渡辺俊和主将(スポ4=埼玉栄)は試合後のインタビューである言葉をよく口にする。「相手のコートに返すことしか考えていなかった」。競った展開でも冷静に、ひたすらに、シャトルを追いかけ、勝利を手にする。接戦を制する要因の1つに気持ちの強さがある…

 渡辺俊和主将(スポ4=埼玉栄)は試合後のインタビューである言葉をよく口にする。「相手のコートに返すことしか考えていなかった」。競った展開でも冷静に、ひたすらに、シャトルを追いかけ、勝利を手にする。接戦を制する要因の1つに気持ちの強さがあるだろう。今年度は特に主将としてチームに1勝をもたらすために意地を見せてきた。それだけチームへの思いは強い。全6回にわたる特集の最終回は、渡辺の団体戦への意気込みをお届けする。

※この取材は9月26日に行われたものです。

危機感が足りないと感じた

――秋リーグを経て


 男子部は、結果としては3位でしたが、内容面を見れば、それぞれの選手に課題が見つかったのかなという印象です。勝ちきれる試合をモノにできなかった選手もいれば勝てた選手もいて、いろいろな勝ち負けがありましたし、今回は過去に比べても多い8人の選手が出たので、そこで各自の課題が見つかったのではないかなと思いますね。


――渡辺選手自身も、勝った試合もあれば負けた試合もありました


 シングルにおいては、競った試合は勝てていたのですが、後半の2試合、特に日体大戦はあまり自分の持ち味が出せなくて。特に自分からのミスというか、相手とのラリーができていない不完全燃焼に終わった印象です。

――チーム全体としても、相手が棄権して、不完全燃焼に終わった印象です


 相手が棄権したのは、もう順位も関係なかったですし、相手もリーグの先のインカレにかけているからこその決断だったので、そこはしょうがないかなと思います。リーグではもちろん優勝を目指していましたが、自分たちは次のインカレが大きな目標なので、リーグ3位だったという結果はそう重く受け止めず、次のインカレに向かって進んでいけたらと思います。


――秋リーグのチーム全体の感想は


 難しいな…。男女どちらもまだ勝てていないというか。自分としてはこの2週間で危機感というものを植え付けたいです。どこかでそれをみんなに与えたいなと思っています。男子においても、ナショナル3人に頼らずということを4年生ではやってきたので、そこもまた自分たち4人が引っ張っていくためにもまだチーム全体としての危機感というものを2週間でどうにかしたいです。


――危機感を出すにはどうしたらいいと思いますか


 まずは自分が雰囲気を作るじゃないですが、今が一番大切な時期なので、そこはピシッとしなくてはならないと思います。今の感じだと、「なんとなくやってなんとなく終わってしまった」という感じになりそうな気もしているので、危機感を作るためには自分が行動で示して、そういう雰囲気を作っていきたいです。全員の前で言ったりもしますね。


――東日本について振り返ります。団体単複それぞれの結果についてどう受け止めていますか


 まず、団体優勝できたことはよかったなと思っています。自分の中での一番は団体優勝でした。1回戦で浅原(大輔、スポ4=宮城・聖ウルスラ学院英智)・吉村(徳仁、スポ4=富山・高岡第一)ペアが負けましたが、他は全て3−0だったので、良い収穫だったかなと思います。ダブルスについても、緑川(大輝、スポ1=埼玉栄)とあまり組んではいませんでしたが、ベスト4になりました。あそこまで行ったら逆に優勝も狙えたので、インカレでは決勝まで行って小野寺(雅之、スポ3=埼玉栄)・大林(拓真、スポ2=埼玉栄)ペアと同校対決をしたいなと思っています。シングルは3回戦で日大の強い子とやって、そこで勝ち切れてうまくいったのはよかったです。でも、エイト決めの試合で明治大学の仁平くんに負けてしまいました。そこは自分の足が止まってしまったというか。その日はシングルとダブルが2試合ずつあったのですが、その最後で疲労が溜まっていたので、フィジカル面での強化が必要だと感じました。最近はトレーニングやランニングの機会が少なく、前に比べたら落ちているので、今度のインカレでは最後でも足が動かせるようにしていきたいと課題が見つかりました。


