それは、ひとりのモンゴルリーガーの思いつきから始まった。「W杯予選で日本代表と試合をするモンゴル代表の選手に、良いスパイクを履いてプレーしてほしい--」試合前日練習を埼玉スタジアムで行なうモンゴル代表 photo by Watanabe …

 それは、ひとりのモンゴルリーガーの思いつきから始まった。

「W杯予選で日本代表と試合をするモンゴル代表の選手に、良いスパイクを履いてプレーしてほしい--」


試合前日練習を埼玉スタジアムで行なうモンゴル代表

 photo by Watanabe Takuya

 渡邉卓矢は、タイやカンボジア、ネパールなどアジア各国でプレーし、現在はモンゴルリーグのAthletic 220 FCに所属するサッカー選手である。

 渡邉は、モンゴルの女子サッカー選手向けのクリニックを主催したり、日本で使ったスパイク、ウェアなどをアジア各国に送るボランティアを行なってもいる。

 そんな渡邉がモンゴルリーグでプレーするにあたって、困っていることがあった。

 スパイクが街で売られていないのだ。

 サッカーショップが存在せず、靴専門店にも置いていない。チームメイトに「どこでスパイクを買っているの?」と訊くと、代表クラスの選手であれば、海外遠征の際に現地のスポーツショップで購入することができるが、国内リーグの選手はモンゴル近隣の国で買った、粗悪なシューズでプレーしている選手も少なくないという。

 渡邉のチームメイトには、モンゴル代表選手が3名いる。彼らは10月10日に埼玉スタジアム2002で行なわれた、日本代表とのW杯予選のメンバーにも選ばれていた。「これもなにかの縁ではないか」。そう感じた渡邉は、京都紫光サッカークラブLadiesのマネージャーを務める、砂原浩二に連絡をとった。砂原は渡邉と共に、アジアの発展途上国にウェアやスパイク、ボールなどを送るボランティアをしており、モンゴルの女子選手たちにサッカー用具の支援も行なっている。

 砂原は、モリヤマスポーツに相談を持ちかけた。モリヤマスポーツは関西を中心に、サッカーやアウトドア、スキー用品の店舗を展開するスポーツショップだ。過去に渡邉と砂原がモンゴルの女子選手にサッカーシューズやウェアを送った際にも協力をしてくれており、今回も相談を持ちかけたところ、物品提供を快諾してくれたのだ。

 渡邉がモンゴル代表トレーナーの錦戸雅俊を通じてスパイク提供の話を持っていくと、全選手の足のサイズのリストが送られてきた。それをもとにモリヤマスポーツがアシックスの『DS LIGHT X-FLY 4』を用意。選手、コーチングスタッフの分も含めて51足。金額にして100万円相当のサポートである。

 関係各所に話を通し、ゴーサインが出たのが10月2日。そこからシューズを手配し、モンゴル代表が宿泊する、都内のホテルにシューズが届けられたのが10月7日。日本代表との試合の3日前だった。

 綱渡りのように物事を進め、代表チームが宿泊するホテルにスパイクが無事到着。ホッと胸を撫で下ろしてホテルでコーヒーを飲んでいた渡邉と砂原のもとに、モンゴル代表のミヒャエル・ワイス監督からリクエストが届いた。

「取替式のスパイクも用意してくれないか?」

 渡邉と砂原は顔を見合わせた。2日間で、選手全員分が集まるのか--。

 スパイクには固定式と取替式の2種類がある。固定式は足の裏のスタッド(突起)が固定されているもので、短い芝生などに適している。取替式はスタッドが変更可能で、グリップが効く。そのため長い芝や、濡れたピッチに適している。

 ワイス監督は2001年から2004年シーズンまで、京都サンガでコーチを務めていたため、W杯予選の会場、埼玉スタジアム2002のことを熟知している。「試合前にピッチに水を撒くと濡れて滑る。固定式だと心もとない」というのが理由だ。

 10月7日の夕方、モンゴル代表の選手がアシックスのスパイクのフィッティングをしている頃、渡邉と砂原は取替式のスパイクの手配に奔走した。

 翌日、茨城の倉庫から東京へ取替式スパイクを輸送する段取りが整った。渡邉と砂原は都内の受け渡し地点で受け取り、スパイクを大量に抱えて電車に乗っていると周囲から奇異の目で見られたが、気にしてはいられない。固定式と取替式、サイズ変更用、コーチングスタッフ用も含めて、その数は73足。足下のコンディションは整った。

 10月9日、日本代表との決戦を翌日に控え、モンゴル代表は埼玉スタジアムで練習を行なった。ピッチに登場した選手の足下は、固定式の赤、取替式の白。渡邉のチームメイトで、守備の要でもあるセンターバックのトゥルバド・ダギナーは「明日は南野(拓実)選手の突破を止めたい」と闘志をみなぎらせていた。

 準備はすべて整ったが、渡邉には不安があった。「せっかく用意したのに、選手が履かなかったら、協力してくれた人たちに申し訳ない」。アシックスとモリヤマスポーツの協力を得て、全員分の固定式と取替式のスパイクを用意したはいいが、試合での着用を強制するわけにはいかない。慣れ親しんだスパイクを履きたい選手もいる。わずかなフィット感がプレーの質を左右することは、サッカー選手である渡邉もよく理解している。

 はたして、その心配は杞憂に終わった。10月10日、ウォーミングアップに登場した選手たちの足下は、アシックスで統一されていた。トゥルバド・ダギナーが「今日のウォーミングアップでは、足に馴染み足りない選手も、みんなでアシックスのスパイクを着用しよう」と声をかけてくれたのだ(試合では、スタメン11人中8人の選手がアシックスを着用)。


アシックスのスパイクで日本代表と戦ったモンゴル代表

 photo by Matsuoka Kenzaburo

 試合は日本がボールを圧倒的に支配し、モンゴルが耐える展開となった。日本は前半に4ゴールを挙げると、後半も2ゴールを奪って勝利。格の違いを見せつけた。

 試合後、トゥルバド・ダギナーは「この試合は我々にとって、アジアの、世界のトップレベルのチームと対戦する初めての機会でした。スピード、テクニック、フィジカルのどれをとっても最高峰で、このような強いチームと試合をする機会を得ることができたのは、幸せなことでした」と語り、こう続けた。

「アシックス、モリヤマスポーツ、(ソックスを無償提供してくれた)株式会社Naocastle ジオカグリップスの皆さん。モンゴル代表チームへの支援をありがとうございました。アシックスのスパイクは快適で、どのポジションの選手でも問題なく履くことができました。私たちは、今後もアシックスのスパイクとともに戦っていきます」

 渡邉は「モンゴル代表の選手が、こうしたサポートを受けるのは初めてだと聞きます。それは、彼らがW杯の2次予選に進んだからこそ得たものです」と、充実した面持ちで振り返った。

「じつは、僕がモンゴルでプレーをすることを決めてウランバートル国際空港に到着した時に、モンゴルが日本と対戦することが決まりました。この偶然に『何かアクションを起こせ』と言われたように感じました。そんな想いが、埼玉スタジアムというすばらしい場所で結実したのはとてもうれしいです」 

 日本対モンゴルが行なわれた日、日本サッカー協会とモンゴルサッカー協会が、パートナーシップ協定を再締結することが決まった。国のサッカーを司る機関と渡邉たちのような民間の両方で、サッカーを通じた国際交流が続くことは、双方の大きな刺激になるだろう。サッカーには、スポーツには、大きな力と可能性がある。それを感じさせた、今回のプロジェクトだった。