Why JAPAN? 私が日本でプレーする理由ジュビロ磐田 カミンスキー(2)今年27シーズン目を迎えているJリーグは、…
Why JAPAN? 私が日本でプレーする理由
ジュビロ磐田 カミンスキー(2)
今年27シーズン目を迎えているJリーグは、現在、じつに多くの国から、さまざまな外国籍選手がやってきてプレーするようになっている。彼らはなぜ日本でのプレーを選んだのか。日本でのサッカーや、日本での生活をどう感じているのか? この連載では、彼らの本音を聞いていく。
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「いい質問だね。うん、とてもいい」と、ジュビロ磐田のクシシュトフ・カミンスキーは返事をした。「でも僕にもその理由はわからないな」
彼の母国ポーランドはなぜ、優れたGKを連綿と輩出できるのか──。

ポーランドのGK事情について語るカミンスキー
現役ではユベントスのヴォイチェフ・シュチェスニーを筆頭に、ウェストハムのウカシュ・ファビアンスキ、フィオレンティーナのバルトウォミェイ・ドラゴフスキ、ボローニャのウカシュ・スコルプスキ、ウニオン・ベルリンのラファウ・ギキエビチなど、欧州主要リーグのチームで正守護神を務める彼の同胞は少なくない。
15年前の”イスタンブールの奇跡”で欧州チャンピオンズリーグを制したリバプールのGKイェジー・ドゥデク──ミランのFWアンドリー・シェフチェンコの連続の強襲を止め、クネクネと腕を動かしてPK戦で主役になった──もポーリッシュだ。
そして日本でもカミンスキーに続き、今年7月にヤクブ・スウォビィクがベガルタ仙台に加入すると、すぐさまレギュラーに収まっている。
だからそんな質問をぶつけてみたわけだが、カミンスキーはまず正直に「わからない」と答え、インタビュアーと共に考察を始めた。少し前に乗り出すようにして居住まいを正し、コバルトブルーの両眼でこちらを見て、言葉を続ける。
「推察するしかないけれど、ポーランドでは多くの人が、若手育成がうまくいっていないと不満を述べている。だから、全般的な育成環境がその理由ではないと思う。また最近は(ロベルト・)レバンドフスキ(バイエルン)に憧れる選手が多いから、GKがとくに人気のあるポジションというわけでもない。ただ僕が考えるに、GKは個人的なポジションだから、よいGKコーチがいれば、優れたGKは育つ。フィールドの選手よりも、個々のトレーニングで伸びる可能性は高いと思うんだ」
ここで偶然が起こった。
ポーランドには栄光の歴史がある。1974年西ドイツW杯と1982年スペインW杯で3位に入り、1972年ミュンヘン五輪で金メダル、1976年モントリオール五輪で銀メダルを取った時代だ。インタビュアーは、この黄金期を最後尾から支えたレジェンドGKの影響が、ポーランドから複数の優れたGKが生まれる理由ではないかと考え、次にその質問を用意していた。
するとカミンスキーはそのうちのひとり、ヨゼフ・ムイナルチク(1982年スペインW杯での守護神)の指導を受けたことがあるというのだ。
「U-21代表の合宿に参加した時、GKコーチがムイナルチクだったんだ。彼はポーランドで、(ヤン・)トマシェフスキ(1974年西ドイツW杯での守護神)と並び称される偉大なGKだ。晩年にはポルトでヨーロッパチャンピオンズカップ(チャンピオンズリーグの前身)を制し、ポーランドだけでなく、ポルトガルでもレジェンドとして崇められている。
彼は指導者としても大変優れていた。教え子への要求はおそろしく高く、本当の意味でのハードワークを強いられたよ。でも、そのおかげで僕はたった2週間の合宿で飛躍的に成長できた。今でも、彼の教えは役に立っている。セービング技術はもちろん、頭の使い方を叩き込まれた。試合の流れやボールの軌道を予測し、常に集中を切らさないこと。GKにとってそれがどれほど大事なのかを教わったんだ」
ひとつの国や地域で特定の競技が繁栄するとき、そこには偉大なロールモデルがいるケースが多い。たとえば、旧ユーゴスラビア圏ではノバク・ジョコビッチをはじめ、トップレベルのテニス選手が複数いるが、それは1990年代初頭に活躍したモニカ・セレシュの影響があると言われる。また日本のフィギュアスケートの隆盛には、伊藤みどりの存在が大きいはずだ。おそらく、それは特定のポジションにも置き換えることができる。カミンスキーもその可能性に同意した。
「きっとそれもある。トマシェフスキはポーランド人なら、ほとんど誰でも知っている真のレジェンドだ。1974年W杯予選で彼の活躍によりイングランドを破った試合は、ポーランドでもっとも有名な試合だと思う。彼やムイナルチクに憧れてGKを選び、長く受け継がれてきた指導法によって、ポーランド人GKが育っているのかもしれないね」

偉大なGKを多数輩出しているポーランドの伝統に、カミンスキーも連なっている
その系譜に、磐田のカミンスキーと仙台のスウォビィクも連なっている。Jリーグには東欧の選手は少ないが、ポーランド人GKは2人もいる。この状況にも、カミンスキーは「ささやかながら」貢献した。
「夏に彼(スウォビィク)が仙台からオファーを受けたとき、相談を受けたんだ。僕は仙台のことはほとんど知らないけど、Jリーグと日本の生活については肌身で知っているので、自分が思うところを正直に伝えたよ。『レベルの高いリーグがあり、人々は親切で、食べ物はおいしく、すばらしい文化がある』と。
すると彼は前向きに考えると言って、本当に移籍してきた。8月に仙台で対戦した時に再会すると、『ありがとう。君の言っていたことは本当だった。いや、日本もJリーグも僕の期待を超えるほどだ。ここの生活とプレーを楽しんでいるよ』とお礼を言われたよ」
(つづく)
クシシュトフ・カミンスキー
Krzysztof Kaminski/1990年11月26日生まれ。ポーランドのノヴィ・ドヴォル・マゾヴィエツキ出身。ジュビロ磐田所属のGK。ポーランド国内のチームを渡り歩き、2015年から磐田でプレー。クラブのJ1昇格に貢献し、J1では通算100試合出場を達成している。オストロウェンカ→シェドルツェ→ヴィスワプロック→ルフ・ホジュフ