ロジャー・フェデラー(スイス)の元コーチであるPaul Dorochenko氏が、フェデラーがいかにして安定したキャリアを築いてきたのか、その真相を明かしたと、ウェブメディアEssential…

ロジャー・フェデラー(スイス)の元コーチであるPaul Dorochenko氏が、フェデラーがいかにして安定したキャリアを築いてきたのか、その真相を明かしたと、ウェブメディアEssentially Sportsが報じている。Dorochenko氏の挙げた、フェデラーが成功した3つの要因を紹介する。1:スポーツ心理学

「我々は、フェデラーが18歳の時にスポーツカウンセラーをつけた。結局彼は、21か22歳ころまでの数年間、その先生にお世話になったんだ」(原文ママ)とDorochenko氏は語った。

20代前半の頃までのフェデラーは、今の彼からは想像もつかないほど正反対のキャラクターだった。現在の落ち着きがあるマエストロの風格とは違い、怒れる少年だった彼を、スポーツカウンセラーに診せることにしたのは、彼の家族にとって大きな決断だったことだろう。

フェデラーは以前インタビューで、「若いころの僕は、よくラケットを放り投げていた。16歳の頃は、コートの外まで投げたラケットを拾いに行っていたよ。17歳の時に、試合中に怒りを抑えられない僕のことを心配した両親が、僕を精神分析医に掛からせることを決めたんだ。そのお陰で、それからというもの、順調に成長することができたんだ」と語っている。

2:ミルカ夫人

Dorochenko氏は、フェデラーの成長にはミルカ夫人の尽力が不可欠であったと語っている。フェデラーが、同じくプロテニス選手であった彼女に出会ったのは、2000年のシドニー五輪でのこと。

「フェデラーは、恋愛経験がほとんどなかった。1人付き合った子がいたくらいで、すぐにミルカと出会ったんだ。彼女は野心的なチェコスロバキア人で、お金や権力を欲するタイプの女性。結局のところ、彼女はフェデラーを色々な局面で守ってきた。フェデラーがテニスに集中していられる環境を作ってあげたのは彼女なんだよ」

3:Nike

「3つ目の要因はNikeだね。大金が動いたし、マーケティングのチームには"いいか、我々は君にジェントルマンでいてもらいたいんだ"とくぎを刺されていたからね」とDorochenko氏は語った。2018年まで続いたNikeとのスポンサー契約は、フェデラーがオンコートでの素行を改める、大きな原動力になったようだ。

フェデラーは、地元スイスで開催された「レーバーカップ」を終え、次は「ATP1000 上海」(中国・上海/10月6~13日/ハードコート)に出場の予定だ。

(テニスデイリー編集部)

※写真は2017年のフェデラー夫妻

(Photo by Kirsty Wigglesworth - Pool/Getty Images)