きっかけは、2008年の終わりごろだっただろうか、あるウェブメディアから受けた1本の電話だった。

「来年からエアレースに参戦する日本人がいるんです。インタビューしてみませんか」

 そのルーキーパイロットこそが、のちにレッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップで、世界チャンピオンにまで上り詰める室屋義秀である。

 こうして始まった室屋の取材は、途中休止期間はあったものの、かれこれ10年ほど続いている。レースが終わる度に現地で、あるいは室屋が帰国後に話を聞き、レースレポートやコラムという形でまとめた原稿が、複数のメディアに掲載されてきた。

 室屋が通算8シーズンで出場したレース数は54。あらためて数えてみたら、そのうち39戦を現地で取材させてもらった。その数には正直、自分でも驚いている。

 9月8日、今季限りで終了するレッドブル・エアレースのラストレースも、千葉・幕張海浜公園で取材させてもらった。レース序盤から波乱の展開で進むなか、室屋は3度目の千葉戦制覇で有終の美を飾った。年間総合優勝にはわずか1ポイント差で届かなかったが、室屋は笑顔だった。「100%満足している」。そんな言葉も、本人の口から聞くことができた。すばらしいフィナーレだった。

 ところが、だ。その日の夕方、室屋がSNSを通じて発表した、ファンや関係者へ向けたコメントを見て、何とも形容し難い気分になった。以下に、その一部を抜粋する。

〈2009年のデビューから8シーズン・54戦。自分の力を100%出し切れた事、何も思い残す事なくエアレースパイロットを終えられる事、幸せの極みです。(原文まま)〉

 レッドブル・エアレースの終了が決定した(というより、すでに終了した)以上、室屋は9月8日を最後に、エアレースパイロットの職務を終えたと言えるのかもしれない。

 しかし、現状においては、レッドブルという冠スポンサーが外れることは決定済みだとしても、希望的観測も含め、エアレースが形を変えて継続、あるいは再開する可能性がないわけではない。にもかかわらず、室屋のコメントは、そんな淡い期待をあえて打ち砕こうとしているかのように響いた。



エアレースのラストレースを終え、取材に応じる室屋 photo by Asada Masaki

 よりによって、なぜこんな言い方をしなければならなかったのか。その真意が知りたかった。

 幸いなことに、ラストレースの2日後、室屋に話を聞く機会を得た。これまで室屋には、数えきれないほどの取材をしてきたが、”元・エアレースパイロット”の室屋にインタビューするのは、これが初めてのことだ。

「引退と違って、自分の意志でどうにかできるものではないし、前(2010年のレッドブル・エアレース休止の発表)とは違って、主催者がもうやめると言っているんだから、期待感を残しておくのも違うんじゃないかなと、僕は思っていて。だから自分のなかでも、パイロットを引退するわけじゃないし、全部が終わるわけじゃないんだから、これはこれで一回締め括ったほうがいいのかなと思ったんです」

 感じていた疑問を単刀直入にぶつけると、室屋からは「自分としても、もちろん、かなり考えて(SNSに)書きました」という言葉ともに、そんな答えが返ってきた。

 自分の手ではどうにもならないことには頓着せず、自分ができることだけに注力する――。それは、室屋がレッドブル・エアレースを戦うなかで身につけ、徹底していた思考だが、どうやらレースを離れても変わることがないようだ。

 そのメッセージを、室屋は外に向かって発信してはいるが、同時に、自分自身にも向けられている。

「Every ending is a new beginning.(すべての終わりは、新たな始まり)という言葉があるように、これを引きずるんじゃなくて、一回ピシッと気持ちよく終わらせることで、次が生まれてくる。だから、これでいいんじゃないのかな。自分のなかの整理としても、一回片づけて、これで終わりにする。ひとつのことが終わると、次に発生してくるものもあるので、そうなったら、それをまたやればいいと思っています」

 もはや他人が口を挟む余地などないほど、すでに粛々と気持ちの整理を進めている室屋に、最後に少しだけエアレースパイロットに戻ってもらい、ありきたりな質問と知りつつ、尋ねてみる。

 これまでの54戦のなかで、もっとも印象に残っているレースはどれですか、と。

「やっぱり、この間の最終戦になるのかな。自分のミスで始まって、そこから勝ち上がっていったという展開も劇的だったし、最後に力を出し切って、ベストフライトで終われたら気持ちいいだろうなと思っていたら、実際にそれができたので。ここまで満足感を持って終われることは、なかなかないと思うし、それはうれしかったです」

