西武×ヤクルト “伝説”となった日本シリーズの記憶(37)【リードオフマン】西武・辻発彦 前…
西武×ヤクルト “伝説”となった日本シリーズの記憶(37)
【リードオフマン】西武・辻発彦 前編
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四半世紀の時を経ても、今もなお語り継がれる熱戦、激闘がある。
1992年、そして1993年の日本シリーズ――。当時、”黄金時代”を迎えていた西武ライオンズと、ほぼ1980年代のすべてをBクラスで過ごしたヤクルトスワローズの一騎打ち。森祇晶率いる西武と、野村克也率いるヤクルトの「知将対決」はファンを魅了した。
1992年は西武、翌1993年はヤクルトが、それぞれ4勝3敗で日本一に輝いた。両雄の対決は2年間で全14試合を行ない、7勝7敗のイーブン。両チームの当事者たちに話を聞く連載19人目。
第10回のテーマは「リードオフマン」。現在は埼玉西武ライオンズの監督を務める、辻発彦(辻は本来1点しんにょう)のインタビューをお届けしよう。
現役時代、セカンドでゴールデングラブ賞を8回受賞した辻
photo by Sankei Visual
【「野村野球」は、確率、統計の野球】
――1992(平成4)年、翌1993年にわたって繰り広げられたライオンズとスワローズの日本シリーズについて、当事者の方々にお話を伺っています。辻さんはこの2年間について、どのような思い出がありますか?
辻 まぁ、すごいシリーズでしたよね。ともに7戦目まで進んで、どっちに転んでもおかしくないシリーズでしたから。注目されたのは森(祇晶)監督と、野村(克也)監督による、「キャッチャー出身監督対決」だったんじゃないかな。よく、「キツネとタヌキの化かし合い」って言われていましたよね。どっちがキツネなのかはわからないけど(笑)。
――後に辻さんはヤクルトに移籍し、「森野球」と「野村野球」をともに経験されていますが、両監督の違い、あるいは類似点はどんなところにありますか?
辻 野村さんはバッターとしても一流の成績を残していますから、「打つこと」にも意識を持った監督だったと思います。一方の森さんは、完全にディフェンス重視。ピッチャーを中心に「守り勝つ」ことを意識されていた監督だと思いますね。
――1992年当時、盛んに喧伝されていた野村監督による「ID野球」については、どのような意識を持っていましたか?
辻 後にヤクルトに移籍して、あらためて確信しましたけど、ID野球というのは、結局は確率の問題だと思いますね。そこに、バッター心理、ピッチャー心理、キャッチャー心理を加味したもの。確率であり、統計の野球だと思いますね。
――シリーズ前には「ID野球」対策などしたのですか?
辻 僕自身は「IDがどうのこうの」と考えたことはなかったですね。もちろん、状況に応じた打撃を意識しますけど、基本は「真っ直ぐ待ちの変化球対応」というのは崩しませんでした。自分のスタイルを崩すことはよくないと思っていたので。
【西武黄金時代のエースは渡辺久信】
――14年ぶりにリーグ制覇を果たしたスワローズについて、シリーズ前にはどのように見ていましたか?
辻 相手チームの顔ぶれを見た時に、キャッチャーの古田(敦也)をはじめとして、池山(隆寛)、広沢(克己/現・広澤克実)、飯田(哲也)など、いい選手が揃っている印象でした。シリーズに進出するだけの実力があるチームだと思っていたので、「楽勝だ」なんて思いはまったくなかったですよ。ただ、投手力でいえば「うちのほうが勝っているな」と思っていたかな。
当時を振り返る、現・西武監督の辻氏
photo by Hasegawa Shoichi
――当時のライオンズには、工藤公康、渡辺久信、郭泰源投手もいたし、1992年は石井丈裕投手も大活躍でした。当時のライオンズのエースは誰だったとお考えですか?
