今シーズン限りでの退団を発表したヤクルトの宮本慎也ヘッドコーチは、この2年間、とくに若手選手たちと濃密な時間を過ご…

 今シーズン限りでの退団を発表したヤクルトの宮本慎也ヘッドコーチは、この2年間、とくに若手選手たちと濃密な時間を過ごした。秋の松山キャンプ、春の浦添キャンプ、さらにシーズン中の”チーム早出練習”では計26人の選手と汗を流し、試合後はベンチ裏の素振りも見守った。

「僕のなかでは心残りというよりは……うーん」

 若手たちとの時間を振り返った宮本コーチは、そう話すと言葉に詰まった。その切ない表情を見ると、子どもの頃に読んだ『泣いた赤鬼』(浜田廣介・作)を思い出してしまった。



この2年間、チームの底上げに尽力してきたヤクルト宮本慎也ヘッドコーチ

 2017年秋、ヤクルトの真中満監督がシーズン96敗の責任を取るかたちで退任となり、小川淳司シニアディレクターの監督再任が発表された。その流れで宮本ヘッドコーチの就任が決まると、「どんな練習が待っているんですかね……」(山崎晃大朗)と戦々恐々とする選手もいた。実際、その練習は厳しく、ハードなものだった。その意図について、宮本コーチはこう語る。

「やっぱり練習って、厳しいのが普通なんです。当時、ほかの解説者の方たちと話をしても、ヤクルトは練習しない、ゆるいと。僕としては、まずは練習を増やそうと決めました。そうしなければ技術不足も補えません。キャンプも含め、とくに若い選手は1年を通して練習させようと」

── 2年前の松山キャンプでは、朝9時から夕方の17〜18時まで厳しい練習が続きました。選手たちの悲鳴があちこちから聞こえていましたが、練習が終われば誰もが充実感に溢れた表情をしていました。

「練習量としては、この時の松山キャンプがマックスでした。その厳しさのなかで、ケガ人は野手ひとり、投手ひとりでした。さすがにプロ野球の世界に入ってきただけあって、体力はあるなと(笑)。僕としては、この練習を3年ぐらい続けようと思っていました。その先は、僕がチームにいるとしたらメリハリをつけてやっていこうと。そういう想像はしていました」

── 若手に厳しい練習を課したのは、チームの底上げも大きな理由でした。

「どのチームもシーズン中に10人はケガをします。ほかのチームはそこを補う戦力があるから目立ちませんが、ウチは戦力がないから目立ってしまう。かといって、ケガを怖がって練習をセーブさせるのはどうかと……。練習量が多くなることで、体のケアや治療の大事さもわかってくるでしょうし、自分の体にも興味を持つようになると思うんです」

── 1年目のシーズンが終わる頃、宮本コーチに若手選手への総括をお願いしました。猛暑のなかでチーム早出練習や試合後の素振りなどをやり遂げた選手について、多少なりとも「褒め」の言葉を期待しましたが、「ようやくスタートラインに立ったところです」と厳しいものでした。

「彼らが知らなかった世界を知っただけの1年でしたからね。『今日は振らんでいいよ』と言ったら、実際に振らない選手もいました。『休み』と言われて本当に休むのか、それとも家でバットを振るのか……ほかの選手と差をつけられるのはそこなんですよ。僕らがいなくても、それを継続できるのか。そういう気持ちもあり、スタートラインという表現をしました」

── 先日、宮本コーチとお話させていただいた時、選手たちの間で競争をつくり出せなかったことを残念がっていました。

「チーム事情もありますけど……今、奥村(展征)が万全ではないなかで試合に出ていますが、ケガをした時に話したんです。『いいよ、抹消でも』と。でも彼は『できます』と言ってくれた。結局、プレーできるケガなのか、できないケガなのか。そのことで、ほかの選手にチャンスはいかない。競争ってそうやって生まれるんですよ。何人かの選手は、そういうことを理解してくれたかなと思っています。

 今年に関しては、村上(宗隆)がそうでした。今は結果を出してのレギュラーですけど、当初は競争で勝ち取ったわけじゃなかったですからね。だからこそ、ほかの選手よりも厳しく接しました。『あんなに厳しくされるんだったら、オレは特別扱いされなくてもいいや』とほかの選手が思うぐらい厳しくしました。そうしないとチームの和は保たれないだろうし、そのことで僕が嫌われるのはかまわないんですよ」

── 宮本コーチと村上選手がマンツーマンで話し込む姿を何度も見ました。

「村上はまだ19歳で、わからないことがたくさんあります。僕の言葉に反発もあったでしょうけど……口やかましく言った方が頭に残ってくれるんじゃないかと。いつかその意味が伝わってくれたらいいと、言い続けました」

── 若い選手を見ていると、2年間の練習の成果がようやく出始めてきたと感じていました。

「そうですね。最初、選手たちの打球の弱さにビックリしましたが、今は振る力もついてきました。この間、宮出(隆自/打撃コーチ)とも話をして、太田(賢吾)はまだチームに来て日が浅いので何とも言えないですけど、この2年間だったら山崎がいちばん伸びたというか、一軍でそれなりに必要な選手になってきているんじゃないかと。奥村も守備力が向上しましたよね。山崎にしても奥村にしても、吸収したいという気持ちが強く出ていた選手です」

