「ドラフト会議の指名が正しかったのか否かは、10年後に出る」。これはプロ野球界の鉄則です。 指名選手には有名な甲子園の…
「ドラフト会議の指名が正しかったのか否かは、10年後に出る」。これはプロ野球界の鉄則です。
指名選手には有名な甲子園のスターがずらりと並び、当日の夜には「今年は満点ドラフトだ」「数年後、黄金時代の到来は間違いないね」と歓喜しながらも、彼らが思うように一軍の戦力には育ってくれなかった…というのはこの世界、割とよくある話です。
生き馬の目を抜くプロ野球界において、10年後に何人、生き残っているか。そして引退後、そのうち何人が力量を買われ、指導者としての道を歩めるのか-。
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1995年秋のドラフト会議でヤクルトが指名した4選手
そんなことに思いをはせながら、1995年秋に行われたドラフト会議でのヤクルトの指名選手を見てみると、新鮮な感動があります。PL学園の福留孝介に高校生としては史上最大となる7球団が指名した24年前のドラフト会議。ヤクルトスワローズが指名した4選手とは-。
1位 三木肇(上宮)
2位 宮出隆自(宇和島東)
3位 野村克則(明治大)
4位 石井弘寿(東京学館)
そうです。三木は今秋、楽天イーグルスの監督に、野村は1軍作戦コーチへと就任しました。宮出はヤクルトスワローズのヘッドコーチ、石井は投手コーチに就きました。なんと指名4選手全員が監督、コーチとして「入閣」しているのです。
全員が鳴り物入りのエリートとしてプロの世界に足を踏み入れたわけではありません。それではなぜ、このような「奇跡」が訪れたのでしょうか。
一番の理由は・・・
一番の理由には、当時の指揮官が野村克也監督だったことが挙げられます。
同年のヤクルトは野村監督にとって就任6年目のシーズンであり、2年ぶりのリーグ優勝と日本シリーズ制覇を果たしたシーズンです。全カード勝ち越しでセ・リーグを制し、オリックスとの日本シリーズではイチローに内角高めの速球を意識させて攻略し、4勝1敗で日本一になったことは語りぐさです。
まさに「ID野球」の全盛期と言えるでしょう。
1年目からキャンプでは「ノムラの考え」をたたき込まれた。猛練習を終え、眠たくなる夜間には、座学での学習が課された。野球は「間」が多く、考える時間のある「頭のスポーツ」だと学んだ。準備の大切さを胸に刻み、野球に関する知識を貪欲に増やし続け、経験によって血肉化し続けた。
その結果、感覚ではなく言語で、その妙味を伝えられるようになった-。
4人はいずれも40代と若く、選手とともに汗を流し、心情を理解しながら、近い距離感で「伴走」できるというメリットもあります。
真摯な人柄が球界で評価されているのも、4人の共通項と言えます。
「ノムラのDNA」が2020年シーズン、若い選手たちにどれだけ伝播していくのか。注目していきましょう。
[文/構成:ココカラネクスト編集部]
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