もう感無量である。ラグビーのワールドカップ(W杯)が始まって32年、ついにその世界大会が日本にやってきた。歴史に刻まれることになる開幕戦。多国籍のメンバーで編成された日本代表が「ONE TEAM(ワンチーム)」となり、ロシアを30−1…

 もう感無量である。ラグビーのワールドカップ(W杯)が始まって32年、ついにその世界大会が日本にやってきた。歴史に刻まれることになる開幕戦。多国籍のメンバーで編成された日本代表が「ONE TEAM(ワンチーム)」となり、ロシアを30−10で倒して、幸先のよいスタートを切った。



3トライを挙げて、日本の勝利に貢献した松島幸太朗

 満員4万6千で埋まった東京スタジアムが興奮のるつぼと化した。試合前の国歌斉唱。「君が代」を歌いながら、ナンバー8の姫野和樹やPR(プロップ)具智元は泣いていた。気負いからか、開始直後、日本はキック処理をミスし、ロシアに先制トライを許した。

 その流れを変えたのは、WTB(ウイング)松島幸太朗の快足だった。ジェイミー・ジョセフHC(ヘッドコーチ)は試合後、笑顔で振り返った。

「松島はいいパフォーマンスを見せてくれた。外からフェラーリが突進していくようだった」

 前半11分。ラインアウトからフォワードがタテを突き、右、左に展開、SO(スタンドオフ)の田村優がボールを右に回す。タックルを受けたCTB(センター)ラファエレ ティモシーの絶妙なノールックパスからFB(フルバック)ウィリアム・トゥポウにつなぎ、右端でもらった松島がインゴールに飛び込んだ。

 その後も自らの足で2トライを重ね、この日、ハットトリック(3トライ)を挙げてみせた。切れ味の鋭いラン、トライをとる嗅覚はもちろんだが、ボールをもらうタイミング、スペースをつくる動きが光っていた。

 じつは、松島は2日前、CTBの中村亮土にハットトリックを宣言していた。いや、約束させられていた。代表初の1試合3トライに「すごくうれしかった」と顔をくしゃくしゃにした。有言実行を照れながら説明する。

「中村亮土さんに言わなかったら、もしかして、(3トライは)できなかったかもしれません。試合中、ハットトリックを意識しながらプレーできました。その言葉が助けになったのかもしれません」

 その意識とは。

「しっかり外のスペースを見て、どこにスペースが空いているのか、内側(の選手)に伝えることができました。途中、ノックオンだったり、ミスだったりがあったので、なければ、チームとして、もう少しトライがとれたのかなと思います」

 松島が、前回のラグビーW杯イングランド大会で番狂わせを演じた南アフリカ戦に先発出場してから4年。すっかりたくましくなった。経験値が上がり、「周りを見ることがしっかりできるようになった」という。コミュニケーションがとれるようにもなった。リーダーグループの一人として、責任感が増した。

 自国開催のW杯。確かに多くの選手は、家族や知人が応援に駆けつけ、重圧もあっただろう。でも、松島はちがった。

「前回大会の経験でしょうか、変な緊張もしないで、周りがちゃんと見えていました。僕は最初から、試合を楽しめていました」

 ただ、ラグビーにヒーローはいない。15人全員がヒーローと言ってもいい。松島はチームメイトに感謝した。

「トライはみんなでつないだものなので、ワンチームになることができたのかなと思います。目に見えない活躍をしている選手はいっぱいいますし、タックルでがんばった選手もいます。そういう選手がいるので、外にいる人間が生きるのです」

 ジョセフHCが率いる日本代表のスローガンは、『ワンチーム』である。海外遠征を繰り返し、何カ月も一緒に強化合宿でハードワーク(猛練習)に励んできた。チームは一緒に国歌斉唱の練習をするなど、グラウンド外での団体行動、コミュニケーション、意思統一も図ってきた。

