世界2位の快挙から20年……
今だから語る「黄金世代」の実態
第15回:手島和希(前編)



ワールドユースでの戦いを振り返る手島和希

 1999年ワールドユース(現U-20W杯)・ナイジェリア大会、U-20日本代表の初戦の相手はカメルーンだった。

 その試合前日を迎えても、DFの手島和希は、フィリップ・トルシエ監督が志向するDFシステムである”フラット3”に対して、確かな手応えを得ているわけではなかった。だが、不思議と不安になることはなかったという。

「”フラット3”については、まだどれくらい大会で機能するか未知数でした。でも、手応えを感じているよりは、少しうまくいっていないぐらいのほうが、大会に入ってからよくなる傾向があるな、と思っていたんです」

 手島がそう思えたのは、”フラット3”習得のために、ひとつの山を越えた感もあったからだ。

 トルシエ監督がA代表との兼任でU-20代表の指揮官となったのは、1999年1月。その後、2月のブルキナファソ遠征で”フラット3”を本格的に導入した。

 手島にとって、その独特なシステムは未知なものであり、トルシエ監督という存在も、これまでに出会ったことのないタイプの指揮官だった。

「(トルシエ監督がチームを率いるようになって)最初はびっくりしました。猛烈な勢いで叫んで、激しい身振り手振りで、指導していましたから。それはそれで新しいやり方というか、おそらく日本人のおとなしいメンタリティを見て、わざと大げさにやっていた部分があるかもしれないですけどね」

 また、それ以上に新鮮で、驚きだったのが、”フラット3”の練習方法だった。

 トルシエ監督のボール保持の状況で上げたり下げたり、そんなラインを上下する練習がトレーニング全体の多くを占めていて、手島にしてみれば、「ラインコントロールが練習の大半を占めていた」という感覚だったという。

“フラット3”にはブルキナファソ遠征から本格的に取り組んだが、当初その中心選手となっていた金古聖司が同遠征の最後の試合で故障。大会直前のフランス合宿から急きょ、中田浩二、辻本茂輝と組むことになった。

「ボールの状況によって常にラインを動かすというのは、それまでに経験したことがなかった。それを3人の呼吸を合わせて上下しないといけない。ギャップができると、トルシエ監督からすごく怒鳴られました。3人それぞれの判断をあわせることが難しかったですね」

 それでも、現地入りした大会目前、A代表の試合でトルシエ監督がチームを離れた際に、山本昌邦コーチが”フラット3”のやり方について、噛み砕いて説明してくれた。そこから、”フラット3”が形になってきた。

 大会が開幕し、日本は初戦でカメルーンに1-2で敗れたが、手島は攻守両面で確かな手応えを感じていた。

「相手の高い身体能力にやられてはしまったけど、日本はゲームの主導権を持ちながらチャンスも作っていたし、”フラット3”も機能している部分があった。この試合で、チームとして『戦えるな』という手応えは感じていました」

 初戦は敗れるも、その後のグループリーグでは2勝し、決勝トーナメント進出を決めた。そんなチームの活躍を支えたのは、”フラット3”とともに、攻撃陣でもあった。

「どのチームと戦っても、点を取れる雰囲気を感じていました。(小野)伸二とか、本山(雅志)をはじめとする、(日本の)前線の選手は皆、個のスキルが高くて、アイデアも豊富だったので、(その攻撃は)見ていて楽しかったですし、すごく頼もしかったです」

 前線の選手が点を取ってくれる安心感があったので、手島らディフェンス陣の選手も思い切った守備ができた。そうして、チームは攻守が噛み合って、日本は決勝戦まで駒を進めていく。そのターニングポイントになったのは、決勝トーナメント1回戦のポルトガル戦だった。

「ポルトガルはかなり強いと評判で、試合前にトルシエ監督から『おまえたちでは勝てない』と言われたんですよ。同じことを、決勝のスペイン戦の前にも言われたんですけど。

 実際にポルトガル戦は、相手GKが負傷退場して(相手のほうが)ひとり少ない状況でしたが、PK戦まで戦うことになりました。そのPK戦を制することができたことは、本当に大きかったと思います」

 ポルトガルを破って勢いに乗った日本は、強豪アルゼンチンを下して勝ち上がってきたメキシコと準々決勝で対戦。2-0で勝利して、これまで打ち破ることができなかった”ベスト8の壁”を突破した。手島は、この試合が大会を通して最も手応えを感じたという。

「メキシコ戦は、自分たちがラインコントロールすることで主導権を持ち、相手をコントロールする場面が多かった」

 大会を進めるごとに”フラット3”にも慣れ、スムーズにラインコントロールすることができるようになっていった。”フラット3”という戦術を経験して、守備の面白さをあらためて感じていた。



守備陣のまとめ役を果たした手島。photo by Yanagawa Go

 そして、準決勝のウルグアイ戦も2-1で勝ち、決勝進出を決めると、「ここまできたら優勝したい」と思うようになった。だが、それまでの相手とは次元の異なる強さを、スペイン戦で味わうことになる。

「準決勝のウルグアイも個人能力が高くて、決定機は相手のほうが多かったんです。それでも、なんとか耐えることができましたが、スペイン戦はそうはいかなかった。スペインには、日本を上回るクオリティがあって、アイデアもあった。『スペインは強いな』『(他とは)違うな』と思いましたね」

 0-4という大差での敗戦。その差は「現状の力の差をそのまま示された結果」だと、手島は受け入れたという。つまり、力を出し切った末の、結果だったと。

「決勝があのメンバーでやれる最後の試合でしたし、最も長くみんなとサッカーができましたから、自分の中ではやり切った感はありました。でも、最後はやっぱり勝ちたかったですね……」

 それでも、全試合に出場して、世界大会の決勝まで戦えたことは、大きな自信になった。守備において、学ぶことがたくさんあり、”フラット3”という戦術を経験したことが、その後のサッカー人生にも影響を与えた。

 そうして、”フラット3”という戦術、世界2位という結果を手土産に、手島は日本に帰国した。

(つづく)

手島和希
てしま・かずき/1979年6月7日生まれ。福岡県出身。京都サンガF.C.U-18監督。現役時代はクレバーなDFとして活躍。東福岡高→横浜フリューゲルス→京都パープルサンガ→ガンバ大阪→京都サンガF.C.