3本の柱を作った


今年度からは緑川とペアを組んでいる渡辺


――春からのことについてお伺いします。ダブルスのペアリングが変わりましたね


 緑川が来年入ってくることは知っていました。もともと自分と鈴木(朋弥、商4=宮城・聖ウルスラ学院英智)が組んでいたのですが、特にめちゃくちゃ話し合ったわけではないけど自然とこのペアリングになっていました。緑川も「俊先輩と組みたいです」と言っていて、「じゃあ緑組もうぜ」となり、そうしたら鈴木も「じゃあ友金と組む」みたいな感じで。そこは思ったよりギクシャクもなくいきましたね。


――実際組んでみていかがでしたか


 綺麗、というか。無駄がないですね。鈴木と組んでいた時はミックスみたいなダブルスになっていたのですが、そういうのとは全く別のダブルスでした。最初は上手すぎて逆にどう動けばいいか戸惑ったことがあります。助けてもらっていますね。


――緑川選手とは普段どんな会話をするのですか


 ポケモンGOの話とかですかね(笑)。バドミントン界で流行っているんですよ。緑川の方が強いですね。多分あいつはだいぶ前からやっています。あいつはめっちゃ課金しています。僕は3000円だけ課金しました。あいつゲームめちゃくちゃ極めていますね。暇なときはずっとやっています。


――シングルについて、今年から勝ちきれる場面も多いですが、4年生になって何か変化はありましたか


 当たり前かもしれないですが、上級生になるにつれて責任感というものが大きくなってきた感じはします。1年生の頃からリーグも全試合出させていただいていますが、もちろん勝ちには徹していましたが、その頃より負けられない立場になったというか。主将ということもありますし、去年とかは穂さん(古賀、平31スポ卒=現NTT東日本)がいて、あとは自分がもう1個取れば勝ちみたいな部分があったので、勝たなくてはいけない立場になってから責任感が芽生えてきましたね。


――大きな変化として、今年の春から練習場が早稲田アリーナになりました


 時間的には自分たちがやりたいときに使えるようになりましたが、今年完成したばかりということもあり、きょうみたいなパブリックビューイングで使えなかったり、大隈講堂が工事している関係で学校行事で使えなかったりするので、いいところもあれば悪いところもあるという感じですね。体育館は、面数は前に比べて1面減って、最初床が滑りやすかったのでコートマットを敷くようにしました。今は外していますが、最初はコートマット3面と普通のコート1面でやっていました。コートマットというのもあり、みんなのモチベーションも上がったり、怪我が少なくなったりということもありました。


――昨年の早慶戦から代替わりし、そこから意識していることや変えた部分はありますか


 自分はいろいろ変えましたね。まず、今まで部の目標としていつも『インカレ団体優勝』ということだけがあったのですが、自分の中で大学バドミントンというのもありますし、競技成績だけじゃないというふうにも思っていて。「インカレで優勝しました!」って将来会社とかで言っても、「だから?」となってしまいますし、それよりも人としての成長が大事なのではないかなと思いました。そこで、部の3本柱というのを作りました。『インカレ団体優勝』、『人としての成長』、そして『上下関係のメリハリ』です。その3つをまず立てて、その軸に沿って行動しようというふうにしましたね。


――3本柱はどのように決めたのですか


 それは自分だけで決めました。大学の授業中でも考えて…。ずっと考えていましたね。早慶戦が終わった後の授業は聞いていないです(笑)。ひたすら部のことを考えていました。


――3つ目がとても新鮮です。春から、「風通しが良い」というふうには伺っていましたが、逆にメリハリというのはどういうことなのでしょうか


 2年前の松本先輩(康平、平30スポ卒=JTEKT)の頃は割とトップダウン方式で、自分たちが言ってもあまり採用されることはありませんでした。逆に1個上の代は自分たちの意見を聞いてくれて、風通しの良い部活になるきっかけを作ってくださったと思います。でも逆に風通しが良くなりすぎてしまって、言いたいことをなんでも言い合えるけど、あくまでも1〜4年の関係は大事にしなくてはいけないと思いました。後輩たちがなめるじゃないですが、そういうのもたまにあるので、そこは大事にしないといけないなと思いましたね。練習中にしっかりしておかなければならない部分はしっかりしてこうと思っていました。


――3本柱はいつ発表したのですか


 まずは同期に言いました。「いいね」と言ってくれたので、早慶戦後にいろいろ決めた後に、部全体のミーティングで言いました。


――3本柱は徹底できていますか


 どうだろう…。インカレ優勝はまだわからないですし、人としての成長はどこまで成長できたかというのがわからないですが、自分としてはやるべきことはやってきたかなと思っています。上下関係のメリハリは、3つの取り組みの中で新しく入ってきましたしこれまで最もおろそかになっていた部分だったので、そこまでかなと思います。優先順位はそこまで高くはなかったですね。


