東京2020パラリンピックの新競技、パラバドミントンの代表出場権をかけた選考予選大会兼テストイベント「ヒューリック・ダイハツJAPANパラバドミントン国際大会2019」が13日から5日間の日程で、パラ本番会場と同じ国立代々木競技場第一体育…

 東京2020パラリンピックの新競技、パラバドミントンの代表出場権をかけた選考予選大会兼テストイベント「ヒューリック・ダイハツJAPANパラバドミントン国際大会2019」が13日から5日間の日程で、パラ本番会場と同じ国立代々木競技場第一体育館で行なわれた。



18歳になったばかりの梶原大暉が、東京パラのプレ大会で躍動した

 今大会は、東京パラ出場を目指す選手にとって重要なポイントレースのひとつ。世界トップクラスのプレーヤーも多く参戦した。そのなかで、目を見張る勢いだったのが、日本の車いす男子WH2の梶原大暉(福岡市立福翔高)だ。梶原はシングルスとダブルス両方にエントリーし、いずれも予選リーグを全勝で突破。それぞれ準決勝まで勝ち進み、銅メダルを獲得した。

 シングルスでは1回戦でイングランド人選手に勝利して勢いに乗ると、準々決勝で世界選手権銅メダリストの渡辺敦也(アキレス)との日本人対決を2-0(21-14、21-8)のストレートで制した。

 ファイナル進出をかけた準決勝では、世界選手権4連覇中のキム・ジョンジュン(韓国)と対戦。第1ゲームは先に20点に乗せながら逆転された梶原。第2ゲーム中盤は4点リードから追いつかれるが、そこから粘ってキムを振り切った。ファイナルゲームはシーソーゲームとなり、我慢の展開が続くなか、最後はバックアウトのミスを誘われ、ゲームカウント1-2(21-23、21-18、17-21)で敗れた。

 キムは今大会も圧倒的強さを発揮して優勝を果たしているが、そんな彼から唯一、予選と決勝トーナメントを通してゲームを奪ったのがこの梶原だった。梶原は対戦前、キムに対して「ほかの選手には決まるショットが通用しない。チェアワークがすごいし、憧れの選手」と話していたが、絶対王者を追いつめることができた。

 試合後、「フルゲームまで粘れたのは、自信になりました」と手ごたえを語る一方で、「後ろのアウトを調整できなかったのが心残りです」と悔しさをにじませる姿が印象的だった。

 試合を終え、握手をする際、キムから「グッド、グッド」と声をかけられたという梶原。そのキムは「ダイキは9月のタイ国際で対戦した時よりも、チェアワークも戦略もよくなっている」と話しており、日本の若きエースの成長を実感した様子だった。

 ほかのライバルたちは、この梶原とキムの一戦をコートの外から熱心に見ていた。そして聞こえてきたのは、梶原への賛辞と警戒の声だ。それもそのはず、梶原は昨年、この大会で国際試合デビューしたばかり。この時はシングルスで1勝もできずに予選敗退だったのだから、彼の成長に驚くのも無理はない。

 梶原は現在高校3年生。もともと野球少年でピッチャーとして活躍していたが、14歳の時に自転車に乗っていてトラックと衝突。車いす生活になった。その後、入院時より、お世話になっていたソーシャルワーカーからパラバドミントンを紹介され、見学に行った。そこからキャリアがスタートし、野球をやっていた時のように、打ち込むようになった。野球の投球フォームが活かせるバドミントンは、梶原にとってぴったりのパラスポーツだったのかもしれない。

 ただ、チェアワークのスキル習得となると話は別だ。車輪が「ハ」の字の競技用車いすは、ラケットを片手に持ちながら操作するとバランスを崩しやすい。とくに車いすクラスのシングルスは、コート半面で行なうことから前後の機敏な動きが求められるため、相当なハードワークが必要だ。

 梶原も当初、地元福岡のクラブチームで練習のたびに1時間かけみっちりと操作を学んだそうだ。今でもチェアトレーニングは欠かさないと言い、実戦を重ねるなかでチェアスキルが磨かれ、試合勘も養われてきた。それが、今大会の結果につながった。

 日本代表の車いすクラスの古屋貴啓コーチは、「最近は無駄のない動きができるようになってきました。格上の選手と対戦できるレベルまで上がり、今は相手から車いすバドミントン特有の”間”“戦術”“読み”を吸収し始めているところ。たとえば、キム選手はラリーをリセットするために高いロブをわざと上げることがあるんですが、大暉は準決勝の試合中に真似ていました。そういう強い選手に学ぶ姿勢というのは、彼の素質だと思います」と評価する。

 同じく、山﨑将幸コーチも梶原の性格について「とても素直で真面目」と話し、「強くなりたいという気持ちが、短期間でここまで成長させたんだと思います」と語り、目を細める。

 梶原はダブルスパートナーのベテラン、村山浩(SMBCグリーンサービス)からも多くを学ぶ。「村山さんは(障がいが重い)WH1ですが、相手を困惑させるショットがあって、勉強になります」。ふたりは東京パラポイントレース初戦の3月のトルコ国際からペアを組み始めた。この時はベスト16だったが、4月のドバイ国際ではファイナルに進出。普段は国際大会にあまり出場しない中国ペアも参加した8月の世界選手権ではベスト8に残り、10月のデンマーク国際ではついに頂点に立った。そして今大会、世界を牽引する韓国から3ペア、中国から2ペアが出場するなかで、ベスト4に残った意味は大きい。

 村山は梶原について、こう話す。

「組み始めた頃は”大丈夫?”と声をかける感じだったけれど、今では本当に頼れるパートナー。トルコやドバイの時と比べて、かなり広範囲を大暉がカバーしてくれています。僕たちの形ができあがってきたことが、結果につながっていると思います」

 デンマーク国際で梶原はシングルスも制した。国際大会での優勝は初めての経験だ。「自分の調子が良かったしピークを持って行けたけど、この大会は今回のようなトップクラスの選手がエントリーしていなかったので……」と謙遜するが、「1年前は自分がこんな舞台に立つなんて、想像していなかった。だからうれしかったし、自信になりました」と笑顔を見せる。そして、こう続ける。

「でも、ここまで来られたのは、僕一人の力じゃないです。教えてくれた先輩たちやコーチ、練習の送迎をしてくれた両親に感謝しています。たしかに成長はできたと思うけれど、まだまだ。これからも精一杯やっていきたいです」

 今大会の開幕日である11月13日に18歳の誕生日を迎えたばかりの梶原。若きニューヒーローが描く右肩上がりの成長曲線に、さらに注目が集まりそうだ。