伯父の“鶴の一声”で初めた野球「1人ずつ伯父さんとキャッチボールをしたんです」

 6日に急性胆管炎による敗血症で亡くなった“前人未踏の400勝投手”金田正一氏(享年86)。甥で元プロ野球選手の金石昭人さん(野球解説者、58歳)がFull-Count編集部に急死した伯父への思いを語った。

「亡くなったという知らせは、6日の朝7時頃にいとこ(俳優の金田賢一)から来ました。伯父さんが病院から自宅に戻った後、11時頃に自宅にうかがいましたが、安らかな顔で、今にも起きだしそうでしたね」

 金田氏は7月に心筋梗塞で倒れ、その後は入退院を繰り返していた。

「でも、元気になった、と聞いていたんです。春にキャンプで見かけたときも全然元気だったので、まさか、という感じです」

 金田氏は7人きょうだいの2番目。金石さんは金田氏のすぐ下の妹の次男で、伯父の“鶴の一声”で野球を始めた。

「小学校5、6年生の時だったと思いますけど、正月にみんなで実家に集まったときに、僕たちいとこ10人ぐらいが伯父さんに呼ばれて、1人ずつ伯父さんとキャッチボールをしたんです。そのとき、僕の肩、肘、手首の使い方を見て『お前は野球をやれ』と言われ野球を始めました。僕は背は高い(197センチ)けど病弱で、それまでは草野球しかやったことがありませんでしたが、野球をやるよう運命づけられました」

 中学3年間は地元・岐阜の中学の軟式野球部で身体を鍛え、3年の終わりに金田氏の勧めで、後に甲子園の常勝校となるPL学園に。高卒後は広島にドラフト外で入団した。

「留広叔父さん(金田7きょうだいの末っ子)がちょうどロッテから広島にトレードされたときで、伯父さんが『甥の将来性を見込んで一緒にとってくれ』と口を利いてくれました。伯父さんの口利きがなかったらプロ野球選手になれていませんでした」

 プロ入り後は自力でチャンスをつかみ86年には12勝6敗とリーグ優勝に貢献。その後、日本ハム、巨人へと移籍し98年に引退した。

「伯父さんは面倒見がよくて、プロに入ってからは『肩を冷やすなよ』と声をかけてくれたり、僕が引退後、都内で店を開いたときも何かと使ってくれました。恐れおおくて僕から気軽に声をかけることはできませんでしたが、感謝してもしきれない大恩人。亡くなって本当に寂しいです」

 葬儀・告別式は12、13日に身内のみで行い、シーズン終了後にお別れの会を開く。(中野裕子 / Yuko Nakano)