 室屋はラウンド・オブ・14こそ、ファステスト・ルーザー(敗者のなかの最速タイム)での勝ち上がりだったが、その後は相手をねじ伏せるような圧倒的な強さを見せつけた。とりわけファイナル4は、出色のフライト。2位に1秒近い差をつける完璧な勝利だった。

 しかし、そんな圧勝劇も、舞台裏では土壇場ゆえの葛藤に苛まれていたことを、室屋は明かしてくれた。

 話は、第3戦(ハンガリー・バラトン湖)のラウンド・オブ・14にさかのぼる。

 室屋はこの時、どのラインを選択すればいいのか、気象条件に応じた複数のプランを携え、レーストラックへと向かった。そして、トラックインを待つ間も風の状況を確認し、毎時10ノット以上の風があることを前提に、最終的なライン取りを決定した。

 ところが、室屋のフライト直前、風はパタリと止まった。「あそこまでの変化は想定していなかった。そういう意味では、(不運というより)準備不足だった」。ラインを読み違えた室屋は、まったくタイムが伸びず、マット・ホールに完敗を喫した。

 当然、千葉での最終戦で、同じ失敗を繰り返すわけにはいかない。だが、一度こういうことが起きてしまうと、事前に用意したプランが本当に正しいのか。そんな不信感が芽生えてしまう。気象条件が目まぐるしく変わる複雑な環境下であればあるほど、フライト直前の室屋が判断を迷い、疑心暗鬼に陥りかねなかった。

「実はそういう気持ちが少なからず生まれて、ベン(レース分析を担当するベンジャミン・フリーラブ)ともかなり議論をしました。そのうえで、(千葉戦前に準備を行なった)福島では実際にいろんなラインを想定したテストをし、タイムを取ってということを繰り返し、ベンの計算は間違っていないんだということを確認して、千葉に入りました」

 第3戦での失敗があるだけに、対策は入念だった。南に近づく台風の影響もあり、気象条件が読みにくいなか、室屋はプランA、B、Cと3通りのラインを用意。そのうえで、風がこの向きだったらA、強さがこれ以上だったらB、といったように、3パターンの前提条件をカードに書き込み、コックピットに貼っておいた。

「正直、今回も風が微妙に変わってきて、フライト直前までAなのか、Bなのかっていうところはあったんです。でも、気持ちに迷いが出ると、操縦全体が崩れてしまう。なので、チーム内で時間をかけて準備をし、こういう条件ならこうと線引きしたんだから、それを信じて飛ぼうと決めました」

 そして、室屋は小さくうなずきながら、にっこりと笑って言った。

「やっぱり、チームを信じて飛んだのが正解でした。ラウンド・オブ・8でも、フランソワ(・ルボット)にペナルティがあったので、結果的に大差がつきましたけど、ペナルティなしのタイムでもギリギリ勝っていた。そこはラインの差だったと思います」




千葉でのレース後、チーム・ファルケンのスタッフたちに囲まれ笑顔の室屋 photo by Joerg Mitter / Red Bull Content Pool

 抜群のチームワークで手にした会心の勝利。だが、室屋に多くの勝利をもたらしたチーム・ファルケンも、これにて解散、である。

「みんな高いスキルを持っているので、それぞれの活動に戻りますけど、また何か別のプロジェクトがあれば、一緒にやろうぜって話しています」

 10年前には、およそメジャーとは言い難かったエアレースという競技の知名度を飛躍的に高め、自身も年間総合優勝を獲得。モータースポーツの世界に強烈なインパクトを残しつつ、エアレースパイロットとしての役目を終える室屋には、これから先、どんな未来が待っているのだろうか。

「未来が見えないと、不安に襲われると思うんですけど、少なくとも自分のなかでは、結構行き先が見えている。今まではレッドブル・エアレースのワールドチャンピオンだけを見据えてやってきたわけですけど、逆にこれからは選択肢が広がるというか、時間にも多少余裕ができるし、いろんなチャレンジができると思っています。だから、楽しみですよね。人とのつながりが増えて、ネットワークもできて、10年前の自分だったら無理だったことでも、今はやれる可能性がずっと高くなっていると思うから」

 持てるもののすべてをかけ、頂点を目指す戦いは終わりを告げた。だが、そこに不思議と湿った空気はなく、からりと乾いた決意が漂うだけだ。

「シワは増えたし、頭は薄くなったし」

 デビュー当時の映像を見ながら自虐的に笑う、46歳の元・エアレースパイロットは、楽しげだった。

 ただし――。個人的に言わせてもらえば、近い将来、もう一度、”エアレースパイロット室屋義秀”と話をする日が来ることを期待している。たとえ室屋がどう考え、どんなコメントを出そうとも、その気持ちに変わりはない。