9/22(日) 第95回早慶対抗陸上競技会@日吉陸上競技場

9月22日、慶大日吉キャンパス・日吉陸上競技場にて第95回早慶対抗陸上競技会が行われた。幸いにも事前の雨予報は外れたが、逆に残暑厳しく強い日差し照り付ける中での開催となった。1点差で敗れた昨年のリベンジを目指した慶大だったがトラックでの失点が大きく響き、15点差で敗れる悔しい結果となった。

種目順位選手名記録PB
対抗100m4着山本明良(法3・希望ヶ丘)10″716(+0.5) 
 5着大川弘太郎(政4・慶應)10″77(+0.5) 
 6着山口大輝(政3・慶應)10″84(+0.5) 
対抗400m3着大谷尚文(理4・桑名)47″11 
 4着小澤亮太(経2・慶應志木)47″88PB
 5着小林児太朗(理院1・県立熊谷)47″91 
対抗1500m3着三浦天道(総3・秋田)3’57″49PB
 5着川村知樹(政4・希望ヶ丘)4’00″76 
 6着近藤壮真(理2・県立韮山)4’01″55 
対抗110mH3着富山弘貴(環3・神辺旭)14″65(-0.3) 
 4着阿川公希(商2・出雲)14″90(-0.3) 
 6着斉藤康太(経4・慶應湘南藤沢)15″37(-0.3) 
対抗4×200mR2着大川ー藤村大生(経3・市川)ー大谷ー山本1’24″09 
対抗走幅跳3位友金ジェイムス(環3・慶應湘南藤沢)6m97(風不明) 
 4位風間(理1・県立小田原)6m81(+0.5) 
 6位堀井亮太(理院1・町田)6m50(+1.1) 
対抗棒高跳2位奥平拓海(環4・桐朋)4m70 
 4位川端一輝(経4・共愛学園)4m00 
 5位池阪泰河(法4・慶應)3m80 
対抗走高跳1位義永優樹(政3・慶應)2m05 
 2位山室光平(政4・慶應湘南藤沢)2m00 
 4位中野雄二(経4・慶應湘南藤沢)1m95 
対抗円盤投1位堀内隆二(博1・東京学芸大附属)37m75 
 3位石川淳(経2・県立戸山)35m94PB
 4位松島達樹(政4・慶應)30m38 
対抗やり投1位鐘ヶ江周(環2・青雲)69m26PB
 2位安部広太郎(商4・芝)56m65 
 3位畦地将史(法2・県立東葛飾)51m13 

得点

トラック→慶大:3点 早大:24点

フィールド→慶大:18点 早大:12点

・トラック競技

トラック競技では慶大は終始劣勢に立たされた。400mでは全日本インカレ覇者の早大・伊東、同3位の小久保に挑み、慶大からは同6位の大谷尚文(理4・桑名)、小澤亮太(経2・慶應志木)、小林児太朗(理院1・県立熊谷)が出場。早大勢の序盤からの圧倒的なリードに臆することなく粘りの走りを見せた。結果は大谷が3位、小澤が4位、小林が5位と、早大勢のワンツースリーフィニッシュを阻止し1点を獲得した。


最後の直線で力走する慶大の選手たち

100mには大川弘太郎(政4・慶應)、山本明良(法3・希望ヶ丘)、山口大輝(政3・慶應)の三人が出場。選手個人の記録で早大勢に劣る中、山本が3位と同タイム(着順で4位)の10秒72、大川が10秒77の記録を出すも、早大の南山、三浦、佐野に表彰台独占を許す悔しいレースとなった。


100mは接戦となった

110mHは参考記録で13秒台の好記録を持つ早大勢に対し、慶大から富山弘貴(環3・神辺旭)、阿川公希(商2・出雲)、斉藤康太(経4・慶應湘南藤沢)が出場。向かい風の中、富山が3位に食い込み、続く4位に阿川がつけるなど、1点を獲得した。


富山(左)が3位に入り1点を獲得

1500mでは序盤から慶大の三浦天道(総3・秋田)、川村知樹(政4・希望ヶ丘)、近藤壮真(理2・県立韮山)がレースをリードするも、中盤から競争が激化。残り200m付近で逆転を許してしまう。結果として早大勢のラストスパートが上回ったものの、三浦が3位に入った。