── 心残りはありますか。

「西浦(直亨)ですね。僕がショートだったこともありますが、彼を一人前にしたかったですよね。昨年は相当怒りました。中村(悠平)にもかなりきつく言いました。そのなかで、僕らに対して『なにくそ』という強い気持ちで向かってきて、地道に力をつけてくれた。昨年秋のキャンプでは、『だいぶ変わった』と言いました。もうひと伸ばしすれば一人前になると思っていましたし、そうなってほしいという願いもありました。

 それが今年の春、『自分はまだ完全なレギュラーではない』と自分にプレッシャーをかけてしまい、よくない方向にいってしまった。そこにケガも重なって……。チームとしても、西浦が抜けて痛かった部分はありました。ショートというのは、どっしり育てたいポジションですので」

── 以前、宮本コーチの練習に対する考えをお聞きして、この2年間やってきたことの意味がわかりました。

「高校(PL学園)の時は、全体練習は3時間ぐらいで、あとは自主練習でした。最初は先輩の練習の手伝いなのですが、どんなことをやっているのかを観察しながら覚えていくんです。憧れだったKKコンビ(桑田真澄と清原和博)が在学中にどれだけ練習をしていたかという話を聞けば、それ以上にやらないとほかの選手との競争に勝てないし、レギュラーにはなれないと思っていました。

 僕は、高校、大学、社会人、そしてヤクルトと、いい環境でやらせてもらいました。練習を考えながらやっている先輩たちの背中を見ることができましたし、逆にやらない選手は落ちていくという姿も見ました。そういう意味で、練習の大事さは伝わったと感じています。ただ、ある程度は(選手の)性格に合わせた指導法というのは必要だったかなと思いました。完全に自分のやり方だけでやっても、今の時代はアプローチを変えないと難しいかなと……」

── チーム早出練習は若い選手たちの土台づくりで、最終的には自主性を身につけてほしいということでしょうか。

「それが理想ですよね。ただ若いうちは、ある程度の強制は必要だと思います。少し前に”個性”という言葉が流行りましたが、何事も基本があっての個性だと思います。チーム早出に強制だから来るのか、自分のなかで『今日はこれを試してみよう』と思ってくるのか……僕はそれだけでも自主性だと思うんですよ。監督やコーチは変わっていきますが、選手たちのやることは変わらないわけです。僕たちがいなくなっても、それは続けてほしい。プロ野球は結果の世界です。よければレギュラーとして続けられるし、一瞬の油断が命取りになる。ダメならすぐにポジションを奪われる世界です。そのことは本当に気づいてほしい」

── 選手たちには野球だけでなく、道徳的なことも厳しく教えていました。

「野球の練習だけをしていればうまくなるかといえば、そうではない。普段の生活のなかでも、気配り、目配りを当たり前のようにしてほしいと思っています。僕は少年野球に携わったことがあって、子どもたちはプロ野球選手のマネをするわけです。帽子のつばを真っすぐにしているチームもありましたし、道具をちゃんと並べられるチームもあれば、できないチームもある。くだらないことかもしれませんが、ユニフォームの着こなしや身なりだって、プレーと同じぐらい大事だと感じています」

── そうした厳しい姿勢に”鬼コーチ”と表現されることもありました。

「今の人たちから見れば、時代遅れなんでしょうね。僕だってもちろん嫌われたくないですけど、若い子に好かれるようにやっていたら、伝えたいことをひとつも伝えられないと思ったんです。ずっと厳しかったかといえば、そうでもなかったと思うんですけどね(笑)。選手たちには、基本は男らしくあってほしいと思っていました。そうなればプレーも力強くなり、責任感も出てくると思うんですよ」

── 今シーズンの最下位という結果に、責任を取る形で退団という選択をされました。やり残したと感じていることはありますか。

「伝えたかったという部分では、心残りはあまりないですね。ただ、先程も話しましたが、西浦を一人前にしたかった。ゴロを捕って投げることや、打席での考えは成長しましたけど、ゲームを動かしていくことについては、まだまだなので……そこはやっぱり心残りです」

 宮本コーチは大きく伸びをして、「心残りというより、心配なことはたくさんあります」と寂しそうに笑った。しばらくの沈黙のあと、言葉を絞り出すように話し出した。

「来年はチームを離れて外から見ることになりますが、大丈夫かなぁと。厳しく指導してきて、僕に不満はたくさんあったでしょうけどついてきてくれた。僕も彼らに情が入りますし、こいつらが中心になってヤクルトが強いチームになってほしいと考えると……うーん、心配で仕方ないですね。そのひと言です」

 9月28日、神宮球場の室内練習場ではシーズン最後の”チーム早出”が行なわれ、宮本コーチと同じくチームを去ることが決まった石井琢朗打撃コーチの姿もあった。このふたりのコーチと若手選手たちとの練習風景は、この2年間変わることがなかった。いつだって選手たちのことを考え、彼らの成長を願い信じていた。その思いは、選手たちにしっかりと届いていたはずだ。