履正社(大阪)の初優勝で幕を閉じた令和最初の甲子園だが、平成の高校野球を代表する監督のひとり、馬淵史郎(明徳義塾/高知 )が歴代4位の通算51勝を挙げたことも話題になった。

 この夏、そんな偉大な名将に挑み、老獪さを嫌というほど味わったのが、甲子園初采配となった藤蔭(大分)の監督である竹下大雅だ。大会最年長監督となる63歳の馬淵に対して、竹下は大会最年少の26歳。両者は「37歳差対決」として注目を集めた。



監督歴わずか4カ月でチームを甲子園へ導いた藤蔭の竹下大雅監督

 開幕前の監督対談で、まず馬淵が先制攻撃を仕掛けてきた。

馬淵「若いなぁ。結婚はしているの」

竹下「いいえ」

馬淵「あんまり早くに結婚せん方がええよ」

竹下「はぁ……」

 戸惑う竹下に”口撃”は続く。

馬淵「結構(試合で)エンドランをかけとるね。若いから度胸がある。エンドランはリスクが大きいから、若い時ならともかく、オレはようせん。オレならバントや」

竹下「……(苦笑)」

 防戦一方の竹下はこの時、体中から汗が噴き出していたという。

 大分大会の藤蔭は、チーム打率.351、16盗塁に加え、エンドランを多用する積極的な野球で、6試合中3試合がコールド勝ちと、高い得点力で勝ち上がった。当然、甲子園でもエンドランを絡めた攻撃で、試合の主導権を握りたいところだった。

 試合は3回が終わり0-0。均衡した展開で先に仕掛けてきたのは、馬淵だった。

 4回表、一死から藤蔭先発の小宮大明が明徳の4番・安田陸に死球を与えた直後のことだ。5番・奥野翔琉の時にエンドランを仕掛け、これが三塁打となり明徳が1点を先制する。この場面を竹下はこう振り返る。

「対談でエンドランの話になった時に、『オレはやらない』と言いつつも、きっとどこかで仕掛けてくるだろうなという雰囲気は感じていました。ただ、やってくるなら中押しやダメ押しの場面だろうと。だから、あの状況でやってくるというのは予想していませんでした。こっちが先にやりたいことを、しかも一発で決めてくる。さすがだなと思いました」

 じつは藤蔭にも、先に仕掛けるチャンスがあったのだ。2回裏の攻撃で、先頭の4番・塚本修平がヒットで出塁。しかし、続く山香拓巳がセカンドゴロ併殺打。二死となるも、7番・松尾将が四球を選び、8番の朝倉康平が打席に入った。

「初球、2球目とボールが先行して、カウント2-0になった時に、スチールのサインをかけていたのですが、ランナーが動くことができなかったんです。大分大会の時は、グリーンライト(ランナーの判断でいけたらいってもよし)を出せば、カウントにもよりますが少なくとも2球目までには仕掛けることができたのに、あの場面で松尾の足が動かなかった。動けなかったウチと、動いた明徳。この差は歴然でした」

 野球に”たら・れば”が厳禁なのは承知しているが、このあと朝倉がセンター前ヒットを放っただけに、もし二盗に成功していれば……先制点が入ったかもしれないし、試合展開はまったく違ったものになっていたかもしれない。

 なにしろ藤蔭は、大分大会の6試合すべてに先制し、常に自分たちのペースで戦ってきたチームなのだ。先制された直後の攻撃で、わずか3球で3つのアウトを取られたことからもわかるように、「追いかける」という未知の展開に、ベンチも選手も動揺を隠せなかった。

 さらに、2番手の高田大樹が登板した6回には、死球をきっかけに失策が絡んで追加点を許すと、そこから下位打線にもつながれこの回だけで4点を失ってしまう。試合後の取材で、馬淵監督は次のように語った。

「継投してくることはわかっていた。ウチにとってはラッキーでしたね。左打者は高田くんの肩口から入ってくる変化球を引っ張る練習をしていたので……対策どおりに攻撃できました。また、先発した小宮くんはクイックが1.1秒と速いので、足を使って仕掛けるのが難しかったけど、モーションの大きい高田くんが出てきたので、ウチとしても動きやすくなった」

 この発言を受けて、竹下も相手の”待ち”にはまってしまったと認めている。

「高田の変化球に対しては対応してくるだろうなと思っていました。とくに、7番の今釘(勝)くんに代表される左打者が、肩口から入ってくるカーブを引きつけて引っ張ってきた。しっかり対策を練られていました」

 馬淵は5回2失点ながら、被安打3と粘り強く投げていた小宮の降板を”追い風”ととらえていたが、藤蔭ベンチはどうだったのか。竹下が振り返る。

「小宮にはいけるところまでいくという話はしていたのですが、相手に対して警戒心が強すぎたのか、抑えているわりには球数が多かったんです。初球ボールから入るケースも多く、正直、アップアップでした」

 試合は明徳が6点をリードしワンサイドゲームになるかと思われたが、藤蔭も意地を見せる。6回裏、高田の代打・川上晃輝がヒットで出塁。続く1番の江口倫太郎の4球目に川上がスタートを切り、江口もセンター前に弾き返した。サインは盗塁だったが、結果的にエンドランが決まった形になった。

「相手が決め球を投げてくるカウントや変化球が多いカウントで、スチールしろという指示を出していました。点差が開いたことで、開き直りも多少あったかもしれませんが、ようやくこちらの指示どおりに選手たちも動けるようになってきました」

 川上のように足があって、動ける選手が出塁したことで、ほかの選手たちにも好影響を与えた。藤蔭はここを起点に打線がつながり、この回だけで5安打を集中し、4点を奪った。自慢の機動力からの攻撃に、「この回に関して言えば、自分たちの色は十分に出せたと思う」と竹下監督は胸を張った。

 しかしその後、両チームとも得点を奪えず、最終回を迎えた。藤蔭はこの回から登板した明徳の2年生左腕・新地智也からヒットと敵失で二死一、二塁のチャンスをつくったが、無得点に終わり試合終了。

 2点差まで追い上げ、7回から登板した3番手の片平真が、3イニングを打者9人で打ち取る完璧な投球を見せた。敗れはしたが、甲子園の常連校相手にその戦いぶりは”善戦”と呼べるものだった。

 しかし竹下監督は「それは違う」と言って、こう続けた。

「もっとうまくやれば、なんとかなったという思いがあるので、本当に悔しいです。しかし、こちらが試合後にいくらそんなことを思ったとしても、勝負に勝ったのは明徳なんです。明徳のような伝統校は、相手にそう思わせながらも最後は勝つ。そこに本当の強さと凄みがありました」

 そして最後に、「試合後に残ったものは何ですか?」と尋ねると、竹下監督は「悔しさしかないですね」と即答した。だが、その悔しさのなかには、学ぶべきものも数多くあったはずだ。監督歴わずか4カ月、26歳の青年監督はこの夏、名将からとてつもなく大きな教材を与えられた。