それは突然の報せだった。

 レッドブル・エアレース、2019年シーズン限りで終了へ--。

 パイロットをはじめとする各チームのスタッフ、さらにはレース運営の中枢スタッフですら青天の霹靂だったというその一報は、当然のごとくメディアやファンを驚かせた。

 しかも、レッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップが今季で終了してしまうばかりか、今季のレースも当初予定の8戦から4戦へと半減。9月7日、8日に千葉・幕張海浜公園で行なわれるレースが今季の、そしてレッドブル・エアレースの最終戦になるという事実が、衝撃をさらに大きなものにした。

 当初、メディアやファンの間に惜しむ声は多かった。だが、それも徐々に、(あきらめに似た反応も含めて)事態を冷静に受け止めようという空気に変わってきている。

 何より、当事者中の当事者とも言うべき室屋義秀は、感情的になることなく冷静な対応に終始してきた。


エアレース最終戦で逆転の総合優勝を狙う室屋

  photo by Andreas Langreiter / Red Bull Content Pool

 レッドブル・エアレースは新興のモータースポーツながら、2003年の創設以来17年、2005年に国際航空連盟公認の世界選手権となってからでも、15年の歴史を持つ。決して昨日今日始まった場当たり的なイベントではない。

 まして操縦技術世界一を目標に、長年パイロット生活を続けてきた室屋にとっては、初めて世界一の称号を手にしたのが、このレッドブル・エアレースなのである。相応の思い入れがあって不思議はない。

 ところが、だ。終了発表の直後に、室屋がSNSを通じて出したコメントは、「(今季は)9月までの短期決戦となったので、他のことは考えず100%レースに集中していく」だった。

 また、千葉戦をおよそ2週間後に控えた記者会見でも、「コンペティションのひとつが終わるのは残念だが、今は最終戦の千葉に向けて日々できることは限られているので、先のことを考える余裕はない」。

 つまり、寂しいとか、驚いたとか、レッドブル・エアレースの終了を惜しむ言葉をほとんど発していないのである。

 しかも、レッドブルといえば、2007年から室屋の活動をサポートし、室屋が世界一へと至るきっかけのひとつを作ったスポンサーである。仮にエアレースがこの先、これまでとは違う形(新しい冠スポンサーがつく、レースごとにスポンサーがつくなど)で継続されることがあったとしても、レッドブル・エアレースは今年で終わり。室屋のパイロット人生は、大きな節目を迎えていると言ってもいい。

 にもかかわらず、そこに特別な感情はないのだろうか。そうした感情があったとして、それは決してネガティブなことではないはずだし、最後のレースに向けたモチベーションにもなるのではないだろうか。

 そんな疑問を抱え、室屋を訪ねた。ラストレースを前にして、勝負師に徹する、あまりにクールなパイロットの胸の内を探るために。

「(レッドブル・エアレースの終了は)もちろん、残念は残念です。でも、そんなに甘い人生を過ごしてきてはいないから、『人生なんて、そんなもんよ』っていうところはありますよね(笑)。デビュー前年(2008年)のトレーニングキャンプから数えて、僕のエアレースは今年で12年目。年齢もちょうどひと回りしたので終了って感じなのかな」

 室屋は冗談めかしてそう切り出すと、惜別の念とはまったく異なる感情を口にした。

「エアレースパイロットの年齢は、他のスポーツに比べて若干高いとはいえ、46歳で第一線にいられるのは、非常にラッキーなことだと思います。同じ競技を12年も続けられたのは、プロスポーツ選手としては奇跡的、と言ってもいいかもしれない。途中でクビになる可能性もいっぱいあったし、(レッドブル・エアレースが続いていたとしても)この先も、その可能性はあったわけで。来年もやる気だったので残念ですけど、言い換えれば、シートを失って辞めるわけではないのだから、ここまでやれたっていうのは偉大なことかなと思っています」

 室屋は10年前のデビュー当時を、「今の状況を想像はできなかった」と懐かしそうに振り返る。

「当時は、『世界一を取る!』とは言っていたものの、正直、それはどこにあるんだろうなという感じで。とりあえず(レッドブル・エアレースに)入れただけで浮かれていたし、入ったからには優勝だとは言っていましたけど、あのレベルでは到底無理でしたよね」

“あのレベル”とは、室屋曰く、「今の僕が2009年の僕と戦ったら、100戦100勝できるくらいの差はあるんじゃないかな(苦笑)」。10年前の室屋は、世界チャンピオンになるためには何が必要なのかがわかっていないという以前に、「その存在自体に気づいていないものがいっぱいあった」という。

