自らの努力で、自国開催のワールドカップへの道を切り拓いた--。それが12番を背負う、インサイドCTB(センター)中村亮土(りょうと)だ。 8月29日、ラグビーワールドカップ本番に挑むラグビー日本代表の最終スコッド31名が発表された。キャプ…

 自らの努力で、自国開催のワールドカップへの道を切り拓いた--。それが12番を背負う、インサイドCTB(センター)中村亮土(りょうと)だ。

 8月29日、ラグビーワールドカップ本番に挑むラグビー日本代表の最終スコッド31名が発表された。キャプテンのFL(フランカー)リーチ マイケルを含め、10人のリーダーグループ全員が呼ばれた。もちろん、ディフェンスを担当するリーダーのひとり、中村の名前もあった。



自身初のワールドカップに挑む28歳の中村亮土

 所属するサントリーで営業業務もやりながらラグビーを続ける中村は、28歳にして初のワールドカップメンバー選出となった。初キャップ獲得から、実に6年。

「4年前は、選ばれる立場にもいなかった。ここまで来られたという思いと、国を背負って立つ責任感を感じています」

 前回大会の「12番」は、2歳年上の立川理道(はるみち)だった。不動のCTBとして活躍し、日本代表やサンウルブズでもキャプテンを務めた人物である。

 エディー・ジャパン時代の2013年、中村は帝京大4年で初キャップを獲得したが、前回大会はバックアップメンバーにも選ばれなかった。「世紀の番狂わせ」と称された日本代表vs南アフリカ代表は、スポーツバーで観戦したと言う。

「自分もそこに立てたのでは……という気持ちもありましたが、本当に試合に出ていたメンバーを誇りに思いました。このままではダメだなと、試合を見て自分にフォーカスを当てました」

 2018年の秋頃になると、チーム内での立場が逆転する。中村が12番として主軸となる一方で、立川は桜のジャージーから遠のくようになった。そして結局、立川は2019年のワールドカップメンバーから落選。指揮官が12番のポジションに、より一層のフィジカルを求めたからだ。

 ただ、中村もフィジカルの強さだけで選ばれたわけではない。「メンバー外からのスタートだった」と本人も振り返るとおり、2016年秋にジェイミー・ジョセフHC(ヘッドコーチ)体制が始まった時は、名前すら挙がっていなかった。2016年と2017年のサンウルブズメンバーにも選ばれていない。

 中村は持ち味のタックルやフィジカルだけでなく、スキルやラグビー理解度の向上を目指した。「いつ呼ばれてもいいように」と、社業が優先されるオフ中も身体を鍛え続けた。そして2017年3月、NDS(ナショナル・ディベロップメント・スコッド)の日本代表候補合宿に追加招集される。

 このような状況は、帝京大時代にも経験していた。帝京大2年の2012年、中村のポジションは控え。ところが、日本選手権2回戦の東芝戦でケガ人が出たことにより、先発の座を掴んだ。試合には負けたものの、それを見たエディー・ジョーンズHCは中村を日本代表合宿に招集した。

 ラグビー界ではしばしば、「ボールは努力した者のほうに転がる」と言われる。中村はまさに、それを地でいく選手のひとりだ。

 常に己を磨くことを忘れない。体重94kgながらベンチプレスで150kgを上げ、フィットネステストで全選手中トップの数字を叩き出した。「世界一のフィットネス」を求めるチームの期待に応えている。

 2017年春にアジア勢と対戦した日本代表戦では、4試合中3試合に出場。「SOとCTBの両方でプレーできる選手」とジョセフHCが評価し、2017年秋も日本代表メンバー入りを果たした。しかし、ホームでのオーストラリア代表戦、アウェーでのトンガ代表戦、フランス代表戦は1試合も出場することができなかった。

 ただ、中村にとっては、この遠征が大きな意味を持っていたと言う。

「メンバー外の選手は、相手よりもフィジカルに戦わないといけないと思って練習に臨んだ。1パーセントに満たないかもしれないが、そういう働きかけをすることでチーム全体がよくなっていく。チームがよりよくなるために動いたと、自信を持って言えます。この遠征から、徐々にスタッフやコーチ陣に(自分は)そういう人間だと知ってもらえた」

 ジョセフHCは、スター選手よりも真面目に働き続ける「チームマン」を好む傾向にある。中村は、そのお眼鏡に適ったのだ。

 2018年はサンウルブズにも呼ばれ、同年6月にはイタリア代表戦に途中出場。2018年の秋にはリーダーグループの一員となって、かつて薫陶を受けたジョーンズHC率いるイングランド代表戦で、7万人ものアウェーの大観衆の中、フィジカルを生かしてトライも挙げた。

 ディフェンスのリーダーのひとりとして、自覚も十分に備わってきた。

「ディフェンスが僕らの強みになってきた。(チームとして)フィジカルの部分で大きな相手に負けなくない(9月6日に対戦する)南アフリカ代表戦は、(ワールドカップに向けて)気持ちの中で自信が芽生える」

「日本代表でやっていけると確信を思った瞬間は?」と聞くと、いかにも中村らしい答えが返ってきた。

「(特定の)試合とかはないですね。徐々に自信を積み上げてきた。トップリーグも、サンウルブズも、昨年のイタリア代表戦も、イングランド代表戦も、全部そう。(目の前の目標をクリアしてきた)自負はあります。土台は大きくなっている」

 高校代表候補の合宿中だった2009年、日本でワールドカップが開催されることを知った。その時から中村は「ワールドカップを強く意識するようになった」と振り返る。

 建設会社に勤める父は、「大地のように力強くなってほしい」という願いを込めて、「土」という漢字を名前に入れた。4年間、努力を続けてきたからこそ、迎えることができる晴れ舞台--。日本代表が目標とする「ベスト8進出」という大輪を咲かせるために、中村亮土はチームを支える大地となって泥臭いプレーで勝利に貢献する。