東京パラリンピックに向け様々な競技やアスリートの魅力に迫る、MEN’S NON-NOの連載「2020年TOKYOへの道」。今回は、高校球児からパラ陸上のやり投げに転身した若き実力者に注目!

ほんの4年前まで甲子園をめざすバリバリの高校球児だった若生裕太。彼が「レーベル遺伝性視神経症」を発症したのは20歳の頃。

「大学ではサークルで野球を続けていましたが、ある日、簡単なキャッチボールなのにボールがうまく取れず、おかしいなと思って片目を閉じたら真ん中がぼやけて見えづらくなっていました。半年後には両目ともにその状態になりました。当時はやはりショックが大きかったですね」

急激に視力が低下し、視野が狭まっていく恐怖と日々向き合いながら、彼は「やり投げ」という新たな分野に人生の活路を見いだした。

「周りからパラリンピックをめざしてみればとすすめられたのがきっかけ。とはいえ大学では楽しむことを目的に野球をしていたので最初は覚悟が持てなかったのですが、視覚障がいと向き合ううえで自分の強みはなんだろうと考えたときにスポーツしかないと思ったんです。そして野球経験を生かして『投げる』競技をしようと。ゴールボールも考えましたけれど、せっかくなら個人競技で挑戦したいと思い、やり投げを選びました」

競技を始めてまだ1年と少し。しかし野球仕込みの地肩の強さとスローイングを存分に生かしながら、驚異的なスピードで実力をつけている。

「野球のスキルが生きてはいますが、逆に投げ方の癖が悪く出ることもあるのでまだまだ改善点は多いなぁと。今は東京パラリンピック代表内定の絶対条件である世界ランク6位をめざして全力でトライしています」

それでいて、本当のチャレンジは2020年以降とも考えている。

「次のパリでは金メダルを狙える選手でありたいですし、いずれは『パラアスリートといえば若生』と言われる存在になりたい。僕の病気は母系遺伝。だから発症したときに母が責任を感じていたのですが、有名になって『お母さんの子育ては間違ってなかったよ!』と証明したいですね」

【プロフィール】

若生裕太さん
わこう・ゆうた●1997年5月25日生まれ、東京都出身。甲子園出場歴のある日大鶴ヶ丘高校野球部で主将を務めるも、日本大学文理学部に進学後、2年時に視力が急激に低下する「レーベル遺伝性視神経症」を発症。そこから半年足らずで両目の視野の中心が暗くなり、周辺がぼんやりと見える程度の視力に。パラ陸上のやり投げを始めたのは昨年7月。まだ競技歴は浅いものの、今年6月の日本選手権では54m25という視覚障がいF12クラスの日本新記録を樹立。