世界1位のノバク・ジョコビッチ(セルビア)がやってくる――。その高揚感は、大会が開幕するよりも早く、開催地・有明テニスの森を厚く覆っていた。 過去にロジャー・フェデラー(スイス)、ラファエル・ナダル(スペイン)、アンディ・マリー(イギ…

 世界1位のノバク・ジョコビッチ(セルビア)がやってくる――。その高揚感は、大会が開幕するよりも早く、開催地・有明テニスの森を厚く覆っていた。

 過去にロジャー・フェデラー(スイス)、ラファエル・ナダル(スペイン)、アンディ・マリー(イギリス)ら、いわゆる男子テニス界の「ビッグ4」も顔を揃えてきた同大会だが、そこに唯一欠けていたピースがジョコビッチだ。



ジョコビッチを見たさに大勢のファンが有明にやってきた

 その現世界1位がついに今年、楽天オープン初参戦。まだ本戦の始まらぬ週末の時点ですでに、ジョコビッチの練習をひと目見ようと多くのファンが有明に足を運び、そのプレーの質の高さと緊張感に、あるいは柔和な笑顔でファンサービスする姿に、感嘆と感激の声を漏らしていた。

 ただ、その世界1位の参戦は、直前まで不確かなものでもあった。

 約1カ月前のUSオープンで左肩を痛めていたジョコビッチは、同大会を4回戦で途中棄権している。以降は約3週間ラケットを握らず、練習を再開したのは楽天オープン開幕のわずか1週間前。しかもその時点では、「肩の痛みはないが、東京大会に出られるかどうかは、まだわからない」という状態だった。チームスタッフや医師とも相談のうえ、最終決断を下したのは先週の水曜日のことだ。

 そのようにギリギリまで悩みながらも、最終的に彼が来日を決意した背景には、ある「悲願」がある。

 それは来年、東京で開催されるオリンピックで、最もいい色に輝くメダルを手にすること――。その本番を迎える前に、オリンピック開催地となる有明コロシアムやその周辺の環境、そして東京の街を知っておきたいとの狙いが、彼にはあった。

「四大大会」すべてを制し、さらには全9大会の「ATPマスターズ1000」と、国別対抗戦「デビスカップ」まで手にしたジョコビッチは、早くもテニス競技の歴史上、最高の選手のひとりに数えられている。選手にとっての強さと支配力の指標である「年間最終ランキング1位」も5度を数え、今シーズンもこのままトップを維持すれば、ピート・サンプラス(アメリカ)が持つ史上最多記録に並ぶ。

 そのジョコビッチの栄冠の陳列棚に、ただひとつ残った空白のスペース――それが、オリンピック金メダルだ。

 母国セルビアで「大統領以上の影響力を持つ」と言われるほどの人気を誇る彼には、国を代表することへの並々ならぬ誇りがある。そのジョコビッチが皮肉なことに、なぜかオリンピックの金メダルだけは縁遠い。

 初挑戦は21歳だった、2008年の北京オリンピック。当時、まだフェデラーとナダルに継ぐ「第3の男」だった彼にとって、銅メダルはある意味で順当な結果だったかもしれない。

 その彼が、1位と僅差の世界2位、そしてセルビア代表の騎手として参戦したのが、2012年のロンドン・オリンピック。しかしこの時は、準決勝で地元優勝に並々ならぬ執念を燃やすマリーに競り負け、3位決定戦でもフアン・マルティン・デル・ポトロ(アルゼンチン)に破れた。

 そうして迎えた2016年のリオデジャネイロ・オリンピックは、ジョコビッチが優勝候補の最右翼として挑んだ大会である。当時の彼は、押しも押されもせぬ世界1位。その前年のウインブルドンから翌年の全仏オープンまでの四大大会すべてを1年間で制し、絶対王者としてテニス界に君臨していた。

 しかし、ここでもまた、運命はジョコビッチに試練を与える。

 彼が初戦で当たったのは、4年前に破れたデル・ポトロ――。

 当時のデル・ポトロは、ケガによる長期離脱のためランキングを落としていたが、完全復帰への道を着実に歩む最中にあった。対して無敵に見えたジョコビッチは、酷使し続けてきた右ひじに人知れず痛みを抱えていた。

 ロンドン・オリンピック銅メダル決定戦の再戦となった1回戦屈指の好カードは、その結末もまた、4年前と同じになる。コートを去る背に万雷の拍手を受けたジョコビッチは、人目をはばからず、大粒の涙を零(こぼ)した。

「あれは、自分の人生で最も忘れがたく、同時に、最も痛みを伴う瞬間だった」

 のちにジョコビッチは、この敗戦をそのように述懐している。

 だからこそ、現在32歳のセルビアの英雄は、オリンピックの金メダルを「自身の残りのキャリアにおける、最大の目標にして悲願」だと定義した。

「北京で銅メダルを母国に持ち帰れたのは、私の誇りだ。だからこそ東京では、もっといいものを持ち帰りたい。自分はまだ若く、情熱も感じている。夢を実現できると信じているが、まずは一歩一歩進んで、いい状態に持っていきたい」。

 その「夢」の実現のため、彼は来年のオリンピックに向けて、早くも次のようなビジョンを抱いていると言った。

「まずは、暑さや湿度などの困難な現実を、精神的に受け入れること。そして次に大切なのは、事前の準備。健康状態を維持し、可能なかぎり早く東京を訪れて、万全の準備をしたい。

 オリンピックの時期は、ツアースケジュール的にも大会の多い時期なので、どこかのトーナメントを犠牲にしなくてはいけないかもしれない。1年後に何が起きるかはわからないが、オリンピックは間違いなく、私の最優先事項だ」。

 今回、東京を訪れた彼は、以前から「とても共感を抱き、尊敬していた」という日本文化に触れるべく、日帰りで京都を訪れ、牛若丸と天狗の伝承が残る鞍馬山にも登った。

 楽天オープンでは、勝つたびに新たに覚えた日本語を披露し、日を追うごとにさらなるファンを獲得している。

 世界1位が追い求める「夢」にして「悲願」への旅は、すでに始まっている。