――渡辺選手から見た今のチームの雰囲気は


 今は良いんじゃないですかね。男子は変わりなく、女子もこれからじゃないかと。リーグが終わったことによって時間が解決するじゃないですけど、そういう雰囲気もあるので。でもまたけが人が出てきているので、そこも含めて2週間やっていけたらなと思います。


ずっと考え続けた

――主将のことについてお聞きします


 小中高大ずっと主将でした。主将しかやってないです(笑)。


――高校の主将はどのように決まったのですか

 それはもう監督から言われましたね。消去法なのかわからないですけど(笑)。


――キャプテンになると感じていましたか


 若干感じていましたね。中高一貫で、中学でもキャプテンをやっていましたし、高校でもやるのかなと思っていました。


――自分が思う自分のキャプテンシーとはどこだと思いますか


 なんだろう…選ばれたのは、わからないですけど、たぶん責任感が周りよりもあって、コツコツとやってきたからだと今振り返って思います。


――大学の場合は、入った時点で主将になることが決まっています。1年生の時から、「3年後は主将になるんだ」という意識はありましたか


 ありましたね。「あ、また主将か〜」というのもあって(笑)。でも逆にわかっていたぶん、リーダーになるための本なども読みましたし、ゼミでもスポーツ組織論を学んでいました。『スタンフォード式 最高のリーダーシップ』(スティーヴン・マーフィ重松著、サンマーク出版)を読みましたが、あれが結構心に刺さりましたね。アサーティブ・リーダーという新しい考え方があって。リーダーにも様々なものがありますが、アサーティブというのはそこで初めて知りました。自分が強く主張する場面と弱く主張する場面の使い分けがうまくできている人ということらしくて。メンバーが活躍する場を作るけど、自分も主張するみたいな。自分がどういう存在であるかわかっているからこそ、自分が行くべきか行かないべきなのか判断するというものです。


――とても難しいですよね


 そうなんです。でも、こういう人が良いリーダーなのかなと思って。本に書いてあったのは、キャプテンに付いていく、じゃなくて人間に付いていきたいと思うことが一番良い組織だと。確かになと思いました。自分が今まで付いていきたいと思った人は、キャプテンとかではなく、人間的に付いていきたいという人に一番付いていきたいと思ったので、このリーダー論が良いなと思いましたね。


――強く出るところと弱く出るところを使い分ける、と言っていましたが、渡辺選手にとってはどこなのでしょうか


 強くいくところは、「ここは締めなくちゃいけないとき」に締まっていなかったりする場面ですね。今リーダーとして問われているときは強く出ます。逆に、後輩が意識高く自主的に頑張ろうとしているときには、その子がやりたいようにやらせるのが一番なので。そこで自分があーだこーだ上から言ったりするのは違うと思ったので、言わないようにしていました。あとは、後輩に責任感を持たせるために、自分でできる仕事も後輩に頼んで、後輩を立たせるじゃないですけど、そういうのもやっていました。


――早稲田大学は主将のカラーがチームに出やすいと思います。歴代の主将と比べたときに、自分はどのようなリーダーだと思いますか


 周りがどう思っているかは全くわからないですが、目指してきたものは、自分を見て行動や考えを変えてくれる人がいたらいいなと思っています。影響力があるリーダーになりたいと思っていたので。みんながどう思っているかはわからないですが、そこは徹底してきましたね。例えば、一個一個の発言や取り組みに、いろいろ相談してきてくれる後輩もいるので、その子達に対してその子の考えも大事にしつつ、自分のスタイルを言ったりしてきました。


――早稲田大学は主将の役割が非常に多いと思います。高校時代とはまた違った主将の役割だったのではないでしょうか


 正直まじで困りましたね。授業中に考えちゃうくらい困りました。事務的なことは監督に相談しますが、練習方針などは僕に一任されるスタイルでした。同期もいますが、結局自分でやってしまうのが癖なのかもしれないです。練習の雰囲気や方針、人としての成長というのも自分でずっと考えてやっています。


――「主体的」というのは簡単ですが、実際やるのはかなり難しかったのではないですか


 主体的、って良くも悪くも自分次第なので。「自由」って言葉で聞いたら結構楽しそうかもしれないですが、実際やってみると、自由だからこそ自分で課題を見つけてやらなければなりません。大学のレポートもそうですが、課題が与えられて書くのは楽だけど、卒論のように自分で課題を見つけ自分で解いていくことは難しくて。それに似ているなと思いますね。