三浦は終始レースを引っ張った

早慶戦独特の競技である4×200mリレーでは、内側レーンの慶大が外側レーンの早大を追走する形となった。早大に対して序盤から大きくリードを許し、3走の大谷で大きく差を縮めるも及ばず。大会新記録、日本新記録かつアジア新記録を叩き出した早大に敗れた。


2走藤村から3走大谷へ バトンパス

 

・フィールド競技

フィールド競技では慶大勢が早大勢を圧倒。円盤投では向かい風吹くなか堀内隆二(博1・東京学芸大附属)が37m75を投げ優勝すると、石川淳(経2・県立戸山)が35m94で3位、松島達樹(政4)も30m38で4位と続いた。


堀内が優勝し3点を獲得した

走高跳には慶大から義永優樹(政3・慶應)、山室光平(政4・慶應湘南藤沢)、中野雄二(経4・慶應湘南藤沢)の3人が出場。昨年の早慶戦を大会記録&自己ベストとなる2m10で制しMVPにも輝いた義永が2m05で圧巻の優勝。その後、成功すれば自己ベスト更新となる2m12に挑んだが惜しくも失敗に終わった。また山室も2m00で2位入賞を果たし、中野が1m95で4位に入った。


復活を印象付けた義永

棒高跳では奥平拓海(環4・桐朋)が2位入賞。走幅跳では友金ジェイムス(環3・慶應湘南藤沢)が6m97を跳び3位に入った。やり投では鐘ヶ江周(環2・青雲)が自己ベストとなる69m26で優勝し、安部広太郎(商4・芝)が56m65で2位、3位に畦地将史(法2・県立東葛飾)が51m13で続き、慶大勢のワンツースリー独占となった。

第102代主将を務めた大川。部に確かな足跡を残した

結果的には大差で敗れる形となった慶大。大川主将や大谷が「取りこぼしが多かった」と振り返ったように、早大勢が持ちタイムで圧倒する中ではあったが去年のような接戦に持ち込むことができなかったのは反省材料となるだろう。それでも2・3年生がベストが連発するなど来年に向けた明るい材料が見つかったのもまた事実。今日の早慶戦で第102代が終わり来年は第103代が部を引っ張ることになる。冬を超え、彼らの成長した姿を見られるのが楽しみだ。

(戦評:片野俊太郎、染谷優真・写真:染谷優真)

 

以下、選手コメント

大川弘太郎主将(政4・慶應)

――チームとして今回の早慶戦を振り返って

トラックアンドフィールドとしてこの102代目最後の公式戦というところで目標としては”勝利”だったんですけど、早稲田がかなり強く事前の戦力分析から慶應はかなり劣勢で、それを覆すことができないままの展開で負けてしまったということで。結果が全てだと思うので、自分たちの代はこれで終わるんですけど、来年も早稲田の主力はこのまま残ると思うので、そこをどう埋めていくか、しっかり冬を超えて成長してもらって来年こそは勝ってほしいなと思います。

 

――その中でもフィールド種目は早稲田に上回る戦績でしたが

毎年早稲田はトラックが強く、フィールドではあまり競技者がいないので、フィールドで慶應が勝っていってどちらがよりポイントを多く取れるかで拮抗していたんですけど、今年はフィールドで早稲田を上回ってはいたんですけど予想より低くて、本来なら早稲田を一桁(実際は12点)くらいに抑えないといけないところ、棒高跳・走幅跳・走高跳でワンツースリー慶應で6-0(1位3点・2位2点・3位1点で計6点)のはずなんですけど早稲田に1点取られていたり。そういった取りこぼしもあって、フィールドの方で全然満足いくような結果にならなくて。トラックの方ではもっと頑張らないといけないですけど、フィールドの方で早稲田を離さなきゃいけないところで取られてしまったというのは、この15点差という大敗につながったのかなと思います。

 

――ご自身のレースを振り返って

100mに関して言えば早稲田が二人速く3位狙いで接戦という予想で、100分の5秒で勝てず、去年の早慶戦では勝っていた選手に負けてしまってすごく残念というか、(取れなかった)この1点で早慶戦の勝敗につながらなかったとしても、ここで1点取ってるか取ってないかでチームの流れも変わってくると思ったので、そこは悔しいです。4×200mは早稲田の方が異常に速かった(アジア新)というのはあるんですけど、ただ僕たちがベストなレースをできたかというと、バトンミスも若干あって、タイムとしては1分24秒09で。塾記録の1分23秒31に近いタイムも、しっかりバトンがつながっていれば、“たられば“なんですけどそういうのもあって全然満足いくレースはできなかったので、バトン含めて来年のチームはしっかり練習してほしいなと思います。

