憧れに、手が届く距離--。選手入場口の両脇には、ファンが鈴なりだった。ヒューストン・ロケッツのユニフォームを着た少年、つけ髭をつけたカップル……。ハイタッチやサインを求めて懸命に手を伸ばす多数のファンが、ウォームアップのため選手が姿を現わ…

 憧れに、手が届く距離--。選手入場口の両脇には、ファンが鈴なりだった。ヒューストン・ロケッツのユニフォームを着た少年、つけ髭をつけたカップル……。ハイタッチやサインを求めて懸命に手を伸ばす多数のファンが、ウォームアップのため選手が姿を現わすたびに熱い歓声をあげた。



絶大な人気を誇る得点王のジェームズ・ハーデンが来日した

 2シーズン連続得点王のジェームズ・ハーデン(PG)がシュート練習のために姿を見せると、スタンドからの歓声は一段と高まる。今、NBAで最も1on1が強い--つまり、世界で一番1on1が強い男は、ヘッドフォンをしたまま黙々と代名詞のステップバックスリーを繰り返した。

※ポジションの略称=PG(ポイントガード)、SG(シューティングガード)、SF(スモールフォワード)、PF(パワーフォワード)、C(センター)。

 インターネットの発達で、世界は狭くなったと言われて久しい。この日の試合どころか、どんな試合でも、世界のどこにいても映像はもちろんのこと、どの距離からどんな種類のショットを誰が打ったのか、詳細なデータまでが手に入る時代になった。しかし、憧れのプレーヤーを目の前にした時、ファンの喜ぶ表情に変わりはない。

 16年ぶり7度目の開催となったNBAジャパンゲームズ。振り返れば、初めて日本でNBAの試合が行なわれたのは1990年だった。

 ハーデンがこの世に生を受けた翌年、当時NBAの映像を日本で観ようとするなら、週に数度放送される衛星放送だけだったと記憶する。そんな時代に来日したのは、ケビン・ジョンソン率いるフェニックス・サンズと、カール・マローンとジョン・ストックトンの名デュオが率いたユタ・ジャズだった。

 1990-1991シーズンは、NBAにとってもエポックメイキングなシーズンだ。”神様”マイケル・ジョーダンの率いるシカゴ・ブルズが優勝し、スリーピート(3連覇)の足がかりとなったシーズンで、日本でもジョーダン人気に火がついた。バスケットボールシューズの「エア ジョーダン5」が人気を博したのが、この年だ。

 ジョーダン引退後もニューモデルは発売され続け、29年後の今年、最新モデルは「エア ジョーダン34」。さらに今年6月には、八村塁(ワシントン・ウィザーズ/SF)が日本人選手として初めて世界中のプレーヤーが憧れるジョーダン・ブランドと契約した。時代は大きく変わった。ちなみに、週刊少年ジャンプで『SLAM DUNK』の連載が始まったのも、1990年だ。

2度目のジャパンゲームズは1992年。”ドリームシェイク”でインサイドを席巻したアキーム・オラジュワンを擁するヒューストン・ロケッツと、ゲイリー・ペイトンとショーン・ケンプを軸とするシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)が来日した。

 今年のドラフト1位で話題をかっさらった注目のザイオン・ウィリアムソン(ニューオーリンズ・ペリカンズ/SF・PF)と、ダンクの雨を降らせて「レインマン」と呼ばれた超人ケンプ--。果たして、どちらの身体能力が高いだろうか。

 バルセロナ・オリンピックでは、ジョーダン、マジック・ジョンソン、チャールズ・バークレー、ラリー・バードなどNBAのスーパースターが集結し、「ドリームチームⅠ」が結成された。世界中にNBA旋風を巻き起こしたのが、この年だ。

 3度目のジャパンゲームズは1994年。クライド・ドレクスラーが率いるポートランド・トレイルブレイザーズと、このシーズン17勝65敗と大きく負け越して長い低迷期に突入するロサンゼルス・クリッパーズが対戦する。現在、贔屓のチームがドアマット(弱小)チームでも希望を捨ててはいけない。クリッパーズは今オフにカワイ・レナード(SF)とポール・ジョージ(SF)を獲得し、今シーズンの優勝候補筆頭だ。

 1996年、4度目のジャパンゲームズは、「ジョーダンの後継者」と呼ばれたアンファニー・ハーダウェイを擁するオーランド・マジックと、ケンドール・ギルらがチームを率いたニュージャージー・ネッツ(現ブルックリン・ネッツ)が東京ドームで試合を行なっている。