「操縦の技術もそうだし、機体のテクノロジーもそうだし、自分の心の使い方みたいなものもそうだし。当時は『慣れてくればイケる!』とか、『1年目だからしょうがない』とか考えていたけど、そういうものじゃない。レース本番になると、力を出せる選手と出せない選手がいて、そこには自信の作り方とか、緊張のコントロールとか、いろんなスキルが必要になるのに、そういうものも知らず、ただガムシャラに走っている感じでした」



今季は第1戦と第2戦を連勝。第3戦は12位で、トップと10ポイント差の3位につける photo by Predrag Vuckovic/Red Bull Content Pool

 怖いもの知らず、という言葉があるように、未知ゆえの勢いは決して軽視できない。実際、室屋はルーキーシーズンの最終戦で6位に入っている。

「それでも、ある程度のレベルまではたどり着くことができるんです」と室屋。だが、その先に待っていたのは、限界という壁だった。室屋が続ける。

「ガムシャラにやるだけでは、どのスポーツでもそうだと思いますけど、あるレベルから先へはたぶん進めなくなる。当時は、それがよくわからず、気合いを入れて飛べば何とかなると思っていました」

 当時の自分に何かアドバイスをするとしたら--。そんなことを尋ねると、室屋は苦笑いを浮かべて、首をひねった。

「うーん、いっぱいありすぎるな」

 頼りなかった新米パイロットも、参戦6シーズン目となる2017年には、ついに世界チャンピオンの座に就いた。

 2009年のデビュー戦から数えて、室屋がこれまでに戦ってきたレース数は53。一戦ごとにヒリヒリするような経験を重ね、その都度目の前に現れる壁を乗り越え、ようやくたどり着いた頂点である。

 涙の初優勝を飾った、思い出の地で迎えるラストレース。そんな自身54戦目は、これまでとは異なる、特別な感情が湧いてはきませんか--。

 ずっと感じていた疑問をあらためてぶつけると、室屋はさらりと受け流すように口を開いた。

「特別な感情を湧かそうと思えば湧くんでしょうけど、ひとまず消している感じです。感傷に浸ったからって勝てないし(苦笑)。だから、まずはレースに集中すること。最後に結果がともなっていれば、自分も一番感動できると思いますから」

 ただ--。室屋は、そうつないで語る。

「これだけ長い期間、こういうことをやらせてもらってきたことには感謝しています。だから、最後のレースにできるだけの準備をしたいんです。ベストの状態でどこまで戦えるか。今はそれだけを考えています」

 最高の準備でラストレースへ。室屋がそこにこだわるのには、理由がある。決して忘れることのできない、そして、絶対にもう一度味わいたい感覚が、いまだに体のなかにはっきりと熱を帯びて残っているからだ。

 室屋が最終戦の劇的な逆転劇で年間総合優勝を果たした、2年前の”快感”である。

「あの時は、最終戦の前のレース(ラウジッツでの第7戦)の時から、やれるだけのことはやってきたっていう自信があって、勝っても負けても、ともかく実力を出し切れればいいやって、途中からちょっと楽しくなっていたんです。ラウジッツのラウンド・オブ・8あたりからかな。戦っていてもすごく気持ちがよくて、そうなると結局は勝てる。今までに勝ったレースでも、それに近い状態はあっても、そこまで完璧なゾーン状態はほとんど体験できませんでした」

 当時の感情が呼び起こされたのか、どこかうれしそうに、滑らかにしゃべり続ける室屋。その様子を見ているだけでも、ラウジッツでのレースがいかに特別なものだったのかが伝わってくる。

「そういう快感を味わえる人って、そうはいない。それを味わえる生活っていうのは、けっこう幸せなんじゃないかなと思うんです」

 自分を成長させてくれた、レッドブル・エアレースに感謝はある。それがなくなることに寂しさがないはずはない。

 それでも、世界最高峰の舞台でたどり着いた境地--完璧なゾーン状態をもう一度味わうためには、今はまだ感傷的になっている暇がない。

「千葉でのレースは年間総合優勝がかかり、メディアも注目する。いろんなプレッシャーがあるなかで、自分が今までにやってきたことすべてが試される、いわば、フルテストだと思っています。最後にもう一回、最高の準備をして、自分がどれだけの力を出せるのか。それが今は楽しみなんです」

 今季第3戦終了時点で、チャンピオンシップポイントランキングで3位につける室屋と、首位のマルティン・ソンカとのポイント差は10。室屋が最後のレースで何位になろうと、室屋が2度目の年間総合優勝を手にするかどうかは、ソンカ、あるいはランキング2位のマット・ホールの結果次第である。

 だが、細かな数字を頭のなかに巡らせることに、もはやあまり意味はないのだろう。

 史上最高の準備ができているか--。

 室屋は自らにそれだけを問いかけながら、歴史を締めくくるラストレースへ向かう。