 

――主将としての1年間は

一年前に代替わりを受けて、公式戦が「六大学」「関東インカレ」「同志社戦」「全日本インカレ」「早慶戦」「箱根駅伝予選会」があるんですけどトラックアンドフィールドとしてはこの早慶戦までの五つで、僕たち最大の目標としては去年関東インカレで二部に落ちて今年は一部に上がるというところで”総力戦”のコンセプトを掲げて、”個の力”はもちろん”チーム力”を高めてチームみんなで戦っていくというのをやってきて、「関東インカレ」でなんとか一部に昇格することができました。「同志社戦」もアウェーの中しっかり勝利して、全日本インカレでもそれなりの数の入賞者も出して、最後早慶戦で勝って終われたらいいよねと話しながらやっていた中で勝ちきれなかったというのはすごく残念ですし、一年を通してチームとして勝ち続ける難しさというか。個人としても、強い選手と言うのは常に外してこないので、常に勝ち続ける難しさを実感しました。ただチームのみんなで団結して関東インカレ上がれましたし、4×200mの、慶應のユニフォームを着て走る最後のレースでみんなに応援してもらって、声援も聞こえて、一年間やってきてよかったと思えた試合でした。負けというのは悔しいんですけど、やりきれたというか、達成できたかなというのは感じました。

 

――大学から陸上を始めて4年間どうだったか

競走部の同期の中でも高校から陸上やっていて100mで10秒8持ってますとか、”速い”部類のもいて、自分は初心者ということもあっていろいろなものを吸収して、ポンポンポンとタイムが伸びていったタイプなので、最後の一年間はちょっと苦しんではしまったんですけど、苦しい時期はあまりなかったというか、試合に出るたびに自己ベストを更新し続けたこともありましたし、元々走るには好きなんですけど、楽しんでこのトラックアンドフィールドをやってこれたなと思います。ただ最後の一年間は主将という役割もあって、10秒60が100mの大学3年の自己ベストなんですけど、実は10秒6台の選手というのは結構たくさんいて、10秒6台より先の10秒5~4台まで行くまでが一つの壁というか、そこを超えるだけで全日本インカレにも出られますしランキングとしてもかなり上がってくるので、そこにチャレンジした一年間だったんですけど、その”一歩先”に行けないというか、入部した時の目標である“10秒5切り“に近づいたは近づいたがそこは悔いが残るというか”あと一歩をどう超えるか”、そこはみんな苦しむ100mの難しいところではあるんですけど。苦しんで、あと一歩先に行けなかったと思うので、四年間を振り返ってというかもし去年に戻るとするならそこをどう超えるのか、やはり練習しないといけないですし10秒5というのはまたこれまでとは違う感覚になってくると思います。その領域に入れなかったというのは残念だなとは思うんですけど、四年間楽しんでやってこれたかなと思います。

 

――競走部での4年間はいかがでしたか

初心者で入部して最初は100m11秒44だったんですけど、自分に必死と言うか、なんとか食らいついていこうと一年を過ごしてきて、二年目で初めて10秒台出してそこからポンポンポンっと記録が出てリレーメンバーにもギリギリ入れるようになって。それでもなかなかチームのリレーの結果も出ず、自分自身100mもまだまだ満足いく結果には届かなかった二年目があって。三年生の時に「僕が主将になるかも」みたいな話になってそこで初めて競走部員としての役割を感じ始めて。自分は昨年の二部に落ちてしまった関東インカレのリレーで走っていて、そこで得点ができなかったのは悔いが残るなか、来年は絶対同じ思いをしたくないと思っていたところで自分が一年間主将をやってきたので。競走部としての四年間と言うのは最後の一年間に結構集約されてしまうんですけど、ただ陸上は個人スポーツでありながら”チーム力”も大事で、個人の力は若干低くてもチームとしての結果はなんとか残せるというのはチームでもずっと言ってきて、実際関東インカレでもチームとして結果を残せたので、そこは「陸上は個人スポーツ」といえどチームとして戦う以上は”チーム力”は確実に必要だなと感じたので来年の代もそれを引き継いで、いいチームを作ってほしいなと思います。”切磋琢磨”という言葉もありますけど、せっかくチームでやっているので一緒に練習して盗めるところは盗みあってアドバイスしあって、チームとして応援してチームとして速くなっていく、そんなチームがいいと思います。