 このシーズンは、NBAでは高卒のコービー・ブライアントのデビューイヤーであり、日本バスケでは能代工業に入学した田臥勇太(宇都宮ブレックス/PG)が3年連続3冠を達成する最初の年だ。

 5度目のジャパンゲームズは1999年。ケビン・ガーネットが軸のミネソタ・ティンバーウルブズと、クリス・ウェバーやジェイソン・ウィリアムスなど個性豊かな選手を揃えるサクラメント・キングスが対戦した。

 6度目の2003年には、ラシャード・ルイスの在籍するシアトル・スーパーソニックスと、エルトン・ブランドの率いるクリッパーズが来日。この年のドラフトは、空前絶後の当たり年だった。レブロン・ジェームズ(SF)、ドウェイン・ウェイド、カーメロ・アンソニー(SF)がNBAデビューを果たしたシーズンである。

 そして、16年の空白を経て今年、7度目のジャパンゲームズが開催。10月8日と10日、さいたまスーパーアリーナで「NBA Japan Games 2019 Presented by Rakuten」と銘打って行なわれた。

 今回はプレシーズンゲームということもあり、ベテランや主力選手にとっては調整の色合いが強く、勝敗はさほど大きな意味を持たない。しかし、開幕ロスターに入るか入らないか当落線上の選手にとっては、生き残りを賭けた大事なアピールの場だ。

 NBAは現在、5年連続で100人以上もの外国籍選手が開幕ロスター入りを果たしている。いまやNBAはアメリカトップクラスの実力だけでは足りず、世界トップクラスでなければ生き残ることのできないリーグに進化している。

 だからこそ、メンフィス・グリズリーズと2ウェイ契約を結ぶ渡邊雄太(SF)と、日本にとどまれば最高クラスの待遇と名声を保証されていたにもかかわらず、ダラス・マーベリックスとエキシビット10契約(※)を結んだ馬場雄大(SF)には、惜しみないエールを送りたい。

※エキシビット10契約=開幕前のキャンプ参加を想定した契約形態で、1チーム6選手まで結べる。評価次第で、NBAとGリーグを一定期間行き来できる2ウェイ契約に切り替えることも可能だが、現時点ではマーベリックスが2ウェイ契約を結べるふたりの枠は埋まっている。

 今年のジャパンゲームズに話を戻そう。

 ロケッツと対戦する昨シーズンの覇者トロント・ラプターズは、MIP(最成長選手賞)を獲得したパスカル・シアカム(PF)や、スペイン代表として今夏のワールドカップでも活躍したマルク・ガソル(C)らを擁する。だが、ファイナルMVPを受賞したカワイ・レナードがクリッパーズに移籍したため、王者というよりはチャレンジャーという立場がしっくりくる。

 注目度がより高かったのは、やはりロケッツだろう。生で見るラッセル・ウエストブルック(PG)のプレーがテレビ画面よりも速く見えたのは錯覚だろうか。ウエストブルックは1試合目13得点、2試合目22得点と大活躍。ウエストブルックはハーデンと共存できるのか……その明快な回答はジャパンゲームズでは出されなかったが、不安よりも期待が大きいことは十分に証明した。

 絶対的エースのハーデンは代名詞とも言えるステップバックスリーを沈め、何度も会場を沸かせた。だが、訪れたファンが最も見届けたかったのは、新技の「片足スリー」だったはずだ。

 このオフの期間中、ハーデンのトレーニング風景がSNSにアップされると、そこに映った新技が話題を呼んだ。ステップバックスリーの進化版とも呼べる新技は、後方に下がるのではなく、真横に片足でジャンプしながらシュートを放っていた。「ジャンプシュートはリングに正対して打つ」というバスケットボールの常識を根底から覆す、前代未聞のショットだった。

 残念ながら、ジャパンゲームズで片足スリーが披露されるタイミングは訪れなかった。だが、見たことではなく、見られなかったことが話題となるのも、ハーデンだからこそ。何年か後、片足スリーが常識となった世界で、きっとバスケ好きは「2019年に片足スリーを観に行ったのに、ハーデンは打たなかった」と語り継ぐだろう。

 いや、もしかするとその時、ジャパンゲームズのコートで片足スリーを打つ日本人NBA選手がいるかもしれない--。