――どのようにまとめていくのですか


 うーん、なんだろう…。まず一番大事なこと、優先すべきことをその子たちに伝えて、「こうだからこうだよね」とか、相手の気持ちも考えるようにとは言っていましたね。早稲田大学バドミントン部にはいろいろな人がいるので。バドミントンだけやってきた人もいれば勉強の人もいるので、いろいろな価値観の人がいます。相手のことも考えなきゃね、とは言いますね。大変ですが、偉大な先輩方がやってきたのかなと考えると、自分もやらないとというふうになりますね。


――常に「考える」ことと向き合っているからこそぶつかるのではないでしょうか


 そうですね、自然とそういうふうになるのかなと思っています。自分もバドミントンだけではなく他の場面でも早稲田に入って考える癖がついたかなと思います。例えばニュースを見たり本を読んだり。あとは4年前期の授業で「メディア論」という授業を取っていたのですが、報道の裏側を知ることができました。客観報道とは何か、とか。どう報道するのが人々にとっていいのか、とかをニュースを見ながら考える癖がつきました。あと、先日、「ファクトフルネス」という本を読みました。実は極度の貧困の人は年々減っていたり、災害によって亡くなる人は半分になっていたりとか、自分たちは結構メディアに洗脳されているなと思いました。実際は良いことが起きているのに植え付けられているのかもしれないと思いましたね。


――高校の時もそんなに考えていたのですか


 高校の時は全然です(笑)。オフがほぼなくてひたすら練習だったので、そこまで奥深く考えることはありませんでした。でも家に帰ってニュースとかは見ていましたね。でもそこが早稲田に入って一番変わったところかもしれないです。文武両道がしたいと思っていたので、いろいろな価値観の人に出会えて、考える癖が身についたかなと思っています。卒業単位は取れているのですが、面白い授業を取りたいなと思っています。


全国優勝して喜ぶ瞬間のためなら


関東大学春季リーグ戦でも「主将として負けられない」と渡辺は語った


――例年に比べてチームのカラーはどのようなものですか


 メリハリがあるかなと思います。同期にも助けられていると思います。吉村とかが声を出して盛り上げてくれて、事務的なことは中根(智華、教4=東京・関東第一)や松本(茜、社4=福岡・九州国際大付)がやってくれていて。同期が9人いるので、その色が出せているのかなと思います。


――昨年からも、今の4年生の代が一番人数が多いですし、「チームのモードを作っているのはこの学年」と言われることが多かったですよね。4年生になってその心持ちは変わりましたか


 そうですね、まずそれを感じたのが3年生の8月ごろでした。代替わりの2ヶ月くらい前ですね。その時期に自分が同期全員を呼び出して、自分たちが2ヶ月後に最上級生になる前に話しておこう、と言いました。この代が練習に与える影響が大きいというふうにみんなが共感していて、自分たちがふざければみんながふざけるし、ピリッとしていればみんながピリッとするし、自分たちがもっとチームとしてやる時はやっていこうとなりました。そこで1回みんながまとまった感じはありますね。いざ主将になってみて、やることが多すぎて。今まで主将は大変だと聞いていたけど、「いやいや別に大変じゃないでしょ」と思っていたんです。でもいざなってみるとめちゃくちゃ大変で。ルール決めるのも自分ですし、部員が減っているという課題もあったので。新歓のPVもあれ全部自分が考えました。サークルの人にお願いして、作ってもらいました。


――11月からほぼ1年経ちましたが、人としての厚みも増したのではないでしょうか


 結構やることがいろいろあって。やりすぎて逆に自分を見失った時期が一回ありました。去年の12月、1月くらいに、選手としての自分を見失ったというか。自分が選手としてうまくできていないなと感じていました。例えば普段の練習にしても、「この後のメニューをどうしようか」ということを考えていて、いざ自分が練習でコートに入ったら全然集中できていなくて。自分のことがおろそかになっているのはないかと思いました。だんだん仕事が片付いてきたくらいの時に、選手としてちゃんとできているのかふと考えました。そのあとに何回かミーティングをしたのですが、「俺見失ってた時期があったんだよね」と同期に言ったら、「もっと頼っていいよ」と言ってくれて。そこからいろいろ仕事を割り振ったり、誰かと一緒にやったりするようになりました。それまで結構自分一人でやっていたので、そこから振り分けられるようになったと思います。


