よほど悔しかったのだろう。試合後の表彰式。イングランドの闘将、28歳のCTB(センター)オーウェン・ファレルは銀メダルを首にかけてもらうと、その後、壇上ですぐに首から外した。25歳のLO(ロック)マロ・イトジェはビル・ボーモント・ワー…

 よほど悔しかったのだろう。試合後の表彰式。イングランドの闘将、28歳のCTB(センター)オーウェン・ファレルは銀メダルを首にかけてもらうと、その後、壇上ですぐに首から外した。25歳のLO(ロック)マロ・イトジェはビル・ボーモント・ワールドラグビー(WR)会長に対し、首にかけてもらうことを拒んだ。残念な光景だった。



イングランドでは、キッカーも務めるオーウェン・ファレル

 試合後の記者会見。名将エディー・ジョーンズHC(ヘッドコーチ)は「なぜ負けてしまったのか分からない」と繰り返した。

「4年間、ここまで準備をして、がんばってきたのに、残念だ。選手はほんと、ハードワークをしてきた。でも、うまくいかなかった。ラグビーとはこんなものだ」

 まるで準決勝で快勝したニュージーランドと立場が逆転したかのような展開だった。何もできない。ボール保持率は56%と相手を上回りながら、ボールを持たせられているような印象だった。南アフリカの壁を破れず、結局はノートライに終わった。

 誤算はずばり、開始直後の26歳の右PR(プロップ)カイル・シンクラーの負傷交代だった。味方同士で頭を打って場外へ、32歳のダン・コールが交代で入った。

 直後の相手ボールのスクラム。イングランドはずるずると押され、コラプシング(故意に崩す行為)の反則をとられた。勝利のシナリオが崩れる。まさかのスクラム、ファレル主将やチームに与えた精神的ダメージは大きかっただろう。

 シンクラーの退場のことを聞かれると、ジョーンズHCは頭を小さく振った。

「非常に影響があったと思う。ただ、けがは試合の一部だ。(試合には)23人の選手がいる。そのひとりを早い段階で失うことに対応することが重要なのだ」

 ただ、イングランドは対応できなかった。前半だけで、4つのスクラムのコラプシングの反則をとられた。これでは敵陣になかなか入れない。その他も、南アフリカのフィジカルを前面に出したシンプルなラグビーに押され、前半で4つのPG(ペナルティーゴール)を蹴り込まれた。

 ファレルも前半、2つのPGを決めた。でも、ゴールラインにあと数十cmに迫ろうとも、ラインを割ることはできなかった。スクラム、接点で圧力を受けるものだから、ハンドリングミスも続発した。負けん気のつよいファレルが「とくに前半はあまりうまく戦えていなかった」と正直に漏らした。

「相手にずっと、勢いがあった。後半は少し、ペースを取り戻したけれど、それは十分ではなかった。ただ、最後まで戦ったチームを誇りに思っている」

 試合終了後、このチームの最後の円陣がピッチで組まれた。ファレルの述懐。

「最後は思い通りにはいかなかったけれど、自分たちはこの大会をエンジョイできたと思う。多くの人が努力を積み重ねてきて、エンジョイできた。これからも、前進するのみだ。そう、みんなに伝えた」

 ジョーンズHCは、前回の2015年ラグビーワールドカップ(RWC)で日本代表に南ア戦の金星など3勝(1敗)をもたらした。イングランドはその地元のRWCで1次リーグ敗退の屈辱を味わった。ジョーンズHCは前回RWC後、どん底のイングランドのHCに就いた。

 チーム強化のリーダーに指名したのが、才能豊かで闘争心の塊のファレルだった。ファレルの父もまた、ラグビーの名選手だった。ファレルは17歳だった2008年、父とサラセンズの公式戦に親子出場している。ファレルをデビューさせたのが、当時サラセンズでチームディレクターを務めていたエディー・ジョーンズだった。

 縁だろう。ただ、そのふたりの夢は最後、実らなかった。ファレルは言った。

「結果はつらいものだったけど、大会としては本当にすばらしいものだった。また、(RWC決勝に)戻ってきたい」

 ジョーンズHCは2003年のRWC豪州大会では地元豪州を率いて、決勝戦で延長の末、イングランドに敗れている。

 これも縁だろう。今度はイングランドのHCとなったが、またも優勝を逃した。59歳は、自分に言い聞かせるように言った。

「今夜、イングランドは世界で2位になったわけだ。もちろん、1位になりたかった。優勝できなかった。でも、世界で2位だ。我々のことを認めてほしい」

 ファレルもイングランド代表もまだ若い。エディーもまだ、チャンスがある。夢の実現は、4年後のフランスの地で。