東京パラリンピックの出場枠がかかった、パラ陸上の世界選手権がアラブ首長国連邦(UAE)のドバイで開かれ、大会6日目の11月12日、女子走り幅跳びT63(義足など)で兎澤朋美(日本体育大学3年)が4m33で銅メダルを獲得。4m13で4位となっ…
東京パラリンピックの出場枠がかかった、パラ陸上の世界選手権がアラブ首長国連邦(UAE)のドバイで開かれ、大会6日目の11月12日、女子走り幅跳びT63(義足など)で兎澤朋美(日本体育大学3年)が4m33で銅メダルを獲得。4m13で4位となった前川楓(チームKAITEKI)とともに、東京パラリンピックの代表に内定した。
今大会は各種目4位以内に入った選手の国や地域に、東京パラリンピックの出場枠が与えられ、日本選手の場合は規定により代表候補にも内定する。もう一人、日本から出場した村上清加(さやか/スタートラインTOKYO)は3m63で7位だった。
兎澤は1回目の跳躍で4m29の好記録をマークすると、2回目には4m33まで伸ばした。自己ベストの4m44には届かなかったが、試合後は、「もっと上の記録を狙っていたので残念なところはありますが、銅メダルと東京(パラリンピック)の出場内定を獲得できて、よかった。監督やコーチのおかげです」と安堵の表情を見せた。
初めての世界選手権。「緊張した部分もあった」と言うが、「普段の練習を本番で実践すること」を心がけ、目標を達成した。
翌13日にはT63の女子100mにも出場し、6位に入賞。東京パラの出場内定は逃したものの、16秒39のタイムは、自身が持つアジア記録と日本記録を100分の2秒上回った。「昨日の走り幅跳びの疲れが少し残る中でのレースでしたが、自己ベストを更新してのアジア新記録で、よかった」と伸びしろと進化の可能性を示した。
「来年の東京パラリンピックは、もっとタフな試合になると思いますし、来年を迎えたときに自分自身ももっとレベルアップして、世界の頂点に向けてハイレベルで戦っていけるように、残り数カ月、しっかり準備したい」
兎澤は小学5年生で発症した骨肉腫により左足を切断、義足での生活が始まった。現実を受け止められない時期もあったが、少しずつ前向きさを取り戻した。持ち前の運動センスを活かし、中学2年生から陸上競技やパラサイクリングにも挑戦。2017年日本体育大学に進学し、陸上部に入って本格的な指導を受けると、才能が開花。18年アジアパラ競技大会(インドネシア)では、走り幅跳びで3m89の記録で銅メダルを獲得。19年6月にはドイツでの国際大会で100mは16秒41、走り幅跳びは4m44をマークし、それぞれ自身の持つアジア記録と日本記録を更新した。
陸上部で兎澤を指導する水野洋子監督は、「入学したばかりの頃は100mを1、2本走るので精いっぱいだった。ここまで来たのは本人の日々の努力の賜物」と目を細める。監督によれば、兎澤の性格は、「真面目」のひと言。フォームや体の使い方の指導でも、見本を見せて「こう動かして」と指導するだけでは足りないという。兎澤自らが考え、理解し、再現することが必要で、「理解できないと行動に移しにくいようだ」と監督は明かす。
大きな転機となったのは、17年秋に参加した義足メーカー、オットーボック社が主催するランニングクリニックだ。指導するのはドイツ人のハインリッヒ・ポポフ氏。兎澤と同じT63男子走り幅跳びのパラリンピック金メダリストで、昨年引退したが、現役時代から日本をはじめ世界各地で「走る喜びを感じてもらいたい」と、義足ユーザー対象のランニングクリニックを開催している。日本では、2015年から今年まで5年連続で開催されている。
ポポフ氏は自身の経験をもとに、「競技用義足で走るためにはまず、きれいに歩くことが重要」など熱心な指導に定評がある。「ポポフ塾」受講を機に本格的にスポーツを始める人やパラリンピアンも多数誕生している。ちなみに前川も村上も「ポポフ塾」卒業生だ。
新たな動作を学ぶのに、頭での理解が必要な兎澤にとって、自分と同じ中途切断者でパラリンピック金メダリストの言葉は理解しやすかったに違いない。このクリニックは兎澤にとってアスリートとして急成長する大きな一助となった。
水野監督によれば、「ポポフさんの指導がすごくプラスになっている。次に会うまでに教わったことを修正し、再現できるようにしようとひとつずつ目標を立て練習している」と言い、監督自身も義足選手の指導は初めてのことであり、「私自身も学んでいる」と話す。
さらにラッキーなことに、ポポフ氏は今季から日本パラ陸上競技連盟のテクニカルアドバイザーにも就任。日本チーム全体に対し、合宿や試合での直接指導のほか、電子メールやSNSを活用し、選手にアドバイスを与えているという。ポポフ氏によれば、兎澤は他の選手とは比べものにならないほど熱心な「質問魔」で、「跳躍の技術から義足の調整、世界で戦うマインドなど多種多様な内容を頻繁に尋ねてくる」と言う。
兎澤は、「ポポフさん自身も義足を使って世界の頂点を取った人。心から尊敬しているし、彼からは学ぶことしかない」と絶対の信頼を寄せる。
ドバイ世界選手権にもドイツから駆け付けたポポフコーチはスタンド最前列で走り幅跳びの試合を見守った。「競技中も1本1本に、細かいポイントをアドバイスしてもらえたので、頼もしかった」と兎澤は話す。
走り幅跳びの記録向上にも走力は不可欠だ。課題は中間走で後傾し、体幹がブレ出し、スピードが速くなると無意識に怖いという思いから、ブレーキをかけてしまいがちになること。ここが改善されれば、「もっといい記録が出ると思う」と兎澤は自らの走りを分析した。
一方、兎澤の力走をスタンドから見届けたポポフコーチは、「素晴らしい走りだった。あとは怖がらず、前傾姿勢を続けられれば、もっとタイムアップできる」。奇しくも師弟の評価は一致した。
試合後のインタビューで兎澤は、最も印象深いポポフコーチからのアドバイスを聞かれ、「もっともっとアグレッシブになれ」を挙げた。
一方、ポポフ氏に兎澤の成長に不可欠なことを尋ねると、「潜在能力も技術も高い。ひとつだけ望むのは、競技に対してもっとアグレッシブになること」と話した。師弟の思いはここでも一致していた。
初めてのシニアの世界デビュー戦だったが、「監督やコーチたちのサポートのおかげで、東京(パラ)の出場内定をもらえ、今日の100mでもアジア新記録だったので、いい大会だったのではないかな」と兎澤は充実の表情で大会を振り返った。
このあとは、少しオフをとってから冬季練習に入る。「きつい練習になると思うが、すべては自分のため、来年のためになる。気持ちを高く持って取り組みたい」と意気込む。
ポポフコーチの教えを力に変えて、さらなる高みを目指す、義足のアスリート、兎澤の可能性は大きく広がっている。
*本記事はweb Sportivaの掲載記事バックナンバーを配信したものです。