――頑張れるモチベーションはどこにあるのですか


 自分は今まで団体優勝に重きを置いていたので、去年もそうですが全国優勝してみんなで喜びを分かち合って胴上げとかをしたりする、あの瞬間が自分にとっていちばんの幸せです。どんなに辛いときがあっても全てはそのためだというふうに思います。だからどんなに練習できついことがあっても、今までの中学高校も最後はそのためにと思っていました。そう考えると「やめたい」という言葉は出てこないですね。みんなで喜びを分かち合うことがきっと好きなんですよね。


4年間で一番、団体にかける思いが強い

――日本代表がいるけど自分たちが一本取りたいという思いは4年生の総意としてあると思います。その思いは4年生になって強くなりましたか


 そんなに変わってはいませんが、去年よりちょっと俯瞰的に見てる自分がいますね。団体のオーダーも全部自分たちで決めているので、チームの雰囲気を見て決めるので、全体を見てどういうオーダーにするかを考えるので客観的になりました。主将としての自分と選手としての自分がいて、いろいろ難しいです。


――卒業後はバドミントンを続けますか


 続けます!実業団のチームで続けます。
いろいろ悩みましたが、最初は3年生の11月、12月ごろに他の実業団のチームに入りたいなと思っていて。でもそこには上手く入れなくて、この先の人生のことも考えて普通の就活もして。60歳になった時に自分が困っていないためには、普通の企業に就職するのもいいなと思ったのですが、今自分ができることをやるのが一番いいかなと最終的に思って決めました。30歳になってからバドミントン選手になるのは無理なので、今できることを選びました。1年生の頃は「バドミントンを続けよう」くらいの気持ちでしたが、それが具体的になりましたね。セカンドキャリアをずっと考えていて。バドミントンのセカンドキャリアってあんまり発展していないというか。本当に続けるのかを考えていました。一般就職だったら、最初は大手飲料食品を見ていて、そのあとは人材のメガベンチャーを見ていました。内定をいくつかいただきましたが、結局はその実業団のチームに惹かれましたね。


――渡辺選手が思う、バドミントンの楽しいところと難しいところを教えてください


 難しいところは、自分がやりたいことをしても勝てないところですね。対人スポーツなので、自分がやったことに対して相手が反応し、さらに自分がそれに対応しなければならないので。ゲーム理論ではないですが、1つのクリアでも、高さや飛距離がありますし、相手のフォームもあるので、奥が深いです。そこに自分がどう対応するかという部分に難しさを感じます。楽しいところは、その駆け引きですね。自分は駆け引きが楽しいです。バドミントンにしかないものといえばそれかなあ…。あとは団体戦で勝ったときの喜びです。個人競技だけど団体戦で、そこがまたいいなと思います。勝ったときの喜びが自分の楽しさにつながっていますね。


――インカレの組み合わせが発表されましたね


 団体は準決勝で日体大に当たるな、と率直に思いました。シングルは、自分のパックに明治の池田くんがいて、龍谷大の子と戦って、法大の山澤くんに勝ったらエイトなので、可もなく不可もなくという感じでしたね。


――個人戦の目標は


 ダブルスは同校決勝がしたいです。シングルはベスト4までいって大林と対戦したいと思います。昨年ベスト16で負けているので、ベスト16を突破することを目標にしていると負けてしまうので、ベスト4に目標を置いていきたいなと思います。


――最後のインカレはどのような気持ちで臨みたいですか


 今までの3年より一番強い気持ちで団体優勝にかけたいと思います。そのために、自分はどのチームの主将より時間を費やしてきたという自信があります。授業中まで考えていた人はいないと思います(笑)。だからこそみんなで勝って喜びを分かち合いたいです。


――ありがとうございました!

(取材・編集 石名遥)


男子だけでなく、女子チームのことも気にかけている渡辺選手。インカレでは「アベック優勝」で有終の美を飾ってくれるでしょう!

◆渡辺俊和(わたなべ・としかず)

1997年10月21日生まれ。174センチ。スポーツ科学部4年。埼玉栄高校出身。筋肉大好きでみんなから頼りにされる渡辺主将。小中高大と4回目のキャプテンです。主将としての思いや苦悩を語ってくれました!月に1回コストコに行き、低脂肪ヨーグルトをまとめ買いしているそう。旅好きで、引退したら行きたい場所はニューヨーク!