箱根駅伝予選会が終わったあとの報告会。応援に駆けつけた後援会、OB・OG、関係者を前に立教大学体育会陸上競技部男子駅伝の上野裕一郎監督、選手が一列に並んだ。 最初に前に出た栗本一輝(4年)は涙を抑えきれず、「朝早くから応援していただいたの…

 箱根駅伝予選会が終わったあとの報告会。応援に駆けつけた後援会、OB・OG、関係者を前に立教大学体育会陸上競技部男子駅伝の上野裕一郎監督、選手が一列に並んだ。

 最初に前に出た栗本一輝(4年)は涙を抑えきれず、「朝早くから応援していただいたのに、自分の力を発揮できず、チームとしても目標を達成できずにすみませんでした」と、深々と頭を下げた。



レース後、関係者たちに報告を行なう立教大・上野裕一郎監督(写真中央)と選手たち

 その後、選手一人ひとりがレースを総括していく。悔しさを噛みしめる選手、不甲斐ない走りに涙する選手、それぞれが素直な思いを口にしていく。12名の選手の話が終わると、上野監督が中央に歩み出た。

 上野監督が指導者として初めて挑戦した箱根予選会は、はたしてどんなものだったのか。

「チームとしては20番以内、そして学生連合チームに選手を送り出すことです」

 箱根予選会が始まる前、上野監督はそう目標を掲げた。しかし、レースは厳しいものになった。

 午前9時35分のスタート時の気温は17.6度だった。だが日差しが強く、徐々に気温も上がり、厳しい暑さが敵になった。

 レースはレダマ・キサイサ(桜美林大)ら留学生たちが先頭に立ち、引っ張った。立教大はフリーで走った栗本の背後を斎藤俊輔がついて走った。5キロはともに15分17秒で、1キロを3分03秒ペース、10キロでもまだ3分03秒ペースを維持していた。

 ところが10キロ過ぎ、ペースが落ちたのは斎藤だった。

「10キロで差し込みがきて、暑いし、きついし、もう地獄でした。そこからはなんとかギリギリ維持していく感じでした」

 一方、栗本は15キロを46分19秒で通過し、依然として3分05秒ペースで走っていた。このペースでいけば65分前後のタイムとなり、学生連合のメンバー入りが見えてくる。

 だが、15キロ過ぎに足が止まった。

「スタートから15キロ過ぎまではほぼベストぐらいで入って、明治や創価の選手と集団で走れていたので、そこまではよかったと思います。でも、(昭和記念)公園に入る前ぐらいから足がきつくなった。足に限界がきてしまうと走れなくなってしまうんで……そこで(タイムが)落ちてしまいました。一緒に走っていた選手は、もうひと段階余裕を持っていました。結果的に力がなかったんです。予選会は15キロからと言われているんですが、僕はセンスでごまかそうとしていた。でも、ごまかせるものではないと、あらためて感じました」

 15キロから20キロまでは16分58秒かかり、1キロ3分23秒にペースダウン。結局、66分43秒でゴールしたが、栗本が想定していたよりも2分ほど遅いタイムだった。

 逆に、最初に遅れた斎藤は、周囲の集団に食らいつき、粘りの走りを見せた。10キロから15キロは15分58秒と、1キロ3分11秒までペースは落ちたが、15キロから20キロは16分10秒と最小限で食い止め、最後は66分04秒でフィニッシュした。

「65分を切りたかったんですけど、厳しかった。66分台だと学連も難しいですね。あーあという感じです。ハーフで戦うには、まだまだ足りない。基礎力、距離踏みなど、全部必要だと思いました」

 その後、選手が続々とゴールしてきた。想定外の暑さが大きく影響したのか、各選手とも設定タイムよりも1~2分遅い。上野監督の表情も厳しいままだった。

 最終的に立教大は11時間23分49秒で23位。残念ながら、目標としていた20位以内入りも、学生連合チームに選手を送り出すこともかなわなかった。上野監督は悔しさを滲ませた。

「厳しいですね。こういうコンディションのなかでのレースですし、最初、安全運転で入るのはいいけど、9番手、10番手のタイムが70分を越えてしまうと、やっぱり厳しい。8番の金城(快/1年/69分07秒)あたりが67分台で走り、9番、10番が今回の金城のタイムになるくらいじゃないと大きなジャンプアップは難しい。ただ、これがウチの一番速い選手を起用しての結果なので、これは受け入れていかないといけないと思います」

 箱根予選会は、レース前に上野監督が懸念していた「スタミナ不足」が如実に出てしまった。各選手とも、最初5キロのラップとラスト5キロのラップを比較すると、1分近く落としている。

