NHK杯、2日目のフリースケーティング。紀平梨花(17歳、関西大学KFSC)はリンクサイドで、濱田美栄コーチと”儀式”をすませた。両手を合わせ、見つめ合い、おでこを近づけ、花が咲き誇るように顔を綻ばせる。それは…

 NHK杯、2日目のフリースケーティング。紀平梨花(17歳、関西大学KFSC)はリンクサイドで、濱田美栄コーチと”儀式”をすませた。両手を合わせ、見つめ合い、おでこを近づけ、花が咲き誇るように顔を綻ばせる。それはルーティンに近いだろう。



NHK杯は2位に終わった紀平梨花

 その笑みは、”演技者”としてだ。

 しかし、リンク中央で最初のポーズを取る瞬間だった。紀平は刹那、自然に笑みを洩らしていた。”私の演技を見せるわ”という気概に似た野心が、笑みと一緒に溢れ出ていた。吐き出した息とともに肩の力が抜ける。血が脈打つ音が聞こえそうで、あきらめるとか、恐れる、怯むとか、一切ない。心から勝負を楽しんでいた。

 紀平はひとりのアスリートとして、立ちふさがる敵が出てきたときのほうが強いタイプだ。

  NHK杯、紀平は2位に終わっている。同じグランプリ(GP)シリーズ、スケートカナダに続いて、優勝することはできなかった。

 今シーズンは、ロシアの若手3人の強さが際立つGPシリーズになっている。スケートカナダでは、4回転を軽々と跳ぶアレクサンドラ・トゥルソワが優勝。NHK杯では、高さのあるトリプルアクセルと、高難度のコンビネーションジャンプで、アリョーナ・コストルナヤが頂点に立った。また、アンナ・シェルバコワも4回転を武器に大会を席巻し、この3人が全6回のGPシリーズを独占した(それぞれ出場した2大会ですべて優勝)。

 昨シーズンのGPファイナル王者である紀平は、NHK杯でシーズンベストスコアもたたき出し、2年連続での出場を決めた。にもかかわらず、ロシア勢の後塵を拝することになった。ファイナルに向け、劣勢に立たされたとも言える。

「細かいミスがなかったとしても、1位になれたかどうか。ファイナルに向けては、厳しい戦いになるのは間違いないです。昨シーズンと同じ演技をしても(優勝に手が)届かないと思います」

 紀平はNHK杯後、正直な告白をしている。

 もっとも、白旗を上げたわけではない。むしろ、自分より年下の選手たちとの真っ向勝負を楽しみにしているように映った。成功率の低さを考慮して封印した4回転サルコウを、ファイナルでは発動させるはずだ。

「1位(ファイナル連覇)を狙うには、4回転サルコウも必要になると思います」

 NHK杯開幕前、紀平はそう明かしている。

「4回転は練習ではやっていますけど、まだ(練習が)足りなくて。もっと自信を持った状態で跳びたいです。もう少し練習し、あとは試合で跳ぶのも大事。アクセルもそうでしたが、試合で(高い成功率で)跳ぶのには時間もかかりました。4回転を跳ぶのにも、大会での氷の感覚はまたいつもと違うし、疲れた状態で跳ばないといけないので」

 紀平は、トリプルアクセルを跳び続けることで精度を高めてきた。ほかにもトリプルアクセルを跳ぶ選手はいるし、高さなどの課題もある。しかし、安定感はほかのスケーターに勝る。

 彼女は冷静だ。強敵との距離を測って戦う。

「すべてのジャンプで、加点をもらえるようにしたいです。ロシアの選手たちにも近づけるように。ファイナルでは、その(加点した、ミスのない)点数を出したいです。(NHK杯の)フリーもひとつレベル3がついてしまったので。しっかり練習して、ショート(プログラム/SP)もフリーもスケーティング技術も高め、ノーミスでいけるように」

 今大会、取材陣の間では「4回転は入れないのでは」という予測が強かった。なぜなら、前日練習では成功したものの、曲かけでは失敗。まだ成功率は低く、ファイナルに進む「2位以内」の条件をクリアするのに、危ない橋を渡る必要はなかった。成功率を高めたトリプルアクセルに悪影響が出ないように、計算できるプログラムを選ぶほうが得策だったのだ。

 しかし、それでも紀平は最後まで可能性を探っていた。

「当日の朝の練習で決めます」

 そう語った彼女は、日々の進化を信じているのだろう。その向上心は、プログラム構成に現れている。冒頭でトリプルアクセルを跳ばず、3回転サルコウを入れているのは、「トリプルアクセルはどこでも跳べる」という自信と、「勝つために4回転サルコウを跳ぶ」という覚悟だろう。結局は回避したが、当日の予定表には冒頭のジャンプに、4回転サルコウと出ていた。

 紀平は、自分のイメージを実技に近づけるため、スケートと対峙している。取材エリアでのやりとりだった。

――”しっかり”というのが口癖のようですが、具体的にどのような意味を指すのでしょうか?

 紀平はそんな質問を記者から受けたあと、しばし考えてから丁寧にこう説明した。

「大きなミスなく、滑れたか。自分自身が緊張なく、集中して。ベストを尽くせたなと思えるかどうかです」

 彼女は、言語化することを逃げなかった。表現者であるフィギュアスケーターとしての鍛錬だろう。”しっかり”は集中したトレーニングを重ねた成果で、それを出せると感じたとき、自然に笑みがこぼれる。

 12月5日、イタリアのトリノで開幕するGPファイナル。氷から立ち込めた湿気を含んだ空気は、独特の匂いがする。紀平はそこで笑うのか――。