『エース』という言葉を辞典で引くと、次のように説明されていた。「野球やソフトボールで、チームの柱となる投手。主戦投手」。「柱」あるいは「主戦」とは、何をもって定義されるのだろうか。チームで最も多く勝てる投手がエースなのか。あるいは最も多く…

 『エース』という言葉を辞典で引くと、次のように説明されていた。「野球やソフトボールで、チームの柱となる投手。主戦投手」。「柱」あるいは「主戦」とは、何をもって定義されるのだろうか。チームで最も多く勝てる投手がエースなのか。あるいは最も多くイニング数を食える投手がそれなのか。あるいは……。いずれにせよ、周囲に認められてこそ、その投手はエースになり得るのだろう。

 『早稲田の18番』。ご存知の方も多いと思うが、早稲田でこれを背負えるのは『左投げのエース』のみである。「早稲田の左といえば18」。つけることを許された往年の名左腕たちが、その歴史を紡いできた。2019年、そんな重みのある番号を託されたのは、この男。――。千葉の強豪・木更津総合高を甲子園春夏8強に導いてから早3年の月日が経つ。その精悍(せいかん)な顔立ちは一層のりりしさを帯びていた。

 「木総の早川がやって来る」。3年前の早稲田ファンは、そうやって胸を躍らせたに違いない。若き挑戦者は十分な実績と実力を引っさげて、伝統校の門をたたいた。ところが、進学後は苦難の連続だった。2年秋までに挙げた白星はわずかに2つ。防御率に至っては4点台。同年春には左肩に痛みを発症し、0勝に終わった。「情けないですね」。当時の取材にはこう答える若武者の姿があった。


1年春の開幕戦でいきなりデビューを果たした

 それでも、今年から指揮を執るの期待は大きかった。「高校時代の姿を知っている。ここ1、2年で何をやっていたんだという話。2年間の損失を3年、4年のシーズンで埋めてみろ」。そうして手渡されたのが、『18』。「最初は正直、戸惑いが大きかった」。実績で『つかみ取った18』ではなく、期待を込めて『与えられた18』だったからだ。

 自覚を強め迎えた今春は、3勝2敗の防御率2.09。先発の役割を果たす一方で、「エースとしてはまだまだ」と振り返っていた。早川の頭にあるのは、「一人で投げ切ってこそ早稲田のエース」という信条。昨季の最長投球回数は7回2/3。決め球をファウルにされてしまうなど、球数を要し体力を消耗していた。「完投完封ができるようなピッチャーになれるように」。大きな宿題を手にして、春の神宮を後にした。

 春のシーズンを終え、およそ1カ月半が経過した7月中旬。早川は一つの手応えをつかみかけていた。きっかけは侍ジャパン大学日本代表に選出されて戦った日米大学選手権。海野隆司(東海大4年)や郡司裕也(慶大4年)といった他大の捕手とバッテリーを組む機会が増え、「自分の持っていない配球パターンが増えた」。第2先発に抜てきされると2試合に登板。2戦とも自責点0の活躍で、最優秀投手賞の称号を手にした。「これで一皮むけたかな」。生意気ながら、番記者の私はそう思った。


今夏の侍ジャパン壮行試合では、高校生相手に力の差を見せつけた

 ところが、だ。秋が開幕しても、「これぞエース」という投球がなかなかできない。明大1回戦では初回に満塁弾を浴び敗戦。立大1回戦でも初回に2本の適時打を浴びるなど3失点。極めつけは慶大1回戦。前半戦は粘投を続けていたが、6回の初球。「ボール球でいい」という要求だったのにもかかわらず、ツーシームが真ん中に入ってしまう。打席の郡司はこれを見逃さず左越え本塁打。勝ち越しを許した。さらには8回。またもや郡司に特大弾を浴び引導を渡されてしまう。勢いに乗った慶大はそのまま優勝。「自分に対してのいら立ちがある」。試合後、悔しさをあらわにした。


郡司に本塁打を打たれ、ぼう然とする早川

 続く2回戦。チームは全員野球で白星をつかみ取り、宿敵の10戦全勝優勝を阻止した。完全休養のため、ベンチを外れていた早川にはこみ上げてくるものがあった。「4年生のために」――。勝てば、慶大の完全優勝までも阻める3回戦。1点ビハインドで迎えた6回。出番はやってきた。「最初から飛ばしていこう。自分たちが頑張らないと4年生の花道をつくることができない」。その思いは白球に乗り移り、直球は自己最速の151キロをマーク。気迫あふれるマウンドさばきで打者を次々となぎ倒していく。7回には、1回戦で打たれた郡司を151キロの直球で空振り三振に切る。力強く目を見開いて雄たけびを上げる早川の姿は、紛れもなく『早稲田のエース』そのものだった。


郡司を空振り三振に抑え、喜びをあらわにする早川

 「持ちうる能力を最大限に発揮すれば、ああいうピッチングができる。(慶大3回戦で勝ち星を)取れたというのは、来年以降に必ずつながると思っている」(小宮山監督)。つまずいては手応えを得て、またつまずいてはまた手応えを得て、という三年間だった。遠回りをしてきたかもしれない。ただ、その左腕に宿す力は元大リーガーも認めるほど。来たる2020年、世話になった先輩は早稲田を離れ、早川は名実ともにチームの中心選手となる。「自分たちなりに、しっかり4年生が中心となってチームづくりをしていきたい。4年生が残してくれたものを継続して、後輩たちに継承できれば」。エースの誇りと最上級生の責任を一身に背負い、迎える来春。早川は、神宮の地でどんな『凄み』を披露してくれるのだろうか。秋が終わったばかりだが、今から楽しみで仕方がない。

(記事 石﨑開)


コメント

早川隆久(スポ3=千葉・木更津総合)

――早慶戦に勝利した今の気持ちは

やはり(毎年)4年生が残してくれたものが次の代へも残るのだと思いましたし、去年の早慶戦も同じようなかたちで勝てたので、やはり後輩に受け継がれるものがあるんだなと思いました。

――4年生への思いはやはりありますか

本当に4年生のために頑張ろうという気持ちを持っていました。今シーズンも優勝したかったんですが、なかなか勝てないことが続いて、(立大戦で)優勝の可能性はなくなってしまいました。やはり優勝した慶応に勝つことが、もう自分たちの宿命であるので、4年生と一丸となって勝つことができ、4年生の有終の美を飾ることができたと思います。

――慶大3回戦。この日はどのような気持ちでマウンドに上がりましたか

もう最初から飛ばしていこうと思っていて。特に自分たちが頑張らないと、4年生の花道をつくることができないなと思っていました。もうこれからオフシーズンに入るので、そこでケアとかすればいいと思ったので自分なりに全力で投げました。

――151キロをマークし、自己最速を更新しました

やはり4年生のおかげというのもありますし、4年生の思いを背負ったボールが自己最速になったと思います。

――9回、最初の打者に出塁を許しピンチを招きましたが、見事に抑えました

あの状況は本当に難しかったのですが、(セーフティーバントを)処理するのは厳しいかなと思って、そこは割り切って、後続をしっかり抑えようと思いました。その気持ちで抑えられたのが、最後につながったのかなと思います。

――来季からは4年生として引っ張っていくことになります

来季からもう自分たちの代になるので、自分たちなりに、しっかり4年生が中心となってチームづくりをしていきたいです。そして、4年生が残してくれたものを継続して後輩たちに継承できればなと思います。