 また、上位の大学とは力の差を見せつけられた格好となった。

 今回、20位の東京経済大(11時間16分21秒)とのタイム差は7分28秒だが、65分台、66分台の選手が5名いた(立教大は2名)。また19位の流通経済大は、10番手の選手のタイムが68分28秒で、これは立教大では6番目のタイムにあたる。しかも70分台の選手はひとりもいなかった。

「20位内のチームとは、まだ力の差があります。駿河台大(今回12位)の徳本(一善)監督と話をした時、『普通に走れば、ウチは65分半で全員入ってくる』と言われたんですけど、ウチはそこがトップ。今は、そのくらいの差があるんだなと思いましたね」

 上野監督は、その駿河台大ですら10位以内に入れない現実に、箱根の厳しさと予選突破を争う大学のレベルの高さをあらためて感じたという。

 斎藤も、予選会を突破する大学の選手の強さを肌で感じた。

「自分は突っ込み気味で走って、徐々に落ちていったんですけど、創価大のキャプテンらしき人が『おまえ、12番目だぞ』と言って、その選手をペースアップさせたり、余裕で走っている選手が4人ぐらいいて、集団を引っ張っていくんです。下の選手はそれに対応してくるし、上の選手は速いし、余裕があるし、フォームも崩れない。箱根を走るチームとの力の差をすごく感じました」

 しかし、目標は達成されなかったが、何も得られなかったわけではない。早田光佑主務(3年)は、チーム全体に確かな成長を感じていた。

「予想では25位ぐらいかなと思っていたので、23位は思ったよりもいけたという感じです。(立教大は)箱根への強化1年目で、先に箱根強化を進めていた他大学もありますし、ウチは強化指定の選手がいないなか、昨年よりも上の順位にいけたし、全体のタイムも昨年よりよかった。今後につながる結果だと思います」

 昨年の28位から23位に順位を5つ上げた。タイムも、昨年は11時間24分36秒だったが、今年は暑さが厳しいなかで11時間23分49秒と、47秒だがタイムも縮まった。この暑さがなければ、持ちタイムを1~2分縮めるのは十分に可能だったはずだ。斎藤は言う。

「走りはきついし、疲れるのは昨年と同じです(笑)。でも、タイムが上がり、順位も上がった。走っていると、となりに神奈川大や中央大の選手が普通にいたし、(速さを)維持できるペースは上がっていると実感しました」

 その斎藤だが、昨年の予選会のタイムは68分32秒だったが、今回はこの暑さのなかで2分28秒もタイムを縮めた。これらは上野監督が就任してから10カ月の強化が実を結んだ結果と言えるだろう。

 また早田主務は、立教大にエースとムードをつくれたことが大きいと言った。

「今回、斎藤が踏ん張って、立教と言えば『斎藤』という選手を確立できたことは大きいです。来年入ってくる選手は、斎藤がひとつの目標になるので、そのなかで斎藤が自覚を持ち、どれだけ走れるようになっていくのか楽しみです。あと、このレースに至るまで、4年生が練習を盛り上げてくれました。逆に4年生がきつくなると、下級生が盛り上げるというサイクルができていたんです。それを1年で確立できたのは大きいと思います」

 強い大学には普通にあることが、立教大にも生まれてきたということだ。もちろん、まだまだ足りない部分は多々ある。上野監督は言う。

「まだスタミナ不足、距離不足がある。今回は故障者が出るのが怖かったので距離を踏まなかったが、この12月から春にかけてスタミナづくりを始め、来年は距離を踏むのを怖がらずに攻めてみようかなと思います」

 来年は新しい寮が完成し、上野監督が勧誘した選手が入部してくるなど、チーム強化はさらに進行していくだろう。ただ、予選の上位校はこの暑さでも先頭集団に食い込む強い選手が、最低でもひとりはいる。そういう力のある選手をいかに育てていくか。チーム強化とともに、それは上野監督に課せられた大きな仕事になる。

 レース後の報告会で、上野監督は予選会に至るまでのサポートや応援に感謝し、深々と頭を下げると、OB・OGや関係者から”期待”を含む大きな拍手が起こった。

 この日、筑波大が26年ぶりの箱根駅伝出場を果たした。弘山勉監督が筑波大の監督に就任したのが2015年4月。それから4年で箱根駅伝出場を果たしたことになる。予選会前は43校中、1万mの持ちタイム上位10人の合計タイムの順位が20位で予選会突破のボーダーライン上にもほとんど名前が挙がらなかった。しかし、いざ蓋を開けてみると6位という好成績で予選を突破したのだ。筑波大とはスタートのベースが異なるが、2024年に箱根駅伝本選出場を目標とする立教大には励みになったはずだ。

 箱根予選会というひとつの節目となる大会は終わった。4年生は引退となり、その場で幹部交代が発表された。主将は増井大介(3年)になり、新しい体制になったが、上野監督の挑戦はこれからも続いていく。