辻 1992年に関しては石井丈だったと思いますよ。あのシーズンは本当にすばらしかったですから。でも、長い目で考えれば渡辺久信がエースだったのかもしれないですね。体が丈夫だったし、何年も年間を通じてローテーションを守っていましたからね。とはいえ、みんながエース級だったのは間違いないですけど。
――さて、具体的な場面について伺います。1992年第7戦、1-1で迎えた7回裏、スワローズの攻撃の場面です。ワンアウト満塁で打席に入ったのは、初戦で代打満塁サヨナラホームランを放っていた杉浦享選手でした。
辻 ワンアウト満塁で、僕が処理したセカンドゴロの場面ですね。
――はい、そうです。ご自身の著書、『プロ野球 勝つための頭脳プレー』(青春出版社)によると、後に野村監督から、「お前のプレーで負けた」と面と向かって言われたそうですね。
辻 はい、言われましたね(笑)。あのときは「ここで1点、取られたら負ける」という思いで守っていました。だから、「どこに飛んでこようが、たとえセーフのタイミングであろうが、とにかくホームに投げよう」という意識で守っていました。
――代打・杉浦選手が打席に入ったときには、どんなことを考え、どのような準備をしていたのですか?
辻 マウンドにいたのは石井丈でしたよね。彼はスライダーが武器で、カット気味のスライダーを投げていました。バッターは左の杉浦さんだったので、「石井丈のスライダーならば、一、二塁間に飛んでくる可能性が高い」と思っていましたね。いや、「ここに飛んでくる」という思いしかなかった気がします。と同時に、「オレのところに飛んできたら、どんな打球であっても、絶対にホームに投げる」と決めていました。
【あえて正面で捕らずに、半身で捕球した】
――その場面で杉浦さんが放った打球は、まさに一、二塁間に飛んでいきました。辻さんは半身の体勢で回転しながら捕球。すぐにホームに送球したものの、ボールは高めに浮いてしまいました。
辻 もしも、あの打球が強い当たりだったら、僕は正面で捕球してバックホームしていたと思います。でも、打球はちょっと詰まっていた。だから、あえて正面で捕球することはせずに、回転しながら捕球と送球を一緒にしようと考えたんです。正面で捕ろうとしたら時間がかかるし、ひょっとしたら弾くかもしれない。だから、送球に勢いをつける意味でも、回転しながら捕球することを選びました。
――ボールがバットに当たって、自分のところに飛んでくるわずかの瞬間に、それだけの判断をして、あえて正面で捕ることを選択しなかったのですね。
辻 そうですね。送球が高めに行ってしまったのは想定外だったけど、捕球から送球にかけては一瞬の判断でした。もちろん、サードランナーが広沢だということも頭に入っていました。広沢の足ならば「アウトになるだろう」と思っていたし、それに満塁の場面だから、タッチプレーではなく、フォースプレーだということも頭に入っていました。送球は高めに浮いてしまったけれど、ラインは逸れていなかったし、ベースの上に投げていたので、「大丈夫だろう」と思っていました。
――仮に三塁走者が広沢選手ではなく、足の速い飯田選手であっても、あの打球でホームに投げていましたか?
辻 投げていたでしょうね。何しろ「1点もやれない場面だ」と考えていましたから。結果的に広沢がアウトになって、この回は無得点で切り抜けることができた。今だったら、完全にリクエストでビデオ検証される場面でしたね(笑)。
――このピンチを切り抜けた結果、ライオンズは延長10回表に待望の追加点を挙げ、これが決勝点となって日本一に輝きました。この年は、どんなシリーズでしたか?
辻 3勝3敗で第7戦までいったし、最終戦も延長戦になってギリギリで勝利したので、やっぱりヤクルトの粘り強さを感じたシリーズでした。本当にちょっとしたところで、うちが負けていたかも知れなかったわけですから。本当にヤクルトは粘り強かった。そんな印象が残っています。
(後編につづく)