 そういえば、秋のお彼岸入りのこの日、チーム宿舎を出る前の「マッチミール」では、みんなであんこのおはぎも食べたそうだ。

「松島さんはいくつ食べたの?」と聞けば、26歳ははにかんだ。

「ふたつ。パワーになりました」

 松島はジンバブエ出身の父と日本人の母の1人息子として、1993年に南アフリカで生まれた。桐蔭学園高校を卒業後、高いレベルを求めて南アに渡り、スーパーラグビーのシャークスの育成クラブで「武者修行」した。チャレンジングな人生を歩んでいる。

 ダイバシティ―(多様性)の時代なのだろう。この夜の日本は先発メンバー15人のうち、過半数の8人が外国出身選手だった。ラグビーに国籍条項はなく、「3年以上継続して居住」などの条件を満たせば、代表選手になれるのだった。日本国籍を取得しているニュージーランド出身のリーチ マイケル主将は、「外国出身選手は絶対、必要」と強調し、こう続けた。

「ダイバシティ―、グローバル化が進む日本の社会の象徴になりたい」

 この日、相手のボールを強引に奪い、約60mを走り切ってトライした愛称「ラピース」こと、FL(フランカー)のピーター・ラブスカフニは南ア出身である。敬虔なクリスチャン。好きな日本語が「ダイジョウブ」。プレーも性格も真面目な30歳は声を弾ませた。

「チャンスだった。ボールを奪ったら、遠くにゴールラインが見えた。走った。ラインを越えた時、とてもハッピーだった」

 ラピースはむしろ、ディフェンスで奮闘してくれた。ゲームの主導権を握り続けたのは、結束したタックルがあったからだろう。再三のゴール前ピンチのディフェンスは、チームの成長を印象づけた。一番の勝因はここか。日本は151本中、132本のタックルを決めた。相手の72%に対し、日本は87%のタックル成功率を残した。

 リーチもブレイクダウン(タックル後のボール争奪戦)で獅子奮迅の活躍をみせた。25歳の姫野も効果的な突進を繰り返し、両チーム1位のボールキャリー(113m)の数字を残した。地味ながらも、ドレッドヘアを振り回してボールをつなぎまくったHO(フッカー)堀江翔太、スクラムとタックルに徹したPR稲垣啓太のプレーには胸が熱くなった。

 ラピースもまた、「ワンチーム」とうれしそうに漏らした。

「僕らは日本を代表して、ひとつになって同じゴールに向かっていく。たくさんの時間を一緒に過ごし、たくさん練習してきた。ぼくらは”グローカル”なんだ」

 グローカルもまた、チームの合言葉のひとつである。国際的という意味の「グローバル」と地方や地元を表す「ローカル」を合わせた造語なのだった。

 日本は勝利による勝ち点4に加え、4トライ以上を挙げて得られるボーナスポイント1も獲得。勝ち点5を手にした。これは大きい。

 ただ、日本は地元開催の重圧もあってか、前半を中心にミスが続発した。キックオフ、パントキックの処理、重量ある相手が落とし気味に押してきた時のスクラムの対応、ブレイクダウンのサポート、球出しなどで課題がみえた。これでは、次の世界ランキング1位のアイルランドには歯が立たない。

 生きたボールがフォワードから出なければ、松島もトライを奪えない。

 次のアイルランド戦は、28日(静岡・エコパスタジアム)。自国開催のアドバンテージか、相手チームより中日が2日長い。

 リーチ主将は言った。

「今日は緊張でミスがあった。ただ、僕らはいつも、ワンチームで前向きにいく。1週間、しっかり準備して、やるしかないです」

 最後にもう一度、松島。次は何トライとってくれますか? と聞かれると、フッと顔を和らげた。目は笑っていない。

「できる限り、トライを獲れればいいと思います。外側にチャンスはたくさんできると思うので、そこで仕留めきれたらいいなと思います」

 日本代表のフェラーリがさらに加速する。大会初のベスト8以上へ。歴史の扉を押し開く、「ワンチーム」の闘いが始まった。