『走る医師』WTB福岡堅樹(27)が、日本を初のW杯決勝トーナメント進出へと導いた。 自ら最後と決めた大舞台。今大会初スタメンに名を連ねた13日スコットランド戦(横浜)で2トライを決め、マン・オブ・ザ・マッチ(ゲームMVP)で勝利の立役者…

 『走る医師』WTB福岡堅樹(27)が、日本を初のW杯決勝トーナメント進出へと導いた。

 自ら最後と決めた大舞台。今大会初スタメンに名を連ねた13日スコットランド戦(横浜)で2トライを決め、マン・オブ・ザ・マッチ(ゲームMVP)で勝利の立役者となった。

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福岡賢樹のもう一つの夢、その転機は?

 

 4年前、前回大会で予選落ちした悔しさを知るだけに「この時のためにすべてを犠牲にしてやってきた。因縁の相手にしっかり勝ちきって、ベスト8に行くというのが自分たちの目標になっていたので、それが達成できて最高です」と喜びを爆発させた。

 もうひとつの夢がある。20年東京五輪(7人制)で現役選手生活に区切りをつけ、医師の道を目指すと公言する異色のラガーマンでもある。

 ケガと闘ってきたラグビー人生で、転機となる出会いがあった。高校時代、ひざの前十字靱帯(じんたい)を2度断裂し、手術を受けた。選手生命にかかわる重傷だったが、親身になってくれた主治医に、大きな影響を受けた。

 「1度手術してしまうと感覚が戻らないとか不安に思っていたとき、先生は『リハビリをきちんとすれば、前と同じスピードで走ることができる』と心から安心できる説明と治療をしてくれました。幼少期から漠然と医者になりたかったのが、尊敬する先生へのあこがれで思いは強くなりました」

 祖父が内科医、父が歯科医と、医者が多い家系で育ったが、信頼する医師と出会い、おぼろげだった夢が明確な目標になった。

自身の手術の様子をモニターで観察

 本気度が違う。

 靱帯断裂でひざに入れたボルトの除去手術を内視鏡で受けたとき、一般的には全身麻酔を行うが、福岡は下半身の麻酔だけにとどめ、手術の様子を観察したという。

「手術の手順に興味があったので、頼んで手術中の様子をモニターで見せていただきました。とても勉強になりました」

 自らを『人体実験』にする発想は、よほど高い志がないとできない。

福岡県で生まれ、県内屈指の進学校・福岡高では花園にも出場。だが医学部の受験には2度失敗。簡単なことではなかった。

「両立を目指して結局、二兎(にと)を追うことはできなかった。でも医学は何歳からでも取り返せるけど、いまはラグビーを優先したい」

 筑波大の情報学群に進み、医師を将来的な夢に変え、今しかできないラグビーに本腰を入れる決断をした。

 大学在学中に日本代表入り。期待された今大会は、南アフリカに敗れた9月のテストマッチで右ふくらはぎを負傷。またもケガに泣かされた形で、開幕のロシア戦はベンチ外だった。だが2戦目アイルランド戦から、持ち前の決定力を発揮して3試合連続トライ。スコットランド戦では50メートル5秒8の快速を生かした40メートル独走トライも決め、完全復活を印象づけた。

「わたし失敗しないので」

 これまで、世界の舞台で活躍したトップアスリートが医師を目指すケースは、ほとんどない。

「その意味では、パイオニアになれるのかなと思っています。前例がないから諦める人もいるかもしれませんが、道を切り開いていければ良い。選手経験を治療に生かしたい。まだまだ先の話で構想段階ではあるのですが、がんばりたいですね」

 大活躍のかたわら、いまも通信教育などで継続的に勉強し、準備を進めているという。いつか『わたし失敗しないので』という「ドクター福岡」を見られる日が、待ち遠しい。

※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]