向正面から世界が見える~大相撲・外国人力士物語第5回:御嶽海(2) 先場所の大相撲秋場所(9月場所)で2度目の優勝を果たした関脇・御嶽海。“ここ一番”の勝負強さに加えて、明るいキャラクターで人気の御嶽海は、20歳の時に日本国籍を選択している…
向正面から世界が見える~
大相撲・外国人力士物語
第5回:御嶽海(2)
先場所の大相撲秋場所(9月場所)で2度目の優勝を果たした関脇・御嶽海。
“ここ一番”の勝負強さに加えて、明るいキャラクターで人気の御嶽海は、20歳の時に日本国籍を選択しているが、日本人の父とフィリピン人の母との間に生まれたハーフ。フィリピンで生まれ、幼少期はフィリピンで過ごしていた。その後、現在も実家がある長野県で暮らすことになって、相撲と出会う。
本場所となれば、実家のある長野から母マルガリータさんを中心とした大応援団が頻繁に駆けつけ、熱烈な応援で御嶽海を後押ししている。
九州場所でも注目を集める御嶽海。そんな彼の知られざる”実像”に迫った--。
◆ ◆ ◆
フィリピンで生まれた僕は、4歳になると、日本の長野県に行くことになりました。フィリピンを離れる時は、本当に寂しかったことを覚えています。
日本の子どもって、家に引きこもってゲームばっかりでしょう。長野の田舎ですら、みんなそうだった。山道を自転車で走り回っていたのは、僕を含めた2、3人くらいなもので、フィリピンみたいに”みんなで遊ぶ”っていうのがない。だから、学校から帰ると、すごく寂しかったですね。
その分、休みの日なんかは、親父が近くの山や川に連れ出してくれて……。キノコ狩りやタラの芽、コシアブラなんかの山菜採りをしました。キノコや山菜を採る人って、キノコが大量に生息しているところを、他人には絶対に教えないんですよね。”マイ・スポット”は家族にさえ教えない(笑)。
あとは、渓流釣り。イワナをいっぱい釣って、家に持って帰って、お母さんが焼いてくれたイワナの美味しいことといったら! 小さい頃から食いしん坊だった僕にとって、幸せな時間でしたね。
こんなふうに、自然に恵まれた長野県上松町でのびのびと育った僕は、体が大きかったこともあって、小学1年生の時に相撲大会に初参加。でも、自分より体が小さい子に負けちゃったんです。それが、めちゃくちゃ悔しくてねぇ……。その後、地元の木曽少年相撲クラブで相撲を始めました。
以降、小学5年生の時に全国大会で準優勝したり、中学3年生の時にも全国でベスト8に入ったりして、それなりに知られた選手になっていきました。
その頃からのライバルは、今幕内で活躍している北勝富士や十両の翔猿たちです。平成4年度(1992年)生まれの僕らは、地方巡業の時とか、一緒につるんで食事に行ったり飲みに行ったりしているんですよ。
高校を卒業する頃、相撲部屋からの勧誘はたしかにありました。でも、相撲部屋に何度か見学に行かせてもらって、「厳しそうな世界だな……。僕には向かない」と感じていたので、大学進学の道を選びました。
東洋大学相撲部に入部して、初めて寮生活を経験しました。みんなでワイワイ過ごすことが好きな僕にとっては、まったく苦にならなかったし、相撲に打ち込める生活はむしろ楽しかった。
“相撲一色”でしたけど、大学には女子もたくさんいて華やか。なぜか、僕は同じクラスの女子たちの”女子会”に参加したりして、結構楽しんでいました。まあ、女子会に呼ばれるということは、男として見られていなかったのかもしれませんが……(笑)。
大学2年生の時は、アマチュア相撲の最高峰の大会『全日本相撲選手権』で準決勝まで進んだんです。その時の相手は、日大の遠藤。今の遠藤関です。
そこで、僕は敗れて3位。遠藤関は当時から相撲がうまかったけれど、本当に悔しかったなぁ~。
大学4年生の時は、弾けました!
『全日本学生相撲選手権(インカレ)』で優勝。『全日本相撲選手権』でも優勝と、欲しかった2つの大きなタイトルを獲ることができました。
アマチュア相撲の世界でこの2つのタイトルを獲ると、大相撲入りする際に、幕下10枚目格付け出しという資格を得ることができるんです。つまり、序ノ口から相撲を取らなくてもよくて、いきなり番付の上のほうにポ~ンと付くことができる。プロになる場合、とても有利な資格なわけです。
でも、大学4年生の秋くらいまで、僕は大相撲に魅力を感じていませんでした。相撲部屋の生活は、規則が厳しそうだし、ケガをしてしまえば、一貫の終わりですから。一人っ子で、いずれは両親の面倒も見なければならない。そう考えると、安定した生活を望むものですよ。
だから、僕はアマ相撲の名門・和歌山県庁に就職して、仕事をしながらアマチュアで相撲を続けていく道を選ぶことにしたんです。公務員試験に合格し、内定もいただきました。
自身の角界入りの経緯について語る御嶽海
一方で、2つのビッグタイトルを手にしたことで、僕の気持ちが揺れていたことも事実です。2年前にアマ日本一を賭けて戦った遠藤関は、幕下付け出しからすぐに関取に昇進し、アッという間に人気力士になっていました。
そんな時です。出羽海親方(元前頭・小城ノ花)から、「出羽海部屋の再興のために、力を貸してもらえないだろうか?」というお話をいただいたのは……。
それまで、大相撲の世界にそれほど興味がなかった僕は、出羽海部屋がどういう部屋なのか、ということすら、わかっていませんでした。
あとから知ったのは、以前は幕内力士の半分を出羽海部屋の力士が占めるほどの勢いがあり、理事長なども出ている名門だということ。しかしその当時は、関取がいなくて、力士の人数も減っていたということ。それでも、いずれ「名門復活」を狙っているということ……。
遠藤関の活躍ぶりも刺激になっていたし、徐々にですが、僕の気持ちは「このチャンスに賭けてみよう」というほうに傾いていきました。
そして2015年2月、僕は出羽海部屋に入門しました。
和歌山県庁のほうは辞退したため、いろいろな人に迷惑をかけてしまいました。だから、プロに行く限り、絶対に結果を出さなければ……。入門が決まってうれしいとか、そういう気持ちよりも、プレッシャーのほうが大きかったように思います。
四股名は、上松町から臨める『御嶽山』に、出羽海部屋の『海』をいいただき、御嶽海。地元が一発でわかる本当にいい四股名だと、僕自身とても気に入っています。
迎えた3月の春場所(3月場所)。僕の戦いが始まりました。
(つづく)
御嶽海久司(みたけうみ・ひさし)
本名:大道久司(おおみち・ひさし)。1992年12月25日生まれ。長野県出身。180cm、177kg。出羽海部屋所属。得意技は突き・押し。学生相撲で活躍したあと、角界入り。思い切りのいい押し相撲と、周囲を魅了する明るいキャラクターで、子どもから大人まで幅広いファンから支持を得ている。幕内優勝2回。三賞受賞8回。