東海大・駅伝戦記 第70回 上尾ハーフは、東海大の選手にとって箱根駅伝をかけた最後の選考レースである。全日本大学駅伝に出場した選手は基本的に参加しないが、それ以外の選手にとってはラストチャンスになる。はたして、誰が箱根駅伝に挑戦する権利…

東海大・駅伝戦記 第70回

 上尾ハーフは、東海大の選手にとって箱根駅伝をかけた最後の選考レースである。全日本大学駅伝に出場した選手は基本的に参加しないが、それ以外の選手にとってはラストチャンスになる。はたして、誰が箱根駅伝に挑戦する権利を得るのか──。

 ひとつの興味はそこにあったが、もうひとつは気になるふたりの選手の出走だった。關颯人(4年)と中島怜利(4年)が、レースの舞台に戻ってくると聞いていたのだ。



今年1月の箱根駅伝で6区を任され、区間2位の走りを見せた東海大・中島怜利

 中島を見かけないことに気がついたのは夏合宿だった。朝練習の前に必ず全員が集合するのだが、そこに中島の姿がなかった。2年生や3年生であれば、実業団の合宿に参加するケースはあるが、進路が決まった4年生がそこに行くことは稀で、夏の全体合宿に姿が見えないのは不自然だった。

 初めて中島の悩む姿を見たのは、今年5月の仙台国際ハーフだった。ロード組として鈴木雄太(3年)らと出場したが、タイム(68分37秒)も内容も今ひとつで、中島は肩を落として待機場所に座っていた。もともと明るい性格で、大の負けず嫌い。2年の箱根駅伝発表会の時は、鬼塚翔太や關ら主力選手との人気格差に愕然とし、「6区で結果を出して、来年はあの人気をひっくり返してやる」と気を吐く選手だった。そんな選手が、魂を抜かれたように静かだった。

「箱根が終わってから調子も気持ちも上がらずといった感じで、結果もついてこないですね。とくにケガとかはないのですが、練習も積めていないですし、落ち込むというか……ちょっと焦っています」

 昨年の出雲駅伝で3区を任され、ブレーキになった時も待機所のベンチにポツンとひとりで座り、ずっと下を見つめていた。その時は原因がはっきりしていたので、「そこからはい上がるだけ」と心に決め、その後は意欲的に練習に取り組んだ。その結果、上尾ハーフで6位に入賞し、箱根に戻ってきた。

 だが今回は、その時とは様子が異なる。気持ちも調子も上がらず、その原因も把握できていない様子だった。

「陸上を始めて10年目になるんですけど、毎年、自己ベストを更新し続けていて、あまり苦労してきませんでした。短期的な故障はあったけど、足が痛くても走ると治っていたので、そこで苦しんだこともない。でも、今回のように何もないのにうまく走ることができなかったり、結果も出なかったりというのはなかったんです。正直、かなり焦っていますが、監督やコーチが待っていてくれていて……今は自分のペースで競技をやらせてもらっているので、夏以降に走れるようにしたいですね」

 ゴールデンウィーク中、ロード組は合宿をしていたが、中島はオフをもらっていた。リフレッシュし、それから練習を再開。その最初のレースが、仙台国際ハーフだった。

 練習不足もあり、結果は出なかったが、おそらく想像以上に走れなかった自分に驚き、焦りを感じたのだろう。だが、この時は次に向けて前向きだった。6月の日本学生陸上競技個人選手権大会の5000mに出場することを決めていたからだ。

「1年ぶりに5000mを走るんですけど、昨年は13分台を2度も出しているので……。今年は1月の箱根駅伝以降、ハーフを6本走りましたが、きつくて思うようにいかなくて……5000mは気持ちよく走れているので、そういうところから気持ちを切り替えて、モチベーションを上げていけたらと思います」

 しかし、個人選手権の5000mは15分12秒72と設定よりもかなり遅いタイムに終わった。続く平成国際大記録会の1万mでは31分27秒37、7月の東海大記録会の5000mでは15分09秒68と、調子は一向に上がってこなかった。

 そして、そこから中島の姿が消えた。アメリカ合宿にも参加せず、寮からも一時離れていたという。

 そんな中島が、上尾ハーフで約4カ月ぶりに走る姿を見せた。昨年は62分28秒の自己ベストを更新したが、今年は69分21秒だった。

「練習を再開したのが最近で、当初、上尾は出る予定がなかったんですけど、エントリーしていたので、練習でもいいからまずはレースに出ようと。なので、出て、走れたことはよかったです」

 中島は淡々とそう語った。

 しかし、中島にいったい何が起きていたのだろうか。故障か、それとも……。その問いに対して、中島はこう返した。

「ケガとかじゃないです。でも、なんですかね……まあ、今日は疲れました」

 不調の原因については、口をつぐんだ。

 あくまで推察だが、走ることに気持ちとモチベーションを失っていたのは、仙台国際ハーフでの中島の言葉からもわかる。それまで中島にとって最大の目標であり、モチベーションとなっていたのは、箱根駅伝で優勝することだった。それを成し遂げてしまった以上、箱根2連覇や、6区の区間記録を更新するという目標があっても、再び箱根に向けて気持ちとモチベーションを高めていくことが難しくなってしまったのかもしれない。いわゆる「燃え尽き症候群」というやつだ。

