カタールW杯を目指すブラジルは10月、シンガポールでセネガル、ナイジェリアと親善試合を行なった(結果はともに1-1)。…
カタールW杯を目指すブラジルは10月、シンガポールでセネガル、ナイジェリアと親善試合を行なった(結果はともに1-1)。ブラジル代表のキャプテンはダニエウ・アウベス。6月のコパ・アメリカを前に、その座を追われたネイマールに代わると、今ではキャプテンマークを巻いた姿もおなじみになった。
世界で唯一、21回のW杯全大会に出場し、優勝回数は最多の5回。W杯という大舞台でセレソン(ブラジル代表)を率いるキャプテンは誰もが憧れる存在だろう。しかし、その経歴があまりにも輝かしすぎるためか、その後、苦労を味わう者が少なくない。それは単なる偶然なのだろうか。

ブラジル代表をキャプテンとして率いるダニエウ・アウベス photo by Allsport Co./Getty Images
1938年フランスW杯。チームのスターはレオニダスだった。そのクオリティの高さから「黒いダイヤモンド」とも、柔軟なことから「ゴム人間」とも呼ばれた。この大会のポーランド戦では裸足でゴールを決めている。試合中にシューズが壊れ、新しいシューズがピッチに届くのを待っている間にも彼はプレーを続け、ゴールを決めたのだ。
ブラジル代表キャプテンの偉大な歴史は彼から始まった。当時を知る多くの人が、「実力はペレよりも上だったのではないか」と言っている。そして彼は、成功を収めた初の黒人サッカー選手でもあった。しかし人種差別は常についてまわり、晩年は貧困に苦しんだ。
ブラジルが3度目の優勝を果たした1970年メキシコW杯では、キャプテンの中のキャプテンが生まれる。カルロス・アルベルト・トーレス。彼は当時、大スターだったペレにものを言える唯一の存在だった。サントスでもNYコスモスでもブラジル代表でも、彼はキャプテンとして常にペレの傍らにいた。
だがその後、トーレスは多くの困難に見舞われた。ひとつにはその歯に衣を着せぬ言動のせいだろう。現役を引退すると、彼はペレのことを「偽善者」と非難した。約束していながら、ペレが引退試合に来なかったからだ。
引退後は監督になったが、常に多くの非難にさらされている。その歯に衣を着せぬ言動は有名で、しばしば波紋をもたらした。
アゼルバイジャンの代表監督を務めていた時には、イングランド代表のマイケル・オーウェンについて「プレーの前に、まず話し方を習うべきだ」と言ってイギリスの新聞の一面を飾った。2006年のW杯予選のアゼルバイジャン戦を前に、オーウェンが「5点は軽くいける」と発言したからだ。
トーレスはまた、政府とも戦った。多くの選手が引退後貧困に苦しんでいるのを知って、選手に年金を払うように訴えたのだ。その主張がすべて受け入れられたわけではないが、それでもいくばくかの金が選手に払われるようになった。2016年に亡くなるまで、彼はある意味でキャプテンであった。
1982年スペインW杯のセレソンはブラジルに夢を見させた。「黄金のカルテット」と呼ばれたソクラテス、トニーニョ・セレーゾ、ジーコ、ファルカンの4人がおりなす中盤は見事なプレーを見せたが、イタリアに2-3で敗れ、夢は破れた。
この時のキャプテンはソクラテス。当時、医者の資格を持つ唯一のサッカー選手だった。おそらくサッカー史上でもまれに見るインテリだろう。医者だけでなく、政治家、作家、歌手、俳優、大学教授、サッカー指導者としても活動。つまり天才だった。だが、そんなソクラテスは2011年、57歳の若さで亡くなった。大量の飲酒と喫煙が影響したと言われている。
1994年アメリカW杯、1998年フランスW杯でキャプテンを務めたのはドゥンガだ。ドゥンガはブラジルのみならず、ドイツでも、イタリアでも、そして日本でもスターだった。しかし同時に、ブラジル代表キャプテンの不運というテーマを最も体現している選手かもしれない。
アメリカW杯でブラジルは、ロベルト・バッジョのイタリアを決勝で破り、世界王者に復活した。フランスW杯でも、ブラジルはいいプレーを見せて決勝にたどり着く。ドゥンガはその経験とカリスマ性でチームをリードしていた。しかし、決勝のフランス戦で事件は起きた。
試合前、チームのエース、ロナウドが体調を崩して病院へ行き、監督のマリオ・ザガロは彼の代わりにエジムンドをスタメンに入れた。だが、試合開始45分前になってロナウドがスタジアムに姿を現し、「プレーさせてほしい」と懇願する。結局、エジムンドはベンチに戻り、ロナウドがピッチに入った。
入場の際、ドゥンガの顔は苦虫を噛み潰したようだった。彼がいら立っているのは、はた目からもよくわかった。この試合でロナウドはいいプレーができず、ブラジルは0-3で負けた。なぜザガロもドゥンガも、ロナウドに「プレーすべきでない」とはっきり告げなかったのか。今日でもそのことは論争の的となっている。その日を最後に、ドゥンガは代表のキャプテンマークを巻くことはなかった
ちなみにドゥンガは2010年、監督としてW杯に舞い戻る。だが、ベスト8で敗退しただけでなく、チームのコントロールも失い、多くの非難を浴びて、大会後すぐに解任。2014年には再び代表監督に戻っているが、この時も結果を出せず、メディアと喧嘩をし、スポンサーと問題を起こし、選手たちとも不和になって解任された。それ以来、ドゥンガは監督の仕事から遠ざかっている。サッカー関係では仕事の声がかからない状態が続いている。
2002年日韓W杯では、歴代キャプテンの中でも最もフレンドリーな男がセレソンを率いた。カフーだ。彼はW杯3大会の決勝でプレーし、2回は世界チャンピオンになり、横浜の地で優勝カップを掲げた。ブラジル代表の選手としてW杯20試合に出場、代表キャップ数は142と歴代最多。それ以外にも多くのタイトルを手に入れてきたカフーだが、彼もまた不幸に見舞われる。
5カ月前に、ブラジルの税務署に訴えられ、5つの不動産を差し押さえられた。1カ月前には長男のダニーロを亡くした。家の前でミニゲームをしていた時の、突然の心臓発作だった。さらに最近は、土地の売買をめぐって反社会勢力から金をもらった疑いで警察から調べられている。
2018年ロシアW杯、ブラジルのキャプテン事情は最悪だった。1戦目はマルセロ。2戦目はチアゴ・シウバ。3戦目はミランダ。4戦目はもう一度チアゴ・シウバ、5試合目はまたミランダ……そうこうしているうちにブラジルは敗退した。さしてリーダーシップを発揮したとも見えない彼らにも、非難の目が向けられたのはもちろんだ。
こうして見ると、世界に名だたるブラジル代表のキャプテンになるというのも、それほどいいものではないのかもしれない。ダニエウ・アウベスが不運に見舞われないことを祈らずにいられない。