試合前のウォーミングアップ。ゴール裏からの歓声に気づいた彼は顔を向け、拍手で答えた。イエローのシューズの蛍光が眩しい。同じくイエローのビブスは2番だった。 ロッカールームへ戻る前、彼は右サイドに人を置き、ミドルレンジのパスを左右に5本…

 試合前のウォーミングアップ。ゴール裏からの歓声に気づいた彼は顔を向け、拍手で答えた。イエローのシューズの蛍光が眩しい。同じくイエローのビブスは2番だった。

 ロッカールームへ戻る前、彼は右サイドに人を置き、ミドルレンジのパスを左右に5本、正確にひとつひとつ蹴っている。さらに浮き球にし、ボレーでのパスを左右5本ずつ決めた。

「アンドレス・イニエスタ!」

 5本目を蹴り終わると、自分の名前がアナウンスされる。それを合図に、彼は小走りで下がっていった――。



1カ月ぶりに先発に復帰したアンドレス・イニエスタ(ヴィッセル神戸)

 9月28日、等々力陸上競技場。9位のヴィッセル神戸は、Jリーグ三連覇に向けて負けられない川崎フロンターレの本拠地に乗り込んでいた。格上のJリーグ王者を相手に、”世界選抜”のような顔ぶれの神戸がどこまで戦えるのか。そこが焦点だった。

 神戸はイニエスタを中心に、DFにベルギー代表トーマス・フェルマーレン、FWに元スペイン代表ダビド・ビジャというワールドクラスを揃えていた。この日はベンチ外だったが、元ドイツ代表ルーカス・ポドルスキも擁する豪華な陣容。さらに山口蛍、酒井高徳という日本代表のワールドカップメンバーが脇を固める。古橋享梧は日本代表入りが噂される新鋭FWだ。

 しかし前半、川崎はチームの完成度で上回った。とくに田中碧が際立ったプレーを見せた。準備動作で優位に立ち、パスカットを繰り返すだけでなく、迅速なつなぎでプレーを動かす。一度はイニエスタを置き去りにしてボールを運ぶなど、出色の出来だった。

「立ち上がり、選手のプレーは決して悪くはなかった。積極的な攻守ができていた。ただ、失点は時間帯を含めて残念だった」(川崎・鬼木達監督)

 前半44分、中盤でボールを取って取られての攻防を繰り返した後、神戸は川崎の縦パスをDFダンクレーがつつき出す。これをビジャが素早く右サイドの奥に流し、受けた古橋は自慢の快足で運ぶと、左を走るビジャへリターン。南アフリカW杯得点王のビジャは左足でニアへ叩き込んだ。

 ビジャの決定力は抜きん出ていた。左右両足でシュートを決められ、モーションが小さく、タイミングもコースも読ませない。GKはどうしようもないのだ。

 ワールドクラスの違いが出たのは、得点シーンだけではない。たとえばフェルマーレンは、昨シーズンのJリーグMVP家長昭博から簡単にボールを奪い去っていた。フェルマーレンは酒井、イニエスタと連携して左サイドを安定させ、右サイドの攻撃を活性化させていた。点と点で勝利し、線につなげていたのだ。

 そして後半には、イニエスタが”輝く線を引く”。70分、コーナーキックの流れからの再攻撃、左サイドからファーポストのフェルマーレンの頭にぴたりと合わせる。その折り返しに大崎玲央が飛び込み、押し込んだ。

「アンドレス(イニエスタ)が出ると、やはり存在感が違う。いるだけで、周りの選手が安心してプレーできる。たとえ100%の状態でなくても、とても心強い。2点目をセットアップしたのも彼だった」(神戸/トルステン・フィンク監督)

 イニエスタのクロスは、まさに試合前の練習どおりだった。この夜、それが決め手になることを予期していたような前振り。神がかった芸当の理由は、単純な練習の中にあるのか。コンディションは50%程度だが、それでも試合を決めることができる。

 神戸は2-0で余裕ができた。その後、川崎が元ブラジル代表FWレアンドロ・ダミアンを投入したことで混乱し、1点を失ったものの、最後は逃げ切っている。

「2試合、ケガで休むことになって。久しぶりの試合は難しいところもあるが、いいフィーリングでプレーできた。何より、勝利がチームに自信をもたらす」

 試合後の会見で、イニエスタは淡々と言った。勝利を喜んでいたが、緩みは見えない。「残留争いに向けて(貴重な)勝ち点3だったのでは?」という質問には表情を動かさなかった。その視線は上にしか向いていないのだ。

「まずは3連勝しよう!」

 イニエスタは、チームメイトにそう声をかけていた。

「自分はこのチームに来て連勝はした。でも、3連勝はない。勝ち続けることで上位を目指し、ACL(アジアチャンピオンズリーグ)の出場権を狙おう」

 イニエスタは、監督が入れ替わって、どん底のような不調を経験しても、勝利をあきらめていなかった。負けることに慣れていない。常勝精神だ。

 ビジャ、フェルマーレン、ポドルスキも同じスピリットを持っている。また、日本代表として勝利を求められた酒井、山口にもそれに近いものがある。その勝利者たちの「点」が、「線」に結びつきつつある。

「(今年の夏にドイツのクラブから神戸に)入った時は、静かだなという印象だった。(指示を)喋れば済むことを、代わりに(自分のほうから)10メートルダッシュしていた。(今は)声をかけることで、お互い関わり続け、集中力も保てている」(神戸・酒井)

 川崎に勝利し、イニエスタにとっては日本に来て初の3連勝。個人戦術が軸になっているが、勝利の形は身についてきた。次節サンフレッチェ広島戦は当然、4連勝を狙う。