 不調の原因が何であれ、57分台を出して小野田勇次(青学大→トヨタ紡織)の区間記録を破るのが目標じゃなかったのかと言いたいところだったが、上尾ハーフでのタイムはその声を封じ込めてしまうぐらい厳しいものだった。

「箱根は……ようやく今からやっていこうかなと思っている感じで、(来年の)1月3日を考える余裕はないです。東海を卒業してからも競技は続けていくので、そのことを見据えて練習を再開したという感じのほうが大きいかな。箱根(に向けて)の合宿も考えていないですし、走りたいとかもないです。僕の代わりなんていっぱいいる。58分台であれば、ウチの選手なら十分にいけると思うので、ほかの選手や、今回ここでいい記録を出した松崎(咲人/1年)や市村(朋樹/2年)に頑張ってほしいですね」

 そう言うと、中島はみんなが待つ待機所へと去っていった。

 今回の箱根は、4年連続の6区で区間新、区間賞を獲る走りを期待していたし、中島ならできるだろうと思っていた。だが、もう合宿には行かないという。東海大の選手であれば、それが何を意味するのか、容易に理解できるだろう。いま中島はそういう状況にある。

 關は、出雲駅伝、全日本駅伝とエントリーされながら出走しなかった。一昨年の出雲でアンカーを任され、優勝テープを切った姿は今でも鮮明に覚えている。さらに昨年の全日本では2区を走り、トップに押し上げる走りを見せた。

 だが、前回、前々回と箱根駅伝は走れていない。今年1月、箱根駅伝で初めて優勝した時、關は「最後ぐらいは箱根を走って終わりたい。4年になったらケガをせず、箱根までいきたいですね」と目標を語っていた。

 実際、その言葉どおり、今年は慎重にシーズンに入り、故障なくトラックシーズンを終えることができた。夏前、關はホッとした表情を見せていた。

「今年はケガをしないことしか考えてこなかった。基本的に練習をやりすぎないようにしました。距離走もいつもなら”あと1周”といってしまうんですけど、やめています。いい練習をすることは大事ですけど、ケガをしてしまうと意味がないので……ケガをせずに練習の成果を積み上げて、秋の駅伝を迎えたい」

 ケガはなかったが、競技的に自己ベスト更新のないシーズンとなり、5000mもシーズンベストが14分01秒と、初めて13分台を出せずに終わった。關は故障がないにもかかわらず結果が出ないことに、「かみ合わない」ものを感じていたという。

 夏合宿では最初は別メニューだったが、アメリカ合宿からチームに合流し、日本インカレの5000mに出場。帰国して3日目の大会で、時差ボケと疲労が抜けない状態でどこまで走れるかをテーマにして挑んだが、タイムは14分11秒75ともうひとつの結果に終わった。

 じつは、この日本インカレの前から關はアキレス腱痛を抱えていたという。結局、痛みが消えぬまま、出雲も全日本も走れなかった。だが、2つの駅伝を走れていないなか、上尾ハーフも出走できないとなると、箱根駅伝の道が閉ざされてしまう。

「上尾は箱根のために走っておかないといけない大会なので……。正直、まだ痛いですし、治りが悪い感じなんですよ。でも、足の状態がよくなるのをただ待っているわけにはいかないので、走りながら治していかないと」

 レースは、アキレス腱痛を悪化させるわけにはいかないので、無理はしなかった。1週間前に世田谷ハーフを走った館澤亨次(4年)と一緒に1キロ3分40秒のペース走の予定だった。だが館澤の調子がよく、3分30秒ペースで押していったので、關は「速いな」と感じながら走っていたという。じつは、關が練習を開始したのが、上尾ハーフのちょうど1週間前だった。

「走り始めなんで、めちゃきつかった」

 關はそう言って苦笑した。

「今日走れたのは最低レベルです。これから箱根の合宿に行きますけど、強い選手がたくさん出てきていますからね。今日も(松崎)咲人は十分に走れると思っていました。自分はこれから練習できるようになれば……1カ月半である程度戻せるというか、なんとか箱根に間に合うという感じですね」

 夏合宿をこなしているのでベースはある。ただ、アキレス腱痛を抱えながらどこまで状態を上げていくことができるのか。1カ月半あるとも言えるが、1カ月半しかないとも言える。

「現時点では『調子が……』と言える状態ではないので、いま自分が何%ぐらいとかも言えないです」

 正直、それが關の現在地だ。だが、このまま何もしないで終わらせるつもりは毛頭ない。

「いつも注目してもらっているのに期待に応えられていない。満足できない陸上人生だし、このまま終わるのは絶対に嫌なので、練習をやり続けて、箱根を1回はちゃんと走りたいと思っています」

 前々回の箱根は、1区でエントリーされたが当日の変更で三上嵩斗(現・SGホールディングスグループ)の付き添いになった。そして今年1月の箱根は、鬼塚の付き添いだった。

「優勝メンバーに入りたかったなぁ」

 レース後、なんとも言えない表情で語った關の言葉が忘れられない。拙著『箱根奪取』にも書いたが、今回の箱根駅伝2連覇のカギを握るのは關だと思っている。彼が完全な状態で戻ってくれば、分厚い選手層が極限にまで膨らむ。黄金世代のシンボルが輝けば、チームはより勢いを増す。

 どんなチームにも別格の選手がいるように、東海大にとっても關の存在はただの一選手ではないのだ。

 故障に苦しみながらも、最後は「やっぱり關だな」と言われるぐらい、完全無欠の復活劇を最後の箱根で見せてほしいと思う。