバイスを受けた上野がすっと立ち上がると、部屋のなかでシャドーピッチングを始めた。

「あっ、なんかいい感じです」

 表情がほころぶ。お腹の前にセットした両手を、投球動作に入る前にポンと一度浮かしてみた。その動作を入れただけで、上半身と下半身のバランスが合致。リズムもよくなり、なにより投げる方向に対しての推進力が軽めのシャドーピッチングにもかかわらず、段違いに増したように見えた。

 そして翌日、上野はぶっつけ本番で、その投げ方をしてマウンドに立っていた。

「上野さんのすごいところは、常に高みを目指しているところです。だから現状に満足せず、いつもチャレンジする。それが困難であっても、カベを乗り越えることを楽しんでいるんです」

 そう語るのは『鴻江スポーツアカデミー』のスタッフで、上野が所属するビックカメラ高崎のチームトレーナーも務める佐藤大輔だ。彼もまた、10年以上、上野をサポートし続けている。

 朝10時にプレーボールした3位決定戦のトヨタ自動車戦、立ち上がりは最悪だった。いきなり四球を与え、次打者にはヒットを許した。ロースコアが基本のソフトボールにおいて、先制点は勝敗を大きく左右する。ましてや、フォームを変えて臨んだ試合でいきなりの大ピンチである。プロ野球でも多くの投手が「立ち上がりは不安」と言うように、自分自身の調子を疑って自滅する者もいると聞く。だが上野は、表情ひとつ変えることはなかった。むしろ、余裕すら感じるマウンドさばきを見せていた。

 試合後、この場面を上野はこう振り返った。

「私のなかでは冷静でした。今日の自分にすごく自信を持っていたんです。ちょっと甘く入っても打たれないと、気持ちに余裕を持てていました。その後のイニングもずっとランナーを背負っていましたが、気持ちの余裕はずっとありました」

 鴻江との信頼関係もあるが、これが上野由岐子である。今年、日本リーグで自身15度目のノーヒット・ノーラン(うち8度は完全試合)を成し遂げたが、マウンドでは「1イニングで15球はボールを投げてもいい」と考えているという。

「全部抑えなきゃと思うときつくなる。フォアボールを3つ出して、3ボールになってもゼロに抑えればいい。打たせないのが仕事じゃなくて、失点しないのがピッチャーの役割ですから」

 マウンドを、そしてグラウンドを自分の空間として支配する。

 ソフトボールは20秒以内に投球しなければならないルールがあり、ネット裏に大きくタイムが表示される。それでも上野はロジンバッグに手をやると「ボールでいいよ」「あせらないで」「力まないで」と自分自身に言い聞かせ、気持ちをリセットしてから投げることを心がけている。

 この日、3位決定戦の主審の判定は厳しかった。これに崩れたのは、トヨタ自動車のマウンドを託された絶対的エースでもあるモニカ・アボットだった。彼女は試合後の会見で、「球数……すごくいい球がいったのに審判が(ストライクを)取ってくれなくて、リズムをつくれなかった」とコメントした。アボットとバッテリーを組む峰幸代は言う。

「アボットの調子は悪くなかった。だけど、彼女は審判の判定にイライラしていました。自分で自信をなくしてしまうんです。上野さんはそれがなかった」

 また、今回はマウンドが硬くつくられており、上野の体には相当な負担がかかった。足がつりかけるなど、ギリギリの状態で投げ続けていた。それでも試合後、上野は冷静な表情でこう語った。

「硬いマウンドで、球数を投げた時の体の変化を試せたのはいい経験になったと思います」

 横浜スタジアムの雰囲気やマウンドの状態……大一番を戦いながら、東京五輪に向けた準備もしっかりと行なっていた。

 そしてもっとも上野らしさを見せたのが、優勝した試合後のコメントだ。

「喜びって一瞬です。でも、この一瞬のために365日、努力している。それがアスリートだと思います」

「優勝したからといって、私にとっては特別な日じゃない。自分へのご褒美もない。365日のなかの一日です」

 あの北京五輪での感動が、来年再び横浜で。そんなことを想像するだけで、ちょっと目頭が熱くなってきた。