 

――今後は

陸上はもう引退なので競技者としての目標はもうないのですが、来年から社会人なのでそれまでに学生生活を楽しみたいと思いますし、社会人になってからもこの競走部で四年間させてもらってきた経験を活かしていけたらいいと思います。

陸上競技というのは結果にシビアというかタイムにそのまま出るので、一年間いいタイムがあまり出ないで苦しんだ部分もあったのですが、結果が数字として表れるのは例えばビジネスの世界でも売り上げや営業の獲得数といった数字で出てしまうというのはかなり似ていると思うので、せっかくこれまで結果にこだわってきたという部分で、まず”個”の自分自身の結果の面でビジネスマンとしてもしっかりやっていきたいと思いますし、”チーム”としても自分の適性、立ち位置を活かしてチームとしての成果につなげられるような人間になれたらいいなと思います。

 

――これからの競走部に向けて

チームの成果というのは”チーム力×個の力”で達成できる、個の力がちょっと低くてもチーム力が高ければ達成できるとこれまで言ってきたんですけど、この早慶戦を経て早稲田に比べて個の力が段違いなんだなというのは点差を見ても明らかです。この一年間いいチーム作りをできたと思うので、”チーム力”というのはしっかり引き継いでもらって、関東インカレ一部という厳しい戦いのなかでもしっかりやってもらって、あとは個の力を伸ばしていかなくてはいけないと思うので、みんな陸上を始めるきっかけって「速くなりたい」とか「誰かに勝ちたい」とかそういうのが原点にあると思うので、その”個”の部分、自分自身がなぜ陸上をやっているのか、もっとどん欲になって厳しい練習もしっかり積んで、”個の力”も上がって”チーム力”もあがった競走部というのを来年見たいなって思います。”個の力”はまだまだ足りないって今日よくわかりましたし、”チーム力”もまだまだ完成形にないと思うので、もっともっとよりよいチームを作ってほしいなって思います。

 

 

大谷尚文(理4・桑名)

――早慶戦を振り返って

全体としては結構取りこぼしが多かったっていうイメージで、まあ自力の差って言ってしまえばそれまでなんですけどもうひと踏ん張りできれば、それこそ僕の400mもそうですし、あと1点でも多く稼げていれば流れが違っていたんじゃないかなっていう種目があったなっていう印象でした。

 

――それはトラック・フィールド双方でということでしょうか

そうですね、トラックで向こうに大量得点されてしまうっていうのはいつものことなんですけど、今年はフィールドでちょっと取りこぼしがあったのと、トラックももっと取れたなっていうのがありましたね。

 

――400mを振り返って

先週に全日本インカレで走っていて、正直そこに合わせすぎていて今日は何というか使い果たした後のような走りになってしまったので、最初のトラック種目だってっていうのもあるのでもっと僕が上手く調整出来ていれば、それこそ優勝して3点取れていれば流れも違っていたと思います。走り自体はそんなに良いとは言えなかったですね。

 

――全日本インカレの決勝でも争った早大の伊東選手と小久保選手と再び対決しました

特に全カレで負けたっていうのは特に考えていなくて今日倒すぞって感じで行ったんですけど、やっぱり強かったっていうのがあって、向こうも先週僕よりも速いタイムで走っているのに今日もしっかり走れているっていうのは地力の差っていうのを見せつけられたなっていう感じでした。

 

――リレーはどのようなレースプランで臨まれましたか

チームの作戦としては、最後アンカーに渡った時に前にいたほうがカーブで抜けなくて強いので、僕が3走でレーンが分かれていたのが集まるところで、なんとか前行って渡すっていう作戦だったんですけど、ちょっとバトンミスがあってそれが叶わなかったっていう感じです。ただ早大のチームのタイムが異常に速かったので、バトンミスが無かったとしてもかなり厳しい戦いだったのかなと思います。

 

――今後に向けて

まずは来シーズンのシーズンインで45秒台を出して、日本選手権の標準まであと100分の5秒なんですけど、それを楽々突破して、まず来年の日本選手権に出場すること。できればそこで決勝に残る。またその次の年には表彰台、3年目には日本一っていうのを目指してやっていきたいなと思っていました。

 

 

義永優樹(政3・慶應)

――早慶戦を振り返って

色々な感情があって、去年の自分に勝てなかった悔しさと、やはり六大学で骨折と靱帯断裂をした結果、この半年ほとんどのシーズンを無駄にしてきた中で、元通りかそれ以上の状態に戻れたのは良かったなというのが純粋な感情です。

 

――ご自身の競技の結果はどう受け止めていますか

そうですね、選手として終わったかなって思っていたくらいなんですけど、まだまだいけるんだなっていうのが、2m跳んで2m5㎝跳んだ時にその時点で僕は本当にベストな状態なんだなって確信したので、全然2m12㎝も跳べるなと思いました。技術的な面で言うと、踏み切りの瞬間に素早く切り替えることで踏み切りがとても鋭くなるんですけど、あとは踏み切りの前の腕を高く上げることで空中でより動かしやすくなるっていう二つの点に重点を置いて練習していました。それを2mと2m5㎝では意識できていたんですけど、2m12㎝の1回目と2回目はそれどころではなくて、少し夢中になってしまったので、3本目でやっと思い出してすごく惜しい跳躍でもう跳べたかなって思う跳躍ができたので、もっと早くにそれを気付くことができたらなって感じでしたね。でも自分の持ち味の踏み切りもできましたし、あとはやはりブランク明けなのでキレがもっと欲しかったなって思います。

 

――昨年の早慶戦では優勝&自己ベスト&MVPということで早慶戦に対しては良いイメージで臨まれていたのでしょうか

良いイメージもありますし、あとは2m跳ぶときはやはり恐怖心みたいなのはありましたね。これで終わっちゃったらどんな雰囲気になるんだろうとか、あとやはりもっと去年は会場沸かせられたよなって思いましたね。でも自分は今回の早慶戦で、早慶戦めちゃくちゃ強いんだなって思ったので良いイメージですね。

 

――ケガされてから何を意識して練習されてきましたか

やはり踏み切りですかね。走高跳って結局、どんな助走していても最後スピードがあって踏み切りが良ければ絶対跳べる種目なので、でも僕が壊したのは足首という致命的な場所だったのでそれは大変でしたね。僕の踏み切りのイメージって1回つぶれてからバネが弾けてグンと戻るような感じなんですけど、それが戻るようにやはり治療と踏み切りの反復練習っていうのが一番大事でしたね。走力とかは落ちても結局戻りますけど、これがもしかしたら戻らないんじゃないかっていう中でそこの場所を鍛えるのは結構しんどかったですね。そういう意味でも復活っていうのを色んな人に知ってもらうにはここだなっていう早慶戦でした。

 

――今大会で引退となる4年生への思いは

やはり思いが強いのは(主務の)田中翼(文4・慶應)さん、僕のモデルだった石川遼(環4・桐朋)さん、中野雄二(経4・慶應湘南藤沢)さん、山室光平(政4・慶應湘南藤沢)さんというそれぞれのポイントで僕の目標となっていた人たちです。近くに目標がいるということが目指すうえでとても有難くて、その中でも遼さんは1年生から4年生までPBが伸びなくて相当苦しい中、僕もそういう時期が半年ありましたし、辛い経験をしていた人が僕の支えになってくれたことが助かりましたし、(辛い時期の)関カレでも走高跳の人たちが助けてくれたので、感謝の気持ちを伝えたいです。跳躍と、特に翼さんと池阪泰河(法4・慶應)さん、走高跳の3人は僕のかけがえのないロールモデルだったなと思います。これからは記録で恩返ししたいなと思います。

 

――今後に向けて

僕が残りの今シーズン出る試合は横浜市選手権と北九州カーニバルっていうグランプリシリーズの試合があって去年からずっと出たかった試合なので、それに出られるのはすごく光栄で、あとはやっぱりレベルの高い選手たちと戦えるっていうことで刺激をもらえたらいいと思いますし、あわよくば食っていきたいなって思います。数値化すれば横浜市で今回跳べなかった2m12㎝、あわよくば13、15㎝をクリアして、最終的には北九州カーニバルまでには日本選手権のA標準の18㎝にあげられるようになりたいなと思います。そこに行きたいなと思いますし、間違いなく行ける